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第二章① ⚠︎ 永い回想
一般には知られていないが、この国を陰から支え守っているのは、人智を越えた不思議な力――霊力を操る陰陽師である。
陰陽道の本家本元である陰陽五家、その中でも特に血筋と伝統を重んじる梔子 家嫡流の男児として、鶫は生を受けた。しかし、肝心要の霊力を一切宿していなかった。
霊力がなくては、霊を祓うことはおろか、霊を認識することもできない。梔子家における鶫の扱いは、それはもう酷いものだった。
「オマエ、ほんまにコレが見えへんのか」
今日もまた、家中の術者が寄ってたかって鶫を嬲る。
彼らが鶫の顔面に突き付けているのは低級の悪霊――物の怪と呼ばれるものである。視える者の目には、汚泥が芋虫のような形を成したものとして映っているが、鶫の目には何も映らない。
「哀れやなぁ、鷲一 おじさんも。ほんまなら当主になるはずやったのに、オマエみたいな出来損ないを作ってもうたせいで人生パァや。息子が親の足引っ張ってんねんで。恥ずかしゅうないんか」
「何とか言うたらどうや。口ついてへんのか」
「何やその目ぇ。またやられたいんか」
こんなことは日常茶飯事である。こういう時、鶫は一切の感情を葬って、災難が過ぎ去るのをただ待つ。喋っても喋らなくても、睨んでも睨まなくても、どちらにしろ殴られる時は殴られる。
「劉哉くん、また鶫くん苛めてるん?」
小学生くらいの幼い少年が現れた。
「司か。こいつは苛めやない。躾や。犬畜生には必要なことやろ?」
「鶫くん、わんちゃんなん」
「躾がなってへん駄犬や。司、あんまりこいつに近付くなよ。犬臭くなんで」
「わんちゃんなら散歩してあげなあかんやん」
少年に悪意はない。悪意はないが、一同はどっと沸いて笑い転げた。
こんなことは日常茶飯事だ。年下の従弟も、年上の親戚も、名前すら知らない若い術者も、家事を担う女中連中も、梔子の屋敷に住まう者は全て例外なく、鶫をこんな風に扱った。
*
司は鶫を気に入っていた。理由は本人にもよく分からない。劉哉を筆頭に若い術者達から厳しく躾けられた後の、ぼろ雑巾みたいにぐったりとしている鶫は、雨に打たれた子犬みたいで愛嬌があった。
「鶫くん、も少し大人しゅうしとったら、劉哉くんもそないにしいひんのと違うん?」
「……」
「鶫くん、聞いてるん? 濡れタオル持ってきたったやん。えらいやん、ぼく。褒めてぇや」
「……頼んでない」
「頼まれのうても分かんで。鶫くん、泥だらけやもん。血も出てるもん」
「……」
「ほんなら出かけよ。お庭新しゅうしたさかい、鶫くんも見てぇや」
「は、躾の次は散歩かよ」
「ええやん、お散歩。楽しいで?」
「……」
「えっ、もう戻るん? もっとお話しようやぁ」
「……俺と関わると碌なことないぞ。パパに言われたろ」
「そやけど、パパはパパやん。ぼく、鶫くん好きや。おもしろうて」
「……」
鶫は司を無視して自室に戻ってしまった。
いつもこうだ。司が一生懸命話しかけて纏わり付いて、時には助けてあげたりもしているのに、鶫は司をまるで見ようとしない。いつだって感情のない冷めた表情をしていて、暗澹とした昏い瞳には光を一切映さない。
「ちぇー、やっぱし鶫くん嫌いや。このぼくがこないに言うたってるのに」
*
けんもほろろに突き放されても、それを忘れて何度でも挑戦する。それが子供のいいところである。
司は、夜中こっそりと部屋を抜け出して、鶫の様子を見に行った。親に内緒で拾ってきた犬猫をこっそり世話して餌付けする、そんな感覚である。
鶫が住むのは、屋敷の裏庭の外れにぽつんと立っている庵である。母屋から行くには一旦屋外へ出て、庭を突っ切っていかなくてはならない。
司は式神を先行させた。わざわざ長い道のりを歩いていっても、鶫がいなかったらつまらない。
司が異変に気付いたのは、式神が鶫の庵に到着してすぐのことだった。視覚の共有が可能な、白い小鳥のような形状の式神を遣ったのだが、送られてくる情報が何やら妙だ。
室内に人影はある。電灯は消されており、ろうそくが何本か揺れている。障子に映る影は複数人。鶫以外に誰かがいるらしい。
司は式神を屋根裏に忍び込ませた。こんな芸当もお茶の子さいさいである。天井板の隙間から顔を覗かせ、仄暗い室内を見渡した。
「えっ……鶫くん!?」
司は思わず、深夜の裏庭のど真ん中で叫んだ。部屋の中央に敷かれた布団で、一糸纏わぬ姿の鶫が寝ていた。
いや、寝ているわけではない。ただ仰向けになっている。布団にはもう一人裸の男がおり、鶫と体をくっつけている。その様子を、複数の男が車座になって見守っている。
「えっ……え? 何やこれ。何してはるん?」
怪しげな儀式を執り行っているように見えた。まるで、鶫を生贄に神を降ろそうとしているような。
「やとしても、なぁんかおかしいなぁ。裸になる必要あらへんやん。なんで裸なん? 暑いから?」
鶫と体をくっつけている男が、ゆさゆさと体を揺らし始めた。男の動きと連動するように、仰向けで寝ているだけの鶫もゆさゆさ揺れる。あまりにも同じリズムで揺れ動くものだから、地震でも起きているのかと司は錯覚した。
「ほんま何してんねん。これも躾なん? ぜんっぜん分からへん……」
車座になって見守っていた男達が、次々と鶫の手を掴んだ。各々何か棒状のものを取り出して、鶫の手に握らせる。
「……ちんちんやん!」
司は笑い転げた。男の着物の裾に覗くそれは、どう見ても魔羅である。司の知るそれとはかなり形が異なっており、やたらと黒光りしていて大きく膨らんでいて変な方向を向いていたが、紛れもなく男の性器であった。
「えっ、え~っ? ちんちん? 鶫くんにちんちん触らせてるん? なんでなん? 何がしたいん? 恥ずかしゅうないんか? 大人のくせに? ぼくでも恥ずかしいで。ひとにちんちん見られてもうたら。触られるなんてもっといやや。ほんま分からへん。何考えてんねん」
司はなんだか楽しくなってきて、スキップしながら太鼓橋を渡った。しかし次の瞬間、何もないところで蹴躓いた。
「はぁあ!? な、何してんねん! そ、そないなとこ、あ、あかんやん……」
男の一人が、鶫の口に己の性器を突っ込んだ。鶫の髪を乱暴に掴み、ゆさゆさと腰を動かしては性器を抜き差しする。
「えっっ……? えっ、どっ、えっ……なに……??」
男達の行為は司の理解の範疇を越えた。性器を触らせるところまではまだ理解できたものの、口に入れるのは意味が分からない。性器も口も不潔な場所だ。不潔な場所に不潔なものを入れて、何が楽しいのだろう。
しかし男達は楽しそうである。楽しそうに体を揺すり、鶫を揺さぶり、時々殴ったり叩いたりして笑っている。
意味不明なものに恐怖を覚えつつ、司は興味を持った。何をしているのか知りたい。この行為の意味を知りたい。
仰向けに寝かされていた鶫が、四つん這いの恰好にさせられた。まさしく犬だ。男が一人、鶫の背後で膝立ちになり、腰を掴んだ。
ここへ来て、司はようやく事の全容を把握した。鶫と体をくっつけていたのは、ただそうしていたわけではなく、尻に性器を突き刺していたのである。体を揺らしていたのは、性器を抜き差しするためだ。
把握できたところで、いまだ理解は及ばない。尻の穴に性器を挿して、何が楽しいのだろう。
しかし、犬のような四つん這いにさせられて、口にも尻にも魔羅を銜えて、両手にも魔羅を握らされている鶫の姿は、惨めったらしい愛嬌があった。
「鶫くん、ほんまにわんちゃんや……」
腹の奥に正体不明の熱が疼いた。司はますます興味を持った。この行為にも、鶫自身にも。
ようやく庵に到着した。式神を通して見た通り、ろうそくの仄かな灯りに照らされて、複数人の影が障子に揺らめいていた。
「……あっ」
部屋の中から声がした。気配を覚られないよう息を殺し、枝葉さえ踏まないよう忍び足で庵に近付いた司だが、その一声に身を竦めた。
(誰や。何や今の声……)
初めて聞く声だった。男とも女ともつかない、高く掠れた声。しかし室内にいるのは男ばかりのはずだ。
「……やめ……」
(またや)
微かに声がする。声の主はおそらく同じだ。司は息を殺して近付いて、縁側の陰に身を潜めた。ここなら、より近くで中の様子が窺える。
「やめろ、はなせ」
「何やこいつ、急に騒ぎよって」
「おい、静かにせえ」
「今更暴れんなや」
鈍い打撃音が響いた。
「おい、あんまし派手にすな。中に響くねん」
「へぇ、すんません」
「……もういいだろ。終わりに――」
二度、三度と殴打の音が響く。
「うるっさいねん。犬が余計な口叩くなや。人にあれこれ指図できる立場か? そないな身分と違うやろ。可愛らしゅう喘ぐか、犬の鳴き真似やったら許したってもええけどな」
わはは、と一同は笑いに沸く。
もしかしなくても、あの高く掠れた声は鶫の声だ。普段は無関心を喉に張り付けているくせに、人間味のある声も出せるのかと司は驚いた。人肌の温度を感じさせる声だった。
「大人しゅうしとったら可愛がったる。おら、さっさと股開けや」
鶫は再び仰向けになった。大きく股を開いて、男を銜え込む。
式神との距離が縮まったおかげで、送られてくる映像の解像度が高まった。鶫の表情まではっきりと見える。
普段は冷徹なまでに生気のない頬に、ほんのりと赤みが差していた。勝気な眉は苦痛に歪み、昏く澱んだ瞳に涙の膜が光っている。僅かに開いた口に、真っ赤に濡れた舌が覗く。
(鶫くん、あないな顔もできるんや……)
こっちの方がずっといい。人間味があって、見ているだけで温もりと匂いが伝わってくる。
「ぅっ……く、っ……」
微かに漏れ聞こえる鶫の声に、司は聞き入った。尻に男根を迎え入れているのだから多少の声が出るのは当たり前だろうが、それにしたって、司の心を惹き付けてやまない魅力があった。
押し殺した苦痛と熱と色っぽさ、そういったものが綯い交ぜになっていた。普段の鶫からは想像もできない。この声も、表情も。
(鶫くん、お尻にちんちん入れられてあないな顔して……)
「っ、ん……く、ふ……」
(声も……)
司は息を呑んだ。腹の奥に正体不明の熱が蠢く。思わず下腹に手をやるが、何ともない。何ともないはずなのに、何かがおかしい。体が火照って仕方がない。特に、
(ちんちんがおかしい……)
鶫は霊力を持たないはずだが、代わりに妖しげな術でも使うのだろうか。鶫の声を聞き、顔を見ているだけで、下腹部がじんじんと熱くなってくる。司はもじもじとうずくまった。
(いやや。なんやねんこれ……)
鶫は、揺さぶられながら他の男のものを口に銜える。何本も差し出されたものをごしごしと手で擦る。鶫がしているのを真似て、司は自身のものを着物の上からそっと撫でた。
「っ!?」
うっかり声が出そうになった。それは初めての感覚だった。触った感触も変だった。妙に硬く、ピンと張っていた。排泄の時しか触らないが、明らかに普段とは違う。司は怖くなってすぐに手を離した。
ギシギシと床板が軋む。何人もの男が一斉に腰を動かしているせいだ。尻に挿入している男の動きが一番激しい。激しく突くせいで、鶫の口から男根が零れ落ちそうになる。口を使っている男は鶫の顔をしっかりと固定し、負けじと激しく腰を揺する。
「あ~、そろそろ出すで。残さず飲み干せや!」
男が低く唸り、ぴたりと動きを止めた。鶫の全身に白く濁った液体が飛び散る。腹に、胸に、美しく整った顔に。黒々とした髪の毛にも。
口を使っていた男が自身を引き抜く。鶫の真っ赤な口に、白い液体がたっぷりと注がれていた。どろりと濁った糸が引き、ぶつりと途切れた。
次の瞬間である。
鶫と目が合った。違う。鶫が司の式神を見つめていた。式神を通して、司は鶫と見つめ合った。鶫の暗澹とした双眸は、確かに司の式神を捉えていた。
司は勢いよく立ち上がった。単純な驚きからではない。喜びと、尊敬と、恐怖と、そんなものが司の中で綯い交ぜになっていた。
しかし、周囲の状況を考えず感情のままに行動したのがよくなかった。縁側の下にうずくまっていたことをすっかり忘れていた。ゴツン、と思い切り頭をぶつけた。
「痛いぃっ!!」
「何や!? 外に誰かおるんか!」
男の怒鳴り声がして、スパンッ、と障子が開いた。
「あ、劉哉くんやん」
「司? なんでこないなとこにおんねや。何時や思てんねん」
「劉哉くんこそ、犬小屋なんかで何してはったん?」
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