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モザイク仕立ての果実 1

 僕の人生の岐路はいつだったのかと考えても答えは出ない。  多分、多すぎるか、もしくは生まれる前からだったり自分の選択じゃなかったからだろう。 『────お前、アルファだろ』  そう言われた言葉が突き刺さる。  岐路はよくわからなかったけれど、僕の人生を困難なものにしたのは間違いなくこの言葉だった。  とかくこの世のΩは生きにくい。  バース性の平等が叫ばれて久しいけれど、それでも偏見や差別は急には無くならないし体質は変えようがない。  僕の母は、そんなΩの生きにくい世の中で嬲られながら生きてきた人だった。  祖父はΩが卑賤な存在だと信じて疑わない人で、躾でバース性をどうにかできると信じて折檻に余念がなく、父も同じくΩはαが躾て導いてやらないと と考える人で母の一挙手一投足に口を出さなくては気が済まないタチをしていた。  母が失敗すればΩ性のせい、うまくいけば自分達αがうまく導いてやったから。  そんな家庭に生まれた僕はΩで、まともに育つはずがなかった。  矯正という名の暴力に、母も僕もすり減っていき……妹が生まれたのがきっかけだった。 「巳波、おかあさん……もうだめかも」  入院代が勿体無いからと産後三日で引きずられるようにして家に連れ戻された母は、妹のバース性の検査結果を握り締めてブルブルと震えていて……  青痣だらけの顔から血の気が引いて、更に青くなった顔で僕に言った。  母の手の中で握り潰された手紙には『Ω』の文字が見えて、もしかしたら僕らの救世主になり得るかもしれなかった新しい命は何の救いにもならないんだってわかった。  そんな生活をしていた僕に、教師は何かに気づいていたんだと思う。  そっと手渡されたメモには『Ωシェルター』という言葉と電話番号が書かれていた。  父のポケットに入っていた小銭をくすねて、公衆電話から電話をかけた時のことをよく覚えている。  空梅雨で雨が降らなくて、その代わりにすこぶる暑い。  風が吹けばマシだったんだろうけど風もなくて、ガラスで包まれた公衆電話の中はむっとするほど息苦しく、四方八方から襲ってくる閉塞感に逃げ出したくなった。  そこから、母と僕の体についていた無数の虐待痕や近所周りの証言、父が産院で母に行った暴力行為なんかが決め手となって僕達は無事に匿ってもらえることになって……  一足先に働けるようになった僕は独り立ちして、母とまだ幼い妹はまだシェルターにお世話になっている。  いつでも好きに会えるというわけではなかったけれど、その代わりに母と妹が安全なのだと思うとほっとしていた。

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