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第3話
(なんで、無視するんだよ、あいつ)
彼方は先程の彼の態度に腹がたちながら、缶コーヒーのプルトップを倒す。プシュ、と小さな音を立てて呑み口が開くと、甘ったるいコーヒーの薫りが立ち上った。
(今朝、明け方まで、ガンガンにヤってたのに、涼しい顔でさあ!)
彼の部屋に泊まって、彼方は彼より一本前の電車で出社した。そして、社内で顔を合わせても、昨日の様子とうって違って、涼しい顔をしているばかりで腹が立つ。
(こう、一夜を過ごした恋人同士ならさあ、もっと、こう、甘い雰囲気とかになっても良いと思うんですけど!?)
コーヒーを一気に飲み干す。普段なら飲まない甘いコーヒーは、胸焼けしそうだった。
スマホを取り出して、メッセージを打つ。
『腰が痛い。』
本当はそんなことはなかった。理性が飛んでいても、彼はかなり気を使ってくれたと思う。すぐには既読もつかなかった。
仕方がないから諦めて仕事に戻ろうかと思ったとき、返事が帰ってきた。
『ごめん。ちょっと、加減出来なくて』
嘘なのに真に受けられると困る。慌てて、彼方も返事を出した。
『別に大丈夫だけど、随分、そっけないですよね』
やや、間を置いてから、返信があった。その、間が、返答のしづらさをそのまま意味しているのは理解した。
『社内で、バレたら困るでしょ?』
同じ部署の中。男性同士の恋人。勿論、肉体を伴った関係性。ともなれば、普通は、隠す方向だ。それはわかる。
(けど、わからないように、ちょっとくらい、特別感があっても良くない?)
とは思ってしまう。
そのちょっとした特別感が、この関係性を炙り出してしまう……可能性はわかるけど。
(せめて、メールとかあると思うんだけどなあ)
大っぴらではないやり取りで構わない。ただ、いつでも、気に掛けて欲しいのだ。彼方の方は、仕事の集中が途切れたとき、彼のことを考えているし、数時間経てば、また、あの熱が恋しくなる。
(元々、俺のほうがめちゃくちゃ押して付き合ってもらってる感じだもんなあ)
今、『恋人』というだけで、贅沢なことなのだ。そう、言い聞かせようとするのに、一度覚えてしまった、贅沢からは、なかなか逃れられない。
最初は目が合っただけで嬉しかった。会話を出来ただけで、幸せだった。そして、一緒に食事に行くようになって、天にも昇る気持ちだった。欲望は簡単にエスカレートしていく。友達になれただけで死んでもいいと思ったのに、すぐにエスカレートした。
恋人になりたい。あの腕に抱かれたい。そう思うまではあっという間だった。
元々、大樹は、同性に興味はない。
けれど、諦められなかった。
空になった缶コーヒーを、ゴミ箱に投げ入れる。
「おーい、清浦! ゴミを投げるな〜!」
通りすがりの部長に見られていて、内心舌を出しつつ「あっ、森部長……スンマセン!」と小さく謝る。
「なんだって、さっきは西園寺くんとトラブったんだって?」
森部長がカラカラと笑う。
「えー? そんな大騒ぎになってるんですか? 職場に帰りづらいなあ……」
「はは、西園寺贔屓の女のコたちが、私のところに泣きついてきたんだよ。清浦が怖い〜って」
「俺からしたら、あんなことで部長のところに泣きついてるほうが怖いッスけど!!?」
「まあ、西園寺くんは、みんなの推しだからねえ」
ようはアイドル的な扱いということだろう。それは、なんとなく納得出来た。華やかな容姿と、うっすらとした拒絶を感じるからだ。辞めていく東久世とは対照的な雰囲気だった。あの、誰のものにもならなさそうな、冷たいところが、観賞用には良いのだろう。
「西園寺は、清浦によく突っかかってるねえ」
はは、と森部長が笑う。
「え? そうですか?」
「うん、そう見えるよ、私には。だって、西園寺くんはあんまり他人に興味がないからね。たから、誰とでも笑顔でやり取りするけど、絶対に親しくはならない。だから、嫌味を言われたり、なにかしても、そのまま流すんだけどさ。清浦は放っておけない感じだよね」
「勘弁してくださいよ、なんで、俺、嫌われてるんですか。身に覚えないですって」
「いや、あれは、嫌ってるっていうか、小学生男子が、好きな子にちょっかい出す感じに見えるよ」
「はあっ!?」
森部長の爆弾発言を聞いて、思わず、素っ頓狂な声を出してしまう。
「まあ、そんなもんじゃないかなあ、西園寺くんは、複雑そうで意外にシンプルだと思うよ。だからまあ、あんまり気にしなくてもいいよ」
最後の言葉を言いたかったのだろうが、心臓に悪い。西園寺に興味はなかったが同性同士なのに、平然と好きな子、という単語が飛び出して来たことも驚いている。
「まあ、本気で困るようなことがあったら、相談には乗るよ」
「係長差し置いて、部長に、相談できるわけないでしょうが」
森部長は、それもそうかなどと言いながら、去っていく。
西園寺のことは信じ難いが、管理職の立場なら、彼方とは見えている景色が違う。その視点からでは、そう見えるのだろう。
「……仕事、戻ろ……」
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