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この恋は不幸でしかない 1

 小さな手が振られ、「ほたるせんせーさようなら」とにっこりとした笑顔で挨拶をしていく。  丸い頬にさした赤みにほたる先生こと、緑川穂垂は自然と笑顔になって手を振り返した。  パステルカラーを基調とした壁紙と遊具、そして壁に貼られた数々の幼い子供が描いた絵に囲まれたこの保育所はどこを見ても柔らかな印象で、どこか夢の中にいる気分だ……と手を下ろしながら穂垂は思う。  そしてほんのわずかに、真夏の彩度の高いギラギラとした風景を思い出して……胸の痛みにそっと目を閉じる。  光の眩い季節に出会ったαのことを思い出し、泣き出したくなったのを堪えるようにして業務へと戻るべく、頬をぺちぺちと叩いた。  昔からの夢だった保育園の先生にやっとなれたのだから、ぼんやりとしている暇なんてない。  生徒達のお迎え対応にその合間に業務報告、日々の雑用や片づけや、遊戯の準備も……  憧れていた時には見えてこなかったそう言った雑事だったけれど、穂垂はそれも楽しくて仕方がなかった。  一昨年、穂垂は運命と出会った。  日本人口の全体の約70%が無性で、約29.7%がβで残りの0.2%くらいがα、そして一番数の少ないΩは全体の0.1%程、しかもその中でも特別な一対の存在である『運命の番』はただの噂と言われてしまうほど滅多に表れないαとΩの番のことだ。    出会った瞬間にわかり、まるで魂がぴたりと沿うような感覚に襲われる。  もう二度と離れたくないと思うし、その多幸感は人生で感じることのできるもっとも素晴らしい幸せの一つだ と言われている。    穂垂はそんな存在に出会い……そして別れを告げられてしまったΩだった。  祖父と孫ほど年が離れていたけれど、運命の相手なのだと言う確信と共にそんなことがどうでもよくなって、ほんのわずかな期間傍にいただけだったけれど、その記憶だけでも穂垂はどれほど幸せだったかを思い出せる。  けれど幸せな思い出は同時に「面倒だから」と言って別れを告げられてしまったシーンも連れてくる。  彼との思い出を思い出す時はいつも幸せだったが、最後は項垂れた気持ちで終わってしまっていた。  落ち込んで……落ち込んで、何も手に着かない一年を過ごし、ボロボロの精神を引きずってやっと普通に生活できるまで戻ってこれたのだから、落ち込まないようにしないと と穂垂は頬をぱちぱちと叩く。 「ほたるせんせい! さようなら!」  他の子よりも幾分はっきりと落ち着いた言葉で声をかけてくるのは、たけおみだ。  年相応と言うには少し硬めの口調を少し舌足らずに話してくるのが可愛い、大きな目元に泣き黒子があって顔立ちが端正なためか、園の先生方がよく気にかけている子供だった。

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