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白薔薇は選択する(3)

「やっぱり……あなたは敵にしておくには厄介な相手だ」  魔法を唱えようとするアーシュにパトリックが斬りかかる。防御の魔法がそれを凌いだ。押されて後ろに下がったパトリックが頭上の剣を回す。回された刀身の光が強くなった。 「引くならば今だぞ、狐よ」  挑発する王の唇が優雅に弧を描く。 「どうして僕が引くと思うのかな?」  細い体にゆらり黒い気が纏わりついた。  金属で片側を覆われた顔が邪悪に微笑んだ。両手をゆっくりと広げると、体から噴出す黒い気に呼応するように、その場にいたワイバーン達が一斉に咆哮をあげた。  つんざく叫び声にその場にいた者はすべて耳を塞ぐ。 「こんな数匹のワイバーンだけで、あなたを始めとする国王軍やエルフの親衛隊となんて不自然でしょう」  アーシュが嘲るような笑い声を上げる。 「ヒトはもう忘れてしまったのかな?この辺りはかつて闇の王国が支配していた。この地でヒトと闇は争い、闇を払ったヒトはその場所に浄化の陣を張り、その上に都市を作った」  打ち倒されて行くワイバーンを喜悦の目で見詰める。 「ワイバーンの穢れた血はこの地の浄化の陣を消し去り、ヒュドラの再生の力がこの土地の下に眠る闇の軍に再び力を与える」  あちこちの地面にこぼれたワイバーンの血が土に吸い込まれるように消えていく。  ぼこぼことあちこちで土が盛り上がり、緑と灰色の手が土を掻き分ける。 土から這い出たそいつらはゆらりと起き上がると、その大きさからは想像も出来ないような速さで襲い掛かってきた。 「こいつらは贄だよ。元はオークだった屍食鬼グールを呼ぶための」  闘技場のあちこちで悲鳴が上がる。外からも聞こえてくるようだ。  そこから起きた事は悪夢のようだった。  地中から這い出した手が王の足首をつかんだ。 「連れて行きたかったけれど、ルーカス王。あなたは賢すぎる」  つかんだグールの手を王が切断し、それを避けようとしたが遅かった。 王の周りに魔法陣が浮かぶ。  その意味に気付いて声が漏れる。アーシュは王の呪いを解き、王の身中の闇を解き放って王を殺すつもりだ。  気が付いたパトリックがアーシュに切りかかったが、防御の壁に剣が弾かれる。  遅い。遅すぎる。  そしてまだ、パトリックの気は集まり切っていない。  青い刀身の輝きはまだ完全とは言えなかった。  だが。  やるしかない。 「撃て!」  パトリックが理解してくれることを祈りながら叫んで、王をターゲットすると増幅の魔法を唱える。  音の高低を右手に。  そして間髪入れずに同じ呪文を左手に。  うまく行きますように。  動かないローを見下ろして、心の中でそっとキスをした。  多重魔法を初めての魔法に、しかも高速魔法で唱えるなど無謀なことだ。だがしかし、今はもうこれしか方法がない。  出来うる限りの速さですべてを終わらせなければ勝機はない。 「ライトニング!」  パトリックが叫びと共に剣を振るった。刀身から青白い雷がアーシュの方に放たれる。 「どこを狙っている?」  避けたアーシュの体を逸れて、パトリックのライトニングは王の体に向かって行く。右手の指を弾いた。増幅の魔法の輪が王の体の回りを踊る。  ライトニングがその輪の中を駆け巡り光を強くする。  左手を弾いてもう一つの増幅を発動する。  魔法の輪がそこに重なり増幅されたライトニングを更に増幅させる。回るライトニングが速度を増した。凝縮された光は白銀に輝いている。  白銀の珠は王の胸に突き刺さり、王の中へずぶずぶとめりこんでいく。  王の叫び声が辺りに響いた。  増幅の魔法が消えたが、王の周りの魔法陣は消えない。  ライトニングがアーシュの解呪の呪文を消してくれればと思ったのだが無理だったようだ。 「パ……ト…」  胸を押さえ、荒い息をつきながら王が恋人を呼んで地面にうずくまった。 「ルル!」  パトリックがグールを切り捨てながら駆け寄って王を抱き寄せる。  はあと息をつくと右手に吸引の呪文を乗せる。左手には増幅の魔法を乗せた。  もう少し、もう少しだけ待ってくれ。  アーシュの詠唱が終わるのと、わたしの詠唱が終わるのはほぼ同時だった。  どうか……どうか……。  王の身体にまがまがしい紫色の螺旋が浮かぶ。それには銀色の光が絡み付いていた。どくどくと蠢く螺旋とそれを締め付ける銀の光。  ぐずっと紫の螺旋が崩れ、その残滓が地面に落ちていく。  役目を果たしたとばかりに銀の光が弱くなり始めた。  待って!行かないでくれ!!  その時、わたしの手のひらに小さな銀の光の筋が飛んで来た。それは手のひらでくるくると丸くなると、喜びを表すように光を瞬かせた。王の身体から行く筋もの銀の光がわたしの体を伝って手に集まり、円を大きくして行く。  触れていくそれは、確かにローのものだった。  呼ばれて振り返ったローがわたしを見て微笑むように、役目を果たして消えようとしていたローの気がわたしに気がついて微笑みながら集まってきているかのようだ。  メリー?  そう呼ばれた気がして、微笑が口元に浮かぶ。  そうだよ、メリーだよ。みんな戻っておいで、ローの所に帰るんだ。  銀色の光はどんどん大きくなって行く。暖かくすべてを清めるかのようなその色はローそのものだった。  光の筋が絶えると、指を鳴らして増幅の魔法をそれに重ねる。  大きく膨らんだそれをそっとローの身体に押し付けた。  銀色の光がローの身体に吸い込まれて行く。  わたしにとってはとても長い時間に感じられたそれは、実はとても短い時間だったに違いない。  うまくいった。  感嘆の声が口から漏れる。  光に包まれるローの身体に、どんどん生気が満ちていく。  ああ、ローが目を開けてくれさえすれば。  最期にローの目が見たい。  見て安心したかった。  キスをしたい。  抱き締めて、愛していると言って欲しかった。  その時、例えようもない苦痛が身を焼いた。 「よくも……」  うつろな目を声の方に向ける。 「台無しにしてくれたな!」  怒りに醜くゆがんだアーシュの指からは紫の炎があがっていた。自分を焼いたのが闇の魔法だと気がつく。  追撃があるだろう。  防御の魔法を唱えなければ……  激しく痛む頭を振ると弱々しく手をあげて、防御の魔法を唱えて、指を鳴らす。  防御の魔法がわたしとローを包んだ。  カシャン  胸の辺りで何かにひびの入る音がした。  繊細なガラスの細工が割れた時のような音。  カシャン、シャン、カシャン  その音がどんどん大きくなって、何が起きているかに気がついた。  ぎゅっと胸をつかんでよろりとローの傍に座り込む。  ローはまだ目を開けない。  最期にローの目が見たい。溶けた銀の瞳が微笑むのを見たかった。  ああ、わたしはどこかで覚悟していたのか。  さっき……最期にローの目が見たいとわたしは思った。  ローと王のどちらも。  二つの命を救う為には、何かが失われるだろうと心のどこかで理解していた。おそらくはこの世界を救うことになるだろう二人の命。それを救う為には、何か対価が必要になるだろうと。  自覚していたら躊躇ったろうか?  いや。  微笑みが口に浮かぶ。  何度でもそうするだろう。  ローを助ける以外の選択肢などあるわけがない。  もう少し持たないだろうか。  苦しい息を吐いた。  ローの頬に触れる。  その肌は暖かい。  また胸で何かが割れる音がする。  体から力が抜けて行く。ゆっくりとローの胸に頭をつけて、力強い鼓動を聞いた。  瞼が震えているように見えるのは幻だろうか。  決定的に何かが砕ける音がした。  体中を激痛が走って、声が漏れる。痛みに反射的な涙が浮かんだ。 「愛しているよ」  お守りの呪文のようにそれを口にすると、ほんの少しだけ痛みが薄れる。  暗くなっていく視界の最後、銀色の瞳が開いた。  一瞬だけ触れ合った眼差しが心を喜びで満たしていく。  そして何かが切れるようにわたしは暗闇に包まれた。

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