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狼は白薔薇を訪れる

 軽いノックの後、扉が開いて、するりと細い身体が影のように滑り込んで来る。  くるくると巻いた黒い髪。溶けた銀色の瞳のわたしの狼。愛しいローだ。  どきんと心臓が音を立てて一気に早足になる。どうしても頬が緩んでしまう。  銀色の瞳がわたしを認めると、優しく微笑んだ。  手には紙で包まれた物を持っている。 「板は取れたんですね」  言いながら、ローが足音を立てずに近づいて来る。  ローは耳が良いから、ドキドキしているこの心臓の音も聞こえているんじゃないかと思って恥ずかしくなる。嬉しくてしょうがないんだから、どうしようもないんだけど。  ローは包みを脇に置いてあるテーブルに置くと、静かに椅子に座って、わたしの手を取ると板と包帯の取れた手をじっと見た。  所々色が変わっているが自然に治ると判断されたから、状態は昨日と変わっていない。 「痛みはないんですか?」  ローが手をゆっくりと擦る。その優しい手つきに顔が熱くなってしまう。  答えなければならないのに、緊張して言葉がなかなか出てこない。 「ぜ、全然ないわけじゃないけれど、昨日までの痛みに比べたら全然平気だから、このまま治すよ」  ちょっと心配そうにローが首を傾げてわたしを見る。銀色の瞳がゆらっと揺れて、それが滅茶苦茶素敵で、口から心臓が飛び出そうだ。  ……ものすごくキスしたい。  たちまち薔薇の匂いが辺りに漂って来て、自分の体質を声を上げて呪いたくなる。ぴくんと頭をあげたローがゆっくりと微笑んだ。気付かれてしまったようだ。いや、気付かないわけはないんだけど。 「ど、どうせ、ローにはバレちゃうんだよね!」  捨て鉢に言って髪の毛を払うと、わたしはベッドからローに飛びついた。正座するみたいにローの足の上に乗って、失敗してしまったと慌てた。  横向きに座り直そう身体を動かすと、ローの手が背中をしっかりと押さえて動けなくする。もう片方の手が足を撫でた。びくんと飛びあがると、足の間にローが身体を捻じ込んできて、気がついたらローの身体を挟むように座らされていた。  隙間なくお互いの身体が密着している。  病院から借りた裾の長いガウンはたくしあげられていて、わたしの足は丸見えだ。  ローの指先が生の足に触れて、そのまま上へと撫で上げて来た。  熱い手のひらの感触はとても気持ちがいい。 「ん……っ……」  声が出てしまう。  なんだろう……ざらっとした舌で舐められている様なそんな感じ。  これ、前にも感じた。  「ね?ロー……気を流してる?」  「……?……いいえ。」  背中を滑り降りる手に漏れそうになる声を押さえた。  無意識でやっているのか。  体術家であるローは無意識で足音を殺している。  それと同じように、きっと少量の気を常に纏っているに違いない。  敵の気配を感じたり、大きな気を練るための呼び水にそれは使われているのではないだろうか。  気を常に纏っていたのであれば、もしかして──  ある疑問が頭をよぎる。 「ね?アーシュには触ったことないって言ったよね?」  意地悪な質問だと解ってはいたけど、確かめたくて仕方ない。  ローの瞳が揺れて伏せられる。 「そうですね。  服の上から……といっても、よろけたのを支えたくらいならありますけど、直接はないと思います。  アーシュは俺に触られるのが……嫌いだった」  暗い瞳をしたローが、あちらこちらに手を泳がせる。手のひらがなぞる場所全てが熱くて、身体が震えるのを止められない。 「あなたは……好きみたいですよね」  ローが嬉しそうに微笑む。  アーシュの冷たい拒絶の後のわたしの反応は、ローの自尊心をくすぐるらしい。喘ぐ声を抑えながら、ローの肩口に額をつける。 「ローが触ると…前に気を流してくれたじゃない?あんな感じなんだ。  わたしはエルフで属性が光だから、ローの気が通りやすいんだと思うけど……普段からローは意識はしてないけど、気を纏っているんじゃないかな?」  試すように、もう一度ローの手がわたしを撫であげた。どうしようもない快楽に震える身体に呼応するように、薔薇の薫りが強くなる。  ローが、少し焦点の合わない目でわたしを見た。 「あっ……っあ…!!」  さっきより強い、はっきりした快感が背中をなぞる。 「こんな感じですか?」  静かにローが尋ねる。  わたしはこくこくと頷くと、たまらずにローと唇を合わせた。お互いの間の熱が熱い。ローがわたしの腰をつかんでぐりぐりとこすりつけて来る。大きく喘いだ口の中をローの舌が蹂躙するように動く。  長いキスを終えると、その快楽に涙目になりながら弱々しく言葉を繋ぐ。 「あ、アーシュは…多分、ヤミの眷族だったんだと思う。北方のヤミ国は滅びたとされているけど、生き残っていたのかな。オオカミ族の中にどうやって紛れ込んだのかわからないけど……  ローの気はヤミの者には毒なんだ。だから、触れさせることが出来なかった。  もし、触れることが出来たら呪って殺すより、傀儡にして使っていたんじゃないかな?」  傀儡という言葉を聞いた瞬間、ローの耳が後ろに回る。ふわっと髪の毛が逆立って、銀の瞳が細くなり鋭い光を放つ。 「俺は、傀儡になる訳にはいかない。俺が自分の意思に反して誰かの奴隷になることは、大きな災いになります」 「わかるよ。ローは強いから」 「……俺は俺を傀儡にしようとする者を殺します。それが誰でも。 ……でも、失敗したら、自分の命を絶たなければならない」  誰でも……例えそれが、アーシュでも。  そして失敗したら────命を断つ覚悟をしている。 「誰かから何か言われたの?」 「マーカラム師からです。 師からは傀儡にしようとした者を仕留めろとしか言われていません。が、失敗したら意識が乗っ取られる前に、俺は死なないといけない」 「そんなのダメだ」 「仕方ないんです。俺は……俺の持つこの力は危険すぎる」  ローがわたしの頬を撫でる。 「俺にあなたを傷つけさせないで欲しい。 傀儡になった俺があなたを手にかけるかもしれないと思うだけでも、今、死ぬ理由になる様な気がするんです」  この死にたがりの狼はわたしの命だ。  ローの後ろを向いた耳を撫でる。撫でるうちに、ローの瞳の険しい色は消えて、くすぐったそうな、どこか気持ち良さそうな色が浮かぶ。 「ローが命を落とす時は、わたしも一緒だ。 必ずローを守る。守りきれない時はわたしがローを殺してあげる」  器が完全に砕けるほどの魔力を使って。  ローがダメだというように頭を振る。わたしはそんなローの頬をはさむと痛みを浮かべる瞳を覗き込んだ。 「でもね。わたしはローと沢山一緒に居たいから。  まず、アーシュを捕まえるつもりだし、ローが呪いにかからない方法も捜すつもりだよ?マーカラム師も何か捜してくださっているのだろう?」 「護符を作ると。  一度だけ呪いを返せるから、その間に術者を倒すようにと言われました。  ──真の名を変えることや、先に呪いよりも強い契約を結ぶことも話されましたが、いずれも危険ですから」 「真の名を変えるのはダメだ。ローがローでなくなる。  契約は?オオカミ族の《契約インクルード》は有名だよね?今は禁呪になってるんだっけ?」 「そうですね。あれでオオカミ族は衰退したんで、今は禁呪とされています。術式やなんかも若いオオカミ族は知らない」 「詳細とか聴いていいのかな?」 「……いろいろ微妙な話なんです。 《契約》に関してはいろんな悲劇があって……内容については秘匿されている。 話せることもあるけど、あなたは賢いから、俺の話からでも、話してはいけないことを理解してしまうかもしれない」 「そうか……。まあいいや。護符が来れば一息つけるし」  わたしはローにキスした。唇を離して口元で囁く。 「っていうかさ。 そんなに想ってくれてるのに、気持ちがはっきりしないとか、なんでなんだろうね?」  ぴくりと耳が動いて、伏せられる。 「……だから、俺はヘタレだって言ってるじゃないですか」  恥ずかしそうに俯いてしまうローに身体を密着させながら、わたしは微笑んだ。 「そんなローも愛してるよ。わたしはとても幸せだ」  ローの腕が背中に回って、優しく力がこもる。  手のひらの上の小鳥の雛をそっと抱き締めるように。心のままに振る舞えば、わたしの骨が砕けてしまうから。  ローはとても優しい。  わたしは甘い吐息を吐くと、そっとローの肩に頭を乗せた。

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