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無人駅にて②

塞ぎこむ茶倉の手をとってずんずん歩く。だだっ広い夏空にゃ巨大な入道雲が沸き立ち、コンクリの孤島じみたプラットフォームが草の海に浮かぶ。 「あーゆーのなんてったっけ。昇って降りるしかねー階段や路地の行き止まりの扉みてえな、わけわかんねーオブジェのこと」 「トマソン?」 「それ!ぽくね?」 「色々名前付いとるらしいで。お前が言うとった昇って降りるしかない階段は純粋階段、またの名を無用階段」 「まんま。他には」 「無用門・無用庇・無用窓・無用橋」 「無用シリーズかよ、短絡的~」 「阿部定もおる」 「誰?」 「情夫のブツをちょんぎって持ち去った明治女。トマソン語彙録やと途中で切れた電柱をさす」 「怖っ、たまひゅん案件じゃん」 「あれは無用駅。取り潰された無人駅の亡霊」 「一応電車が停まるんだ、無用じゃねー。人もいるし」 馬鹿話で緊張と気まずさをごまかす。足元には素朴な花が揺れていた。蕾が少しうなだれてるせいで、寂しげな印象を受ける。 白い花を踏まねえように避け、尋ねる。 「貧乏草の旬って夏?」 「……八月まで咲いとるらしい」 「結構長いんだ、春先しか咲かねえって勘違いしてた。花言葉は?」 「どうでもええやん。離せ」 「離さねえ」 「顔見たない」 「ずっと待ってたんだろ」 「嫌や」 「駄々こねんな」 繋いだ手はかすかに震えていた。怯えてるのだ。 俺は考える。 ここがあの世でもこの世でもねえ場所で、今しがた背にしたのが廃線になった無人駅の幽霊だとすりゃ、前にいるのはやっぱり。 俺より少しだけ小せえ手を、力を込めて握り直す。 「会いたない」 「頑固者」 「俺んこと嫌いやねん。怒っとんねん」 「決め付けんな、本人に聞かなきゃわかんねーだろ」 「わかる」 歩みが鈍る。 「俺が車で行きたいなんて言うたから、せやから帰りに事故が起きた。俺が殺したんや」 「それ、俺のせい」 「は?」 「さっき言ったろ、事故がなけりゃ一生会うことなかったって。かもしんねえ。その上でお前といたいって願った、お前とダチになる今しかいらねえって思っちまった」 また列車に戻っても同じ選択をする。茶倉の親を切り捨て、ダチを生かす決断を下す。 「それってさ、俺が殺したようなもんじゃん」 全員救うのは無理だ。んなことわかってる。 俺の手は小さくて、できることはほんの僅かで、だから今、意地っ張りな友達を引っ張っている。 コイツをお袋さんの所に送り届けるのが、俺の役目だ。 さらさら靡く草を踏み締め、長髪の女の後ろに立ち、そっと肩を叩く。女の人が緩やかに振り返る。 綺麗な人だった。本物の方がずっと。 年の頃二十代後半、人妻とは思えない若々しい風貌と華奢な体格。 硝子質の透明感を湛えた白い肌はすべらかで、長い睫毛に縁取られた双眸は静かに澄み、上品に整った鼻梁と唇が映える。 虹彩は外人みたいな灰色で、神秘的な雰囲気を感じる。 端正な顔立ちは息子によく似ていたが、茶倉が身に付けた跳ねっ返りのしたたかさに代わり、守ってあげたくなる儚さと憂いを纏っていた。 美人すぎる母親にドギマギ、茶倉にごにょごにょ耳打ち。黒い目が戸惑いに見開かれ、ほんの少し気恥ずかしげな、照れてることに腹を立てた反抗期のガキみたいな、ふてくされた表情が浮かぶ。 「片手に指押し付けて、体の近くで下に押す」 「どっちの手?」 「好きにせえ。やりやすい方で」 「自分、申します……」 二人揃って背中を向け、再び対峙し、大きくハッキリした口の動きに合わせて手を上げ下げする。 「初めまして、練くんの友達の烏丸理一っす」 付け焼刃の手話で自己紹介すりゃ、白い手が胸の前に来て、表情豊かに結んで開く。 「知ってる。ずっと見てたもの」 桜色の唇が綻ぶ。 「はじめまして、練の母の縣環です。よろしくお願いします」 「ご丁寧にどうも」 「理一くんて呼んでいいかしら」 「もちろん」 「じゃあ理一くん。てのひら見せてくれる?」 「えっ?あっはい、好きなだけ」 竹刀ダコをさわられ顔が火照る。茶倉がジト目で睨む。 「鼻の下伸ばすな」 「元からこーゆー顔」 「人妻にでれでれするとかきしょ」 「やっぱり剣道やってる子は大きいわねえ。固いのは豆が潰れて治るのを繰り返したからかしら」 「かもしんねっす」 「意外、右と左比べたら左手の方が使い込まれてる。小指と薬指の付け根のタコは」 「正しい握り方をしてると出来る場所らしいです。中学ん時は射程距離伸ばしたくて真ん中やや左下寄りに柄頭乗っけてたから、そこが擦り剥けました」 「勉強になるわ」 「祖父のうけうりっす」 頭をかく。茶倉に足を踏まれた。 「痛っ」 「ごめんなさい」 ぱっと手が離れる。息子は素知らぬ顔。コイツめ。 「全然平気っす」 「痛くないの?」 「はじめたての頃はちまちま絆創膏貼ってたけど稽古ん時邪魔くせえし、汗でふやけっからとっちゃいますね。慣れれば気になりません」 「頑張ってるのね」 「今はしがねー帰宅部っす」 お袋さんの目が茶倉に移り、和む。 「背、伸びたね」 「当たり前や。何年経ったと思とる」 「男の子っぽくなったね。手もゴツゴツしてお父さんに似てきた」 「気のせいやろ」 「学校楽しい?」 「……ぼちぼち」 「勉強大変?」 「簡単」 「頭いいんすよ、テスト順位一桁台から落ちたことねー。たまに勉強見てもらうけど教え方上手くて、するする頭に入ってくるから助かってます。センセイ代にパンやジュースおごらされっから財布すかすかだけど」 「塾の月謝浮くやん、文句あんなら俺のノート当てにせんとよそ行け」 息子の頬を揉み、笑いを嚙み殺す。 「俺っていうんだ」 うざったげに手を逃れ、そっぽを向く。 「僕なんてほざく甘えたクラスにおらん」 「そっか。高校生のお兄さんだもんね」 俺は茶倉が僕だった頃を知らねえ。出会ったときには俺だった。お袋さんの中じゃ小学生のまんま、長いこと時が止まってたんだろうと思い知る。 「なんで出てこんかったねん、待ちくたびれた」 「それは」 「――に、びびったんか」 折からの風のせいで茶倉が発した言葉を聞きそびれた。お袋さんの顔が曇る。 「図星?」 「……ごめんね」 「近くにおらへんのにどうやって見とったん」 「―の隙を突けるまで、七年かかった」 風の音にかき消されてよく聞こえねえ。 「理一くんがお友達になってから、ほんの少しだけ近寄れるようになったのよ」 「会いに来んかった理由はそれだけ?オーラ酔いするとかわけわからんこと言うてバスや電車に乗りたがらん、けったいな子供が疎ましかったんちゃうの」 「そんな言い方」 「いいの」 環さんが茶倉をひたと見据える。風が貧乏草を揺らす。 「本当に聞きたい?」 たおやかな手で茶倉の顔を挟んで固定し、視線を絡める。 「お母さんが……貴方のおばあちゃんが結界を張ったの」 「ババアが?気付かんわけ」 「おばあちゃんは一流の拝み屋、貴方より長い年月生きて知識と経験豊富、膨大な場数を踏んでる。特定の制約付与して結果張るコツ位心得てるわ」 「せやけど屋敷には浮遊霊が」 言葉が途切れる。 「指向性持たせたんか」 「おばあちゃん、お葬式来たでしょ。その時に睦さんと私の遺骨持って帰って術を掛けたの」 「骨を!?」 思わず大声上げちまった。茶倉は落ち着いてる。 「呪物……骨の持ち主限定で弾いてどうでもええ雑魚だけ通す、そーゆー結界。そうせな逆に怪しいか、拝み屋の家土地に霊が全く寄り付かんのはありえん、ましてや呪い蔵なんて餌場ほっとかん」 「学校の行き帰りに接触すんのも厳しかったんすか」 「結界の有効範囲は家じゃない、市内全域。冥加トンネルだけが例外、市境の立地と謂れが影響してるみたい。こうして話せるのは練が列車に乗ってこっちに来てくれたからよ」 「謂れを知ってるんすか」 スッと指を上げ、宙に字を記す。 「冥賀トンネルはもともと冥加……暗がりの冥に加えるで冥加と書いて、知らないうちに授かる神仏の加護を指す。偶然の幸運や利益を意味する場合もある。お母さん……練のおばあちゃんが言ってたわ、ここの性質は古墳に近いって。成り立ちは弥生時代か飛鳥時代か、おばあちゃんでも見通せない大昔に遡るそうよ。古代の祭祀場や殯の地だったのかもしれない」 「もがり?」 「死者を埋葬するまで棺に納め、腐敗や白骨化の過程を見届ける葬送の儀式のこと。冥賀トンネルの前身の岩屋は殯に使われていた可能性がある」 「入口塞げば石棺、反対側を穿てば通り道。その先は死者の世界ってわけか」 「トンネルに恐怖や畏怖を感じる人が多いのは、日本人の集合的無意識に眠る磐座信仰と結び付いてるのでしょうね。岩屋を神域として崇めるなら、それを貫通した隧道は黄泉平坂の縮地になりうる」 「さすが茶倉のお母さん、物知りだ」 「民俗学をちょっと」 照れてる。可愛い。尖った視線が横顔に刺さり、咳払いで表情を引き締める。 「け、けどばあちゃんのお供で遠出する時だってあったんじゃないですか」 「出先じゃ常に練をそばにおいて見張ってたわ。術も掛けて」 「どんな」 「ようさんある。有名なのは蠱毒で抽出した獣の血で骨に呪詛書いて、鬼門の竈で燃して、四方に埋めるやり方。墓地とか刑場跡とか忌み地ならどんぴしゃ。砕いた骨の粉末を術者の髪を縒った小袋に入れて持ち歩けば移動中かて寄り付けん。抜け目ないババアのこっちゃ、俺の荷物に忍ばせたんかな」 娘夫婦にそんな仕打ちを?気分が悪くなる。茶倉の顔と声に憂鬱な色が乗っかる。 「骨パクられたんは盲点やった。どうりで外だしたがらんわけや、葬式から引っ越しまで張り付いとったし」 「茶倉のばあちゃんて環さんの母親だろ、なんだって娘を遠ざけるようなまね」 「……告げ口」 憎々しげに唇を曲げる。 「アホくさ、実の娘警戒する前に茶飲み友達見張っとけ」 茶倉のばあちゃんは自分にとって不都合な真実が、娘の口から漏れるのを恐れていたらしい。 「ホンマにババアがやったん」 お袋さんは寂しげに微笑むだけ。どこまでも透き通る、哀しい笑顔だった。 「―さよか」 「ごめんね」 「謝るな」 「お母さんがもっとしっかりしてたら練を守れたのに、お父さんまで巻き込んで」 今にも張ち切れそうな憎しみを押さえ込み、吐き捨てる。 「謝んないうとるやろ、余計みじめになるだけや」 「……」 「俺が何されとるか知っとったん」 「……」 「どうでもよかったんか」 「違うわ」 「捨てたんちゃうんか」 唇を噛む。 「失礼します」 頼りない細腕を掴み、一気に袖をめくる。思った通り、焼け爛れた肌が露出した。 「事故の怪我じゃないっすよね。結界破ろうとして、こうなったんじゃないですか」 よくよく目を凝らしてみりゃ、幽霊ってのを差し引いてもお袋さんの存在感は薄い。霊圧がすり減ってると言い換えてもいい。 「茶倉に会いたかったんすよね?」 何度も弾かれて。 ダメージ負って。 純粋な悲哀に磨き抜かれた双眸が瞬き、含羞と卑下に諦念を織り交ぜた微笑が掠める。 「私はできそこないだから。持ってる力を使い果たして、留まるだけで精一杯」 「世を司る環を練るが俺の名前の由来やてババアは言うとった。ホンマか。俺の名前、ババアにやる予定で付けたんか。最初から苗床にする為に……」 「名前は未練からとった」 声がした方に向き直る。眼鏡を掛けた男の人がいた。首からカメラをぶら下げている。 「初めて会うた日、環さんは死のうとしてた」 男の人が語る。 「人に言えん事情抱えとるてすぐわかった。頼る人も行くあてもないちゅーからとりあえず部屋探して、用が済んだらハイさよならも薄情やし、いろいろ危なっかしいから様子見に通って、そのうちその、そーゆー関係になってもた」 照れて言葉を濁し、眼鏡の奥の目を懐かしげに細める。 「あの頃の環さんは毎日死にたい消えたい繰り返しとった。せやから俺、死なんといて、消えんといてて一生懸命お願いしたわ。ほっとけんさかい一緒に暮らし始めて、少し経った頃に妊娠がわかって、それからや。環さん、いっさい死にたい言わんようになった。でっかい未練ができたんや」 男の人が茶倉を見詰め、誇らしげに言った。 「お前は父さん母さんの未練や」 未練の意味。諦めきれないこと。心残り。引きずり続けるもの。 「縁起悪いさかい、出生届だす時に未の字外したけど」 「今さら……」 もっと早く知ってれば。 わかってれば。 「ごめんね練。おいてってごめんね。ひとりぼっちにしてごめんね。怖かったよね。痛かったよね。よく頑張ったね」 声を詰まらす母親に抱擁され、茶倉の顔が歪む。親父さんがお袋さんを抱き起こし、揃って頭を下げる。 「事故はお前のせいやない。父さんがちゃんと前見て運転しとれば避けられたんや、すまんかった」 「睦さんは悪くない、私のせいよ。私なんかと結婚したから巻き添えで呪いが」 「君と結ばれたこと後悔してへん、家族になれて幸せやった」 愛する人の子供を宿したから、環さんは死ねなくなった。 腹ん中で育む未練が、ふたりの生きる理由になった。 茶倉がのろのろ口を開く。 「俺のせいや」 「違うわ」 「ババアは跡継ぎ欲しゅうて、あこぎなやり方で奪おうと」 「お前のせいちゃうで、気にすな」 親父さんの服の下にも火傷がある。見なくてもわかる、この人は絶対奥さんを庇うから。 気付けば笑っていた。 「似た者家族っすね」 「え?」 虚を衝かれこっちを向いた三人に、見たまんまの感想を述べる。 「お互い庇い合って自分のせいだって言い張って、そっくりだ」 目を真ん丸くして顔を見合わせたお袋さん親父さんが、きまり悪げな苦笑を交わしたのち、そっと茶倉を抱き締めた。 「練が生きててよかった」 両親の抱擁を受け、立ち尽くす茶倉の背中はやけに小さい。親父さんが俺に聞く。 「練の友達?」 「はい」 「息子のこと、よろしゅうお願いします。口は悪いけど優しい子なんです」 「うちのこともよく手伝ってくれて、学校帰りに綺麗なお花を摘んできてくれて」 「賢くて。しっかりしとって」 「手先が器用でね、台所に掛けるビーズの簾作り手伝ってくれたのよ。将来はお米粒に写経する人になるんじゃないかってよく話してたの」 「職業ちゃうやろそれ」 「本を読むのが好きで」 「年長さんの時にあげた妖怪図鑑、ページよれよれになるまで読み返しとった」 「お父さんに似て物を大切にする子なの」 「君に似たんや」 「貴方でしょ」 「隙あらばのろけるな」 「どーどー」 真っ赤な顔で割り込む茶倉を制す。お袋さんが続ける。 「しっかりしすぎてるのが却って心配で、変な所で意地っ張りで。覚えてるでしょ、前にラーメン屋さん連れてった時割り箸上手く割れなくて」 「覚えとる覚えとる、失敗したのは父さんが使うて言うたのにこれで食べるて聞かへんで」 「どんぶり抱え込んで離さないの」 「お子様用の取り分け皿とフォークは嫌やごねるし、挙句は綺麗に均等に別れるまで割り箸割り続けるしで」 「お店の人は笑って許してくれたけど恥ずかしいやら申し訳ないやら、あれからラーメン屋さん行かなくなったのよね」 「本人も覚えとらん話蒸し返すな!」 聞こえる息子と聞こえない妻を気遣い、発声と手話を同時にこなす父親。所々間延びしてたり音程がずれてたり、調子っ外れな肉声になめらかな手話を交えて返す母親。 息子のツッコミを意に介さず喋り散らす両親を見比べ、微笑む。 「よく知ってます。コイツがいてくれっからラーメン美味えし、毎日結構楽しいです」 だよな茶倉? 俺の答えを聞き、親父さんお袋さんが表情を緩める。茶倉は俯いたきり顔を上げねえ。拳を強く握りこんで、たれた前髪に表情を隠す。 「俺のこと、恨んでへんの」 お袋さんが蝶々みたいに両手を翻し、特別な言葉を伝える。 高校生になった息子をファインダーに捉え、過去を現在に露光させるように親父さんがシャッターを押す。 「嫌いになったこと、一回もない」 風が吹く。花が揺れる。素人カメラマンが忙しげに手を振り、被写体に立ち位置を教える。 「並んだとこ撮っとこか。理一くん、もーちょい右寄って」 「こっすか?」 「あと五センチ、いやちゃうな、三センチだけずれて」 「細かいねん」 「キメ顔!」 「キリッ」 「笑顔!」 「ぴすぴす」 「アホ顔ダブルピースか」 「家族サービスでスマイルゼロ円しとけ」 フットワーク軽く右に左に回り込み、写真を撮りまくってた親父さんが突如素面に戻り、鳥の囀りに似た警笛に耳を澄ます。 「時間や。行かな」 「行くてどこへ」 「列車が来る」 息子の質問に遠回しに答え、歩き去る。 「おとん!おかん!」 「あっち、プラットフォーム!」 野原から忽然と消えた夫婦が、跨線橋を挟んだホームに現われた。 『間もなく二番線に列車が来ます、お乗りの方はお忘れ物などないようお気を付けください』 茶倉ががむしゃらに走り出す。慌てて追いかける。朽ちた枕木を蹴飛ばし、雑草生えた地面を踏み締め、跨線橋を渡る時間さえ惜しんで直に線路を突っ切ろうと― 「茶倉!!」 シャツの背中を掴んで引き戻す。対岸にたたずむ環さんが、綾取りするみてえに両手を動かす。 「ッ、ぐ」 環さんは笑っていた。親父さんが声を張る。 「元気で」 ホームに突風が吹きこむ。列車が止まる。暴れる茶倉の背中にしがみ付く。 「行ったら戻ってこれねーぞ!」 「かまへん、置いてかれんのはこりごりや!」 「俺の事は置いてっていいのかよ、未練に足んねー存在なのかよ!?」 ずるい言い方だってわかってた。コイツの弱みに付け込む、最低の引き止め方。 「夏休み長えんだぞ、海も山もプールも富士急ハイランドも行ってねえ!」 「ひとりで行けや寂しんぼか!」 「お前がいなきゃツマんねえよ、何でこんな当たり前のこと言わせんだわかれ馬鹿!」 「ろくでもない予定に付き合いきれん!」 「クーラーがんがんに利いたファミレスで駄弁り倒すのが?ドリンクバー全種混ぜてイッキすんのが?替え玉無料のラーメン食いまくるのが夏休み一杯遊び倒すのが最終日にバーッと宿題片付けんのがお前とやりてえ全部ろくでもねえ予定だってのかふざけんな!」 「はよせな電車が」 死に物狂いにもがく茶倉を組み敷き、両腕を張り付け、無我夢中でキスをする。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~!」 俺の方が力は強い。じたばたする四肢を押さえ込み、唇を塞ぎ、コイツを縛り付けるだけじゃ飽き足らずかっさらってこうとする未練なんかあの世でもどこでもいいから早く激しい抵抗に腕が痺れて挫ける前に歯が当たる性急なキスが劣情に引火し燃え上がる前にとっとと走り去っちまえと祈る。 対岸から吹き付ける風が髪をかき混ぜ、目の端掠めた車窓に親父さんお袋さんの姿を確認し、一旦唇を離す。 「行けよ。お前ぬきで楽しむから」 「楽しむて」 「体の相性ぴったんこなヤツと死ぬほどヤりまくる。泣いて頼んでも絶対まぜてやんねー、指咥えてうらやましがってろ」 ぶん殴られた。 勢い余って吹っ飛べば、服の埃を払いながら起き上がり、茶倉が冷え冷え俺を見下ろす。 「ド淫乱が」 「違ェし」 列車は草原の彼方に走り去った。茶倉が大きくため息を吐き、吹っ切れた表情で空を見る。 「帰ろか」

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