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8月6日/夜明け/冥賀トンネル前

トンネルがぽっかり口を開けてる。 背中がちくちくする。俺は草むらに大の字に寝ていた。右隣の板尾はうるせえ鼾をかき、左隣じゃ茶倉が片膝立て、物思いに耽ってる。 「寝言が卑猥」 「下ネタ言った?」 「奥までずこばこ突いてほしいて」 「嘘こけ」 東の空は杉林の山際から明るみ、朝露を濾した空気が清涼に澄み渡る。 「ぬけれたのか」 長い夜だった。永遠に出れないかと思った。トンネル脇には犠牲者の名を刻んだ碑が建ってる。 「いてて」 あちこち筋肉痛だ。腰を押さえて起き上がり、猛々しい夏草に埋もれ、ひっそり風化した碑に近付いていく。 「めっけ」 数十名におよぶ列の隅っこに『守屋ふみ 享年六歳』と彫られている。経年劣化した文字をなぞり、質問する。 「列車は?」 「起きた時には消えとった」 「斬鉄剣もねえや」 「もとからお前のもんちゃうやろ、ネコババすな」 「へへーんお生憎様、うちに帰りゃマイ竹刀あるもんね」 調子こいてドヤったのち、声を潜めて。 「トンネルで起きたこと覚えてるか」 「ぼんやりとは」 「一緒。雅子さん耕作くん、魚住やお前の親父さんたちに会ったのは本当だよな?」 他にも大事なことを見たり聞いたりした気がするが、鈍い頭痛に打ち消される。 「二日酔い先取りした気分」 茶倉が鼻を鳴らす。 「頭からケツまで夢かもわからん」 「あんだけ冒険したのに?」 夢と現実の境があやふや。 貧乏草がそよぐ野原にたたずむ女のシルエットを回想し、ただでさえ朧げな記憶が薄れる前に聞く。 「お前の旧姓って……」 物音に振り向く。板尾のお目覚めだ。 「いい夢見た」 「どんな」 「リカが出てきた。二人でホームに立って、後ろに湘南の海があって、頭の上にカモメが飛んでる。で、いちゃいちゃしてる最中に邪魔された」 俺と茶倉をジト目で睨み、ちぎった草の切れ端を投げ付ける。 「最期に最高にキレイな海拝めんなら、各停の人生も悪かねえか」 東の空を一条の光が掃き清め、甲高い鳥の囀りが響く。冥界トンネルに夜明けが訪れる。 「中どうなってんだろ」 「戻るか、テント心配だし」 「トンネル通って?」 尻込みする俺をよそにさっさと歩き出す。目指すは廃墟化した隧道の中。錆び付いたレールの中央、朽ち果てた枕木を踏み締め、冒険にでも出るみてえな足取りで歩く。 「空気が軽なっとる」 「安全ってこと?」 板尾とさりげなく目配せを交わし後に続く。線路はトンネルの奥に消えている。 「スタンドバイミーみてえ」 「死体探しにでる映画?」 「それ」 「最後どうなんだっけ」 「いきなり結末聞く奴あっか」 「ネタバレ平気だし」 「たしか死体めっけて……」 「俺達の友情は不滅エンド?」 「なんでそうなる」 右手で小枝を拾い、腕を水平にしてバランスをとる。ヤジロベエのポーズで右のレールを歩けば、板尾もまねして左のレールを辿り、えっちらおっちら行進おっぱじめる。低予算青春映画のエンドロールみたいな光景。 茶倉が石ころを蹴り、間違いを正す。 「逆。大人んなってバラバラになるんや」 「見たことあんの?」 「おとんが好きやった。歌も」 頭ん中にメロディを呼び起こし、口笛吹く。 「音痴」 「るっせ」 興ざめな野次はシカトこき、指揮棒代わりの小枝で拍子をとって口笛を吹き鳴らす。板尾も調子を合わせてきた。 「思い出したわ、おとんのおとんかそのまたおとんの話」 「じいちゃんかひいじいちゃん?」 あたり払うしなやかでさもってレール上を歩く茶倉の輪郭を、冴え冴え逆光が切り抜く。 「戦前戦中は心斎橋に住んどって、大阪大空襲の夜に幽霊電車に乗ったらしいで」 「ええっ?!」 足を踏み外す。列車で助けた迷子の顔に、親父さんの柔和な面立ちが被さる。 「中でコケた時、木刀持った親切なお兄さんが助けてくれはったとか。おとん曰く、その人がおらな俺も生まれんかったかもて」 肩を竦める。 「恩人てやっちゃ」 「抱き止めただけで大袈裟な」 「打ち所悪けりゃ死んどった。誰も彼もが自分の事で手一杯な時に気ィ回すお人好しそうおらん、空襲真っ只中の満員電車ん中やで」 金を鋳溶かした朝焼けが眩く空を染め、晴れ晴れ地上を照らす。あの世を抜け、この世に生まれ直す。 「セーフ、ヒグマはいねえ」 朝日が頭ん中を洗い、幽霊列車の残像を消し飛ばす。今じゃぼんやりとした感触しか思い描けない。あの世の記憶はこの世に持ち越せないんだろうか、ちょっともったいねえ。せめて茶倉の夢と板尾の夢だけは残ってほしいと祈る。 俺が覚えてること。茶倉のお母さんがすっげえべっぴんだったこと。お父さんが面白かったこと。食いしん坊なふみちゃんのこと。妹想いの耕作くんのこと。葉月さんにスカートめくりしたこと。戦闘機をぶった斬ったのは痛快だった。 払暁の空の下、テントは元の場所にあった。反射的に駆け寄りかけ、先にやるべきことを思い出す。 「シャベル知んね?」 「ちょっと行った所に落ちてたぜ」 「サンキュ」 「温泉掘り当てるんか」 「俺たちゃ勇者一行だぜ、お姫様助け出すのがゴールに決まってんじゃん」 めざすは昨日の花火の跡、地面が黒ずんだ場所。 勢いよくシャベルを突き刺す。茶倉が俺の足元を見詰め、その場にしゃがんで掘り返す。 「お、おい」 周章狼狽した板尾が俺たちを見比べ、降参した素振りで加わる。しばらく掘り続けると先端が固い物に当たり、無造作にシャベルを投げ、片膝付いて土を掻きだす。 「ぎゃあっ!」 板尾が尻餅付く。茶倉が汗を拭く。ボロボロに擦り切れたゴスロリ服を纏った骸骨は、トンネルから然程離れてねえ土の下に埋まっていた。 葉月さんは雄大に撲殺された。顔の火傷は花火に炙られたから。以上の情報から大体の範囲と場所は絞り込める。 「……」 鑑識入んの考えたら極力いじらねえ方がいいのはわかってたものの、心情的にどうしてもほっとけず、大腿骨の付け根までまくれたスカートをちょびっと摘まんで直しとく。傍らには複雑骨折した日傘が放り込まれていた。 板尾が青い顔で起き上がり、スマホを持って背中を向ける。 「警察っすか。俺たち冥賀トンネル前でキャンプしてたんすけど、地面掘ったらガイコツ出てきて」 「もしもし野崎さん。朝早くすいません、こないだお会いした烏丸理一っす。葉月さんの事、なんかわかったら真っ先に連絡くれって言いましたよね」 穴を覗き込む。 「ここにいます」 手短に事情を話す。 八月六日午前、冥賀トンネル前の空き地にて都内在住の大学生・的場葉月の死体が発見される。 死因は頭蓋骨強打による脳挫傷。第一発見者は私立篠塚高校の学生三人。小池雄大が殺人および死体遺棄の容疑で逮捕されたのは、その三日後だった。

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