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8月13日/夜/花火大会
西空が茜色に暮れなずむ頃、土手の上の舗装路を歩いて近所の河原へ移動する。
「チャッカマンは?」
「ばっちり」
「飲み物どうぞ、川に浸けてたんでキンキンに冷えてますよ」
「あんがと」
八神がビニール袋をあさってラムネを配り、野崎さんが栓を抜いて嚥下する。
「準備できたぜー」
「始めよか」
茶倉が腰を浮かす。俺も移動する。巨大な花火セットを見て、ラムネから口を離した八神が絶句する。
「でっか……ファミリーサイズ?」
「フンパツしちまった」
すっかり日焼けした板尾が照れ笑い、棒花火の先端をチャッカマンで炙る。
「キレ~」
女子が無邪気な歓声を上げ、宙に爆ぜたカラフルな火花に見とれる。
「今年初めての花火だ」
野崎さんが膝を揃えてしゃがむ。八神が手に持った棒花火を渡す。俺はこっそり茶倉に囁く。
「八神から誘ってくれてよかったな、逆に」
「気晴らしさせたろとか余計なお世話やで」
全部お見通しかよ。
野崎さんと八神は意気投合し、時に笑い転げ、時にしんみり話し込んでいる。
冥界トンネルで大事な人を失った同士、根っこの部分で通じ合えたのか。
片や祖母、片や友人の思い出を語り合い死者を悼む女性陣から離れ、天の川が綺麗な夜空を見上げる。
冥界トンネルから生還後、激動の数日が過ぎた。メールのやりとりこそしていたが、茶倉や板尾と会うのも久しぶり。
土手から河原へ下りる石段の最下段に腰掛けりゃ、隣に座った板尾が微妙な顔で俺を見る。
「聞いていい?」
「どうぞ」
「ほっぺのばんそこ……親父さん?」
「ぶん殴られた」
勝手にキャンプ道具持ち出した上、心霊スポットでテント張ったのがバレたのだ。そりゃキレるわ。
「姉貴にゃ詳しく聞かせろって纏わり付かれるしもーさんざんだよ。板尾は?」
「自粛明け。やっと外出許された」
「お疲れさん」
「お互い様。お前は」
一個上の段に掛けた茶倉がそっけなく答える。
「別に」
「別にって」
「ババアは地元の名士やで、事情聴取もさわりだけや」
「怒られなかったか」
「裁判沙汰になるとか弁償させられたわけやなし、軽いお灸据えられた程度や」
ホッとした。それが一番心配だった。
現在。冥賀トンネル付近にゃ警察の規制線が張られ、報道陣と野次馬が詰めかけている。
幸か不幸か心霊スポットとしての知名度も飛躍的に高まり、一気に全国区に躍り出る格好になった。
トンネルの歴史と葉月さんの事件を結び付け、呪いだの祟りだの書き立てた記事も出回ってる。
「野崎も叩かれとるみたいやな」
「なんで?だまされたんじゃん」
「人死に出た心霊スポットでパリピが肝試し。世間様的には不謹慎な所業やろ」
「あー……」
「戦争絡みっちゅうんもまずい」
「俺らも同類だけど。はははははは」
板尾の語尾がため息に紛れる。スマホで検索を掛け、ツイッターに並ぶ罵詈雑言を見直す。
「『馬鹿』『自業自得』『高校生にもなって肝試しとかうける』『和製スタンドバイミーかよ』」
いちいち読み上げちゃへこむ俺の手からスマホを奪い、横手の草っぱらにぶん投げる。
「俺のスマホ!!」
慌てて取りに行く。
「鬼畜!外道!壊れたら弁償しろ!」
「川に投げんかっただけ優しいやろ、安物は防水加工してへんもんな」
しれっと開き直る。コイツ嫌い。液晶にこびり付いた泥を拭い、壊れてないのを確めて息を吐く。
板尾が腹を抱えて笑い出す。その肘が瓶を倒し、盛大にラムネを零す。
「もったいねー。けど大丈夫、三分の一残ってる」
「ズボンにかかっちまった」
素早く瓶を掴んで戻す俺をよそに、板尾は情けない顔で股間を見下ろしていた。茶倉が腰を浮かす。手にはパチパチ爆ぜる棒花火。
「乾かしたる」
「「え゛」」
板尾と抱き合い縮み上がる。
「冗談や」
「お前の冗談は冗談ってわかんなくて怖えんだよ!」
「板尾の股間がビッグバンしたら笑えるやろ」
「大惨事だよ!」
「スモールバン?」
「サイズの話じゃねえよ!」
「イキんなやポークビッツ板尾」
「フランクフルトだ!!」
こらえきれず吹き出す。男子の馬鹿丸出しコントを眺め、髪をかき上げた野崎さんが呆れ返る。
「なーにやってんだか」
口元には隠しきれない笑み。八神もくすくす笑っていた。
花火大会も佳境に入る。川の水を汲んだバケツには燃え尽きた棒花火が突っ込まれ、残ってんのは線香花火だけ。
ポークビッツ板尾改めフランクフルト板尾が、和紙のこよりを持ってチャッカマンの炎に近付けてく。茶倉は怪訝な顔。
「線香花火?」
「見たことねえの?」
「関西のはもっと地味で茶色い」
「種類が違うのかな」
興味を引かれスマホで調べる。
「関東の線香花火は長手牡丹、関西のはスボ手牡丹っていうらしい。こっちは米作りよか紙漉きが盛んなもんで、持ち手部分を和紙で代用したんだとか。ちなみにスボの語源は藁スボ、稲藁のことな。コイツの先っぽに火薬を付けたのがはじまり。以上、トリビアでした」
「東に下ったんか。スボ手が元祖で本家やな」
「出ました関西人マウント」
比較画像を凝視。関西は全体的にシンプルでより線香っぽく、関東は金魚のヒレみたいな飾りが華やかで遊び心を感じる……が、大阪生まれの茶倉はお気に召さなかったようだ。
「チャラチャラしとって好かん」
「かぶいてるだろ?」
「ビラビラに燃え移らんか」
「心配性だな」
「火事と喧嘩は江戸の華やろ」
俺、八神、野崎さんの順に火をともす。仏頂面の茶倉に視線が集まる。
「え~お立ち合いの皆様、本日は茶倉くんの長手牡丹デビュー記念日となります。何卒盛大な拍手を」
「仕切んな」
「盛り上げようとしたんだぞ」
「頼んどらん」
「喧嘩しないでほら」
「おめでとー茶倉くん」
「おめでとさん」
ぱらぱら拍手。みんなノリがいい。
「ん」
チャッカマンを突き出し、茶倉の分に火をともす。川のせせらぎが響く闇に、暖色の火球がともる。
「線香花火の燃え方は四段階ある」
オレンジの照り返しを受け、ぞくりとするほど艶っぽい唇が囁く。
「蕾」
大きくなったり小さくなったりを繰り返していた火の玉が、力強い火花を生み出す。
「牡丹」
次第に勢いを増し、沢山の火花が散る。
「松葉」
一本また一本とオレンジの流星雨が落ち、光の衰えた火の玉が白く縮んでいく。
「散り菊」
ぽとりと落ちる。
一同黙り込んで花火に見入る。河原は暗いがここだけ明るい。八神の俯き顔に物憂い影が踊り、野崎さんの瞳がしめやかに濡れ、板尾が寂しげに魚住を悼む。
「バイバイ」
ぽとりと落ちる。
「葉月……」
ぽとりと落ちる。
「またな」
ぽとりと落ちる。
茶倉は唇を結んだまま、蛍の光のような、豆電の瞬きのような、儚い輝きを瞳に映す。
花火の中に誰を見ているのか、わかった。
団地の駐車場で両親と男の子が線香花火をしている。バケツのそばにしゃがんだ男の子は熱心に火薬の坊主頭を見詰め、眼鏡を掛けた父親と色白の母親が微笑を交わす。
線香花火が生んだ幻が切なくて苦しくて、わざと明るい声を出す。
「来年もやろうな」
あの世の記憶はこの世に持ち越せねえ。こうしてる今もトンネルの体験はどんどん薄れ、淡い夢のようにしか思い出せなくなる。
でも。
それでも。
生きてる誰かが死んだ誰かを想い続ける限り、死んだ誰かが生きてる誰かを想い続ける限り、冥界トンネルはあの世とこの世を繋ぎ、死者と生者の逢瀬を許してくれる。
俺の言葉に板尾と八神と野崎さんが微笑み、一瞬きょとんとした茶倉が、とてもいい顔で笑った。
「忘れんなや。取り立てにいくで」
もうすぐ夏が終わる。
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