10 / 29
第四章① ※ 女
むっとする性のにおいが充満したホテルの一室に、鶫は一人立っていた。
「よくやったな。上出来だ」
ベッドの上には、でっぷりとした肉の塊が横たわっている。
「まさかあの女傑が、こんなちんけなラブホで死ぬことになるなんてな」
正確には仮死状態だが、このまま放っておけばいずれ死ぬ。予定通り、余計な傷は付いていない。うまく処理して自然死に見せることができれば、今回の仕事は上がりである。
「じゃあ早速――」
冷静に死体の確認をしていたところを、いきなり鶫に組み付かれた。二人でベッドに倒れ込む。肉付きのいい女の尻が視界の端に映って、風間はぎょっと目を剥いた。
「ちょっ、おま、」
鶫は何の躊躇もなく、女をベッドの下へ蹴り落とした。たっぷりついた贅肉のせいか、衝撃音は少なかった。
「これで文句ねぇだろ」
「文句しかねぇよ……」
「んだよ。ごほうびくんねぇの?」
鶫は甘えたように言い、風間の胸に頬をすり寄せた。くんくんとにおいを嗅いで、溜め息を漏らす。
「はぁ、やっぱこのにおいだな。おっさんくせぇ」
「お前、喧嘩売ってんのか」
「なんでだよ。俺、このにおい好きだぜ?」
鶫の鼻先が首筋や耳たぶを掠める。くすぐったいのと、子犬がじゃれているようで微笑ましいのとで、風間は笑いを堪えた。
「なぁ、おい。帰ったらしてやるから」
「やだ。今してぇ」
「まだ仕事中だぞ」
「もう終わったようなもんじゃん」
「大体、死体が寝てたベッドだろ」
「明日には何も知らねぇカップルが平気でセックスするベッドだぜ」
「床に死体落ちてるし」
「いちいちうっせぇなぁ。潔癖かよ?」
鶫は風間の耳に唾液を含ませながら、兆し始めたペニスに尻の谷間を擦り付ける。男の情念に火をつける術を、何よりもよく心得ている。
「……五分で終わらすぞ」
「マジかよ? 早漏すぎだろ!」
*
手短に準備を済ませ、手早く挿入した。幸いローションは使いたい放題だ。普段はあまり使わないが、後処理の面倒を考えて避妊具も装着した。
「あっ、んンっ……、もっと、もっと強くしろ、っ」
ついさっきまで女の死体が寝ていたベッドで、鶫は快楽に身を捩る。縋るように風間の腕を掴み、爪を立てる。
「痛ぇよ」
「うっ、あぁ、おっさん、っ、もっとしてくれ」
「……お前、あのばあさんとやったんじゃないのか?」
「やった、けどっ……まんこくせぇし、香水とか化粧とかもキモいし……」
「そりゃ災難だったな」
「おっさぁん、もっとっ、もっとぎゅってしてくれよ」
「……」
今日はやけに甘えたがる。死体のそばでまぐわっておいて甘えるもクソもないが。
風間は鶫を抱きしめた。その声音が、まるで泣くのを堪える子供のように聞こえて、しかしいくら確認しても、鶫の目から涙は出ていなかった。
「なぁ、キス……」
控えめにねだる唇。風間は自身の唇を重ねた。徐々に口づけは深くなる。唾液も、呼吸ごと交換するようなキスをする。鶫に頭をがっちり抱えられて、離れるに離れられなかった。
*
結局、当初の予定より数倍長い時間をかけてしまった。
豚のように床に転がっていた、ただの肉塊と化した女をベッドに寝かせ、風間は一応手を合わせた。鶫も真似して神妙な顔をする。
「なんか、悪かったな」
風間が言うと、鶫は首を傾げた。
「何が?」
「こんなババア、抱きたくなかっただろ」
「でも、これが一番手っ取り早いんだろ。別に初めてでもねぇし、いいんだよ」
「でもお前、女苦手だろ」
「んなことねぇよ。ジジイに抱かれるよかマシだね」
「そうか?」
「……まぁでも、女が苦手なのはその通りかもしんねぇな」
***
物心がつく頃には、鶫は既に性の味を知っていた。といっても、そんなにいいものではない。女中の女達に身包みを剥がされて、自慰行為を強要されるのだ。
普段は上品に振る舞って、性とも暴力とも無縁です、というような澄ました顔をしているくせに。普段は鶫をいないものとして扱い、徹底的に無視するくせに。集団で下品な笑い声を上げながら、無知で無力な鶫を嬲るのである。
「ほらぁ、ちゃんとおちんちん握って。しこしこしなさいよ」
「イクまで放しちゃだめだからね」
「ちゃあんと撮っててあげまちゅからねぇ」
カメラを向けられ、フラッシュを焚かれる。眩しくても、目を瞑りながらでも、鶫は性器を弄り続けなくてはならない。
「ゃ、ふ……やだ、ぁ……」
「やじゃないでしょ。素直に気持ちいいって言いなさいよ」
「きゃははっ、犬も自分でするのねぇ。みっともないったらないわ」
「犬のくせに、人間の女に発情しちゃって。浅ましいったら」
「もっと腰へこへこしなさいよ。間抜けなとこ撮っといてあげるから」
乾いた性器を強く握って扱くと、皮膚が剥けそうに痛い。まだ精通を迎えていないどころか、快楽を得ることも難しい体だ。この行為の意味さえ、鶫にはよく分かっていなかった。
ただ、大勢の異性に囲まれて丸裸にされて、性器を弄っている様を見張られて、写真まで残されている。この状況が酷く屈辱的だということだけは肌で感じていた。その証拠に、女達は楽しそうに笑っている。
「これが、あの当主様のお孫様だなんてね。心底哀れだわ」
「あんたも分家に生まれりゃよかったのよ。そうしたら、こうしてお仕えすることだってできたのに」
「むしろ女に生まれればよかったんだわ。どうしてこんな出来損ないが、本家の男として産まれてきちゃったのかしらねぇ」
「いっそ生まれてこなければ、鷲一様も奥様も幸せだったでしょうよ」
浴びせられる嘲笑と侮蔑の言葉も、今の鶫の耳には入らない。性器の先端から何かが漏れそうになる、あの独特の感覚を押し殺すのに必死だった。
「あら、そろそろイク? イク時はイクって言いなさいよね」
「ほらほらぁ、我慢しないでイッちゃいなさいよ」
荒い息遣いが鼓膜を支配していた。まるで自分の声じゃないみたいだった。体は熱いのに、指先だけは氷みたいに冷えていて、それなのに、握っている性器は爆発しそうに熱かった。頭がぐらぐらと煮え滾って、おかしくなりそうだ。
「ぅ、あ……やだ、やっ……」
とうとう鶫が涙を零すと、女達は手を叩いて笑う。早くいけ、と囃し立てる。
「ゃ、あぁ、っ……んぅぅっ!」
芽吹いたばかりの木の芽のような性器が、ピクピクッと微かに痙攣した。鶫は全身を強張らせ、力の入らなくなった膝を折り、恥辱に震えた。
「ちょっとぉ、イク時はイクって言いなさいっての! 精子出ないんだから、イッたかどうか分かんないじゃないのよ」
「でも傑作だったわぁ。あの情けない声、聞いた? 犬の方がまだマシよね」
「ビクンビクン震えちゃって、そんなにイイのかって感じよね。見られてイクなんて、この歳でとんでもない変態じゃないの」
女達は文句を言いながら嗤い合う。そして、まだ震えの収まらない鶫を、容赦なく外へと放り出すのだ。
鶫は裸のままで冷たい地面に伏せる。脱がされた着物を投げ付けられて、冷水を頭からぶち撒けられる。
「用が済んだらさっさと消えて。犬の臭いが移るのよ」
女は冷たく言い放ち、空のバケツを鶫にぶつける。そのやり取りを遠巻きに見ていた屋敷の連中が嘲笑う。鶫は込み上げてくる涙を必死に堪え、肌着だけを急いで纏い、その場から駆け出すのだった。こんなことが日常茶飯事だった。
ともだちにシェアしよう!