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狼と白薔薇は結婚する(5)

 罰の悪そうな俺に王が微笑み掛ける。 「抜け出した事を咎めに来たわけではないのだ」  俺の腕の中のメリーを見ると、王の微笑みが微かに揺らぐ。 「そなたの望んだこととはいえ、これが正しいことなのか……」 「どうか、その祝福を俺に与えることを躊躇わないで下さい」 「君は……これを祝福と呼ぶのかね?」  老いた瞳がうるんで、涙が落ちる。  まだ十七歳でしかない俺がメリーを愛し、成るかどうかわからない延命の為に命を賭けるのは、傍から見れば悲劇的なことなのだろう。  俺はメリーを片手で抱きなおすと、王の手を握って微笑んだ。 「祝福以外の何だと言うのですか?  俺とメリーは一緒でいいと…………どこまでも一緒でいいのだとあなたは許してくれた。俺はそれがとても嬉しい。  この先にどんな嘆きが待っていたとしても、最後には俺とメリーは一緒にいることが出来る。  それは素晴らしい祝福以外のなにものでもありません」  王が俺の手を握り返した。 「メリドウェンは……善い伴侶を得た」  涙の浮かんだ王の目に俺は微笑みかける。  俺は何も憂いていなかったし、恐れもしていなかった。  ただただ、メリーとずっと一緒にいれるのだという嬉しさだけが俺の中にあった。  王は頷いて顔を寄せると、俺の耳の側で美しい音楽のような言葉を呟いた。  ぴくりとメリーが頭をあげた。  自分の真の名を呼ばれたので反応したのだろう。  それは俺の知る言葉ではなかった。 「水の中の炎という意味だ。メリーが炎の妖精を身に宿していることは既に妻によって予言されていたのでな。  王家の人間は創世の神の言葉で真の名をつけられる。  我々が真の名を盗まれ、操られることはその地位からあってはならぬこと。神の言葉は風が吹く音や光が差す様が言葉で表すことが困難なのと等しく、文字や音にすることが難しい。  耳で覚えてほしい」  ゆっくりとした静かな音がまた耳に流れた。  俺はそれを繰り返した。  王がメリーを呼び、俺がそれを繰り返す。  何度か呼んだ時に、王が頷いた。 「もう一度」  俺が名を繰り返すとメリーが腕の中で花が綻ぶように微笑んだ。王がもう一度頷いて、俺の肩を軽く叩いた。 「それがメリドウェンの真の名だ」  メリーを抱きしめて、耳元でその名を囁く。  メリーがすりすりと鼻をこすりつけて来て、二人で微笑み合った。 「塔に行くがいい」  王が俺達の行き先を示す。それは俺達が最初に過ごしたあの塔のことだった。 「今宵、どんな者もお前達の褥に近づける者はいない」 「ありがとうございます」 「お前達に創世の神の加護があるように祈ろう」  俺は頷くと踊るような足取りでメリーを抱いて塔に向かった。  塔の周りに数人の魔法使いがいて、内側から戸を開けるまで続く結界を貼る。それが終わると彼らは去って行った。  部屋の中に入り、戸を閉めると結界が立ち上がる気配を感じる。  中は暖炉に火がおきていて温かく、寝床は綺麗に設えてあった。寝床に散らされた白い薔薇の花びらがなんともいえない芳香を放っている。 「あなたの匂いがする」  くんと空気の匂いを嗅いで微笑んだ。  メリーがまねをしてくんくんと犬のように鼻を鳴らす。 「いい匂いですね?」  あどけなく微笑むメリーをベッドの上に乗せて、その手を握る。  お互い立ち膝をついて向き合うと、メリーが首を傾げて不思議そうに俺を見た。  こつんとメリーの額に自分の額をつけて、ゆっくりと鼻をこすりつける。  上手く行くだろうか。  曇ったメリーの目をじっと見る。  信じきったメリーの目に心が湧き立っていく。 「メリー?俺達の遊びを覚えていますか?」  メリーが首を傾げる。 「俺とメリーで遊びましょう」  にこりと笑うとぱっと何か思いついたメリーがうんうんと頷いて、顔を輝かせる。 「メリーは本当に賢い」  軽くキスをするとキスが返ってきた。  俺はひどく昂ぶっているようだ。得られるもののことを考えれば、それは当然のことなのだが。メリーの手を握りつぶさないように気をつけながら、美しい顔をじっと見た。石膏雪花(アラバスター)のように白い肌。つやつやとした唇に、染まったピンク色の頬。曇っていても暖かさを湛えた水色の瞳。  優しく微笑んだメリーの姿。 「あなたは本当に美しい」  最後にそう囁くと、メリーがあどけない笑みを浮かべて唇をちゅっと吸ってきた。唇を吸い返して、水色の瞳に微笑みかける。  涙で汚れた目じりをぺろりと舐めあげると、メリーがくすぐったそうに笑った。  俺は絶対にこの日を忘れないだろう。  このメリーの姿を忘れる事は出来ないだろう。  痛んで泣き出してしまわぬように、メリーの痛みを気で遮断してから、小指の先にそっと歯を立てる。ぷくりと膨らんだ血を舐めて、自分の指にも歯を立ててメリーの口に含ませる。味がするのか、メリーの舌先が傷をなぞる。  指を引き抜いて、そっとメリーの真の名を呼んだ。  メリーがふるりと震えて、ぱちぱちと瞬きをする。 「愛しています」  キスをすると、メリーが輝くような微笑みを浮かべて、俺の真の名を唱えた。<深淵>を意味する古代のオオカミ語をメリーが口にすると、メリーの瞳の曇りが晴れていく。  身体中を締め付ける痛みを感じながら、現れた賢いメリーの姿に俺は息を飲んだ。自分の周りに金色に輝く魔方陣が現れた。ぐるぐると回るそれの中心で体の中を荒らすように這いまわる魔法の力を感じた。  締め上げられる感覚に、激しく息を吸い込む。  痛みに声が漏れた。  締め上げる力が首の周りに集まってじりじりと肌を焼く。 「や!や!」  苦しむ俺を見たメリーが動揺して魔法陣を手で消そうとする。 「……メリー……大丈夫です」  震えながらメリーが俺に抱きついてくる。  細い腕を撫でながら、痛みに耐え続けた。  メリーが痛みを感じていないのがありがたかった。  メリーはエルフの純血で、オオカミの血は入っていない。だからメリーにはこの術はかからない。メリーは俺の死の影響は受けないということだ。  俺が死んでもメリーは死なない。  そして、メリーに繋がれた俺はメリーを強化する。  俺達二人を強化するのだ。  心臓が狂ったように動いている。  そこから吐き出される血が、身体に流れる度に痛みと変化をもたらしていく。もう耐えられない……口から叫び声が漏れた。  その瞬間、魔方陣が霧散して、俺はベッドの上に崩れ落ちた。 「ろ!ろ!」  気を失っていたらしい。  メリーの泣き声で目が醒めた。  ぐいぐいと押してくるメリーに促されるままに仰向けになると、メリーが顔を両手ではさんで覗き込んで来た。  澄んだ目のメリー。  もしかして……希望が胸に芽生える。  震える手でメリーの頬に触れた。 「メリー?」  掠れた声で呼ぶと、メリーの目から涙が零れる。 「ろ、ろ……」  うえっと泣く声、幼い囁き。  メリーがせわしなく瞬きをする。次にそれが開いて覗き込んだ時、もうメリーの目は元のどこか曇った幼いメリーの目に戻っていた。  感じてはいけない痛みを押し殺す。望んではいけない希望を抱いたのは俺だ。それが潰えたとして、このメリーにそれを見せてはいけない。  メリーに触れた指先から力が湧きあがるのを感じた。  全身の毛が起き上がるような感触。  体の中で急速に気の力が練りあがって行く。  練りあがった気がメリーに向かって流れ、そして戻ってくる。  今までは俺はメリーに気を与えていた。  与えた気はいずれ失われ、それとともにメリーは衰弱して行った。  だが、《契約(インクルード)》を終えた俺達は完全に結ばれた存在になった。俺の中に流れる気はメリーを流れ、そしてまた俺に戻って来る。  びくんとメリーの身体が跳ね、はあと息を吐く。  メリーの眉が寄り、白い歯が唇を噛む。 「痛みますか?」  不安を感じて尋ねると、メリーがぷるぷると頭を振る。  ほっと息を吐いて、メリーを抱き寄せた。腕の中のメリーは震えている。見上げた涙目がどうしようもない情欲を伝えてくる。自分の欲を押さえてメリーが足をよじった。  俺の苦しむ様を見て怯えているのに、身体は欲を溜めている。  どうしてそうなるのかわからないのだろう。 「ろ……」  メリーが泣き声をあげて、俺を呼ぶ。  俺から巡って行く気の力がメリーを煽っているのに違いない。 「や……」  ふっ、ふっと息を吐いてメリーが欲望を殺そうとしている。どうにもならない熱にメリーが叫んで身をよじった。  叫ぶ唇を奪い、舌を嬲る。  混乱し、苦しむメリーを見たくない。 「ろ?」  戸惑って言うメリーに俺は誘うように微笑みかけた。  快楽と苦悩の間で苦しむのなら、快楽に沈めてしまえばいいのだ。  メリーの頬がじわじわと赤くなり、はあと息を吐く。 「キスをして……メリー」  微かに唇を開いてそう囁くと、こくりとつばを飲み込んだメリーが唇を重ねてきた。きっちりと着た衣装の帯を解き打ち合わせから手を差し込んで、滑らかな肌に指を這わせる。 「ん……あっ……あ……」  メリーが快楽の声をあげる。  そうしている間も俺の気は二人の間を巡っていく。  それは高級な酒が喉を焼くように、俺達の中を焼きながら流れて行った。  俺の指がメリーを撫でる度、細い身体がびくりと跳ねる。 「ひ、あ、あ、んあ!」  脱がせる間を惜しんで、ぐいと開いた身体に唇をつけるとメリーが高く啼いた

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