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落ち穂拾い的な 素が出る瞬間

 ホテルから居を移したマンションで、いってらっしゃいと見送り、扉が閉まった玄関で少しだけ期待するように立ち尽くす。  だからと言って惟信がすぐに帰ってくることはない。  できる限り傍にいてくれようとはするが、それでもすべての仕事を室内で行えるわけではなかったから、ごくたまにこうして出かけねばならなかった。    「仕事なのはわかってるけどー……」  透明はすねた顔で唇をつんと尖らせた。  トントントンと足を鳴らしながらくるりと振り返り、肩を落としながら「寂しいんだってば」と声に出す。  惟信の前では絶対に使うことのない言葉で、滔々と「寂しい」「会いたい」「拗ねるから」……と言葉をこぼし続ける。 「さっさと帰ってきて、ぎゅーってして、愛してるって言ってくんなきゃ、怒るんだから。あまーい声で、優しーく!あ、い、し、て、る!って」  肩を落としながら、瞳に傷の入ったクマのぬいぐるみに向けて言い聞かせるように言う……が。   「愛しているよ」  耳元で聞こえた惟信の声に透明は「ぴゃっ」と声を上げて飛び上がった。 「は⁉ 惟信様⁉ な、な、なぜ⁉」 「忘れ物を思い出してすぐに引き返してきたんだ」 「あ、あ、ぁ……あ。あ。  あ、あー……あのっ、き、聞かれました よね?」  惟信は小さく苦笑をしてみせて、「最初のほうからね」と言って今にも崩れ落ちてしまいそうな透明の体を支えた。  羞恥からか怒りからか……ぶるぶると震える透明は返事を返せないまま、口をパクパクして顔を真っ赤にしている。 「き、聞かなかったことに……」 「聞いてしまったからね。いつもと違う口調の透明がすごく新鮮だったよ」 「あの、それはっ……旦那様にはきちんとするように躾けられていますので  」  ぎゅっと後ろから抱きしめられたせいで逃げられず、透明の足先だけがジタバタと暴れだす。 「次からはその口調で話してもらえる?」 「できません!」 「だって、いつもは凛としてて格好いいんだ。だけど俺だけに見せてくれる姿って言うのを見せてもらえると、嬉しい」  「嬉しい」と口の中で繰り返し、透明は「無理です無理です無理です……」と言葉を繰り返し続ける。  けれどしっかりと自分を抱きしめる腕は緩む気配を見せず……  透明はうろたえながらも、しっかりと抱きしめて離さない惟信の腕時計を見た。  そこに動く針は、とっくに出る時間を過ぎてしまっている。 「惟信様! お時間が   」 「んー……」  返事はどこかそっぽを向いたかのようで、仕事の時間だからと焦りだしたのは透明一人のようだ。 「っ……遅れてしまいます……っお、遅れるよ! 早く仕事に行かなきゃ!」  ぶわりと顔を真っ赤にして叫んだ透明が、渾身の力を込めて惟信の腕の中から逃げ出して、すがるようにクマのぬいぐるみを抱きしめる。 「ふ はは! ああ、いってくるよ」  その慌てた様がかわいらしくて、惟信は抑えきれない笑顔のまま出社していった。 END.  

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