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第八章① 疑惑

 風間は絶望した。鶫に浮気の痕跡を見つけてしまった。鶫の白い首筋に、付けた覚えのないキスマークが、煽りたてるように嗤っていた。  これは確実に浮気だ。おそらく、胸元などの見える位置に残すことは、鶫が許さなかったのだろう。だから、浮気相手は仕方なく、鶫にバレにくい位置にキスマークを残したのだ。  いや、あえてなのだろうか。鶫があえて浮気相手にキスマークを付けさせて、風間を挑発しているという可能性も十分ある。考え始めると疑惑は膨らむ一方だ。何を信用したらいいのか分からなくなってきた。   「……おっさん? しねぇの?」    ベッドへうつ伏せになっていた鶫は、肩越しに風間を催促した。艶めかしく腰を揺らして、男を誘惑する。その仕草に、鶫への疑惑はさらに膨らんだ。何も知らないような顔をして、一体何人の男を誑かしているのやら。   「……ちょっと今日調子悪ぃわ」 「マジかよ」    あれこれ考えていたら萎えてしまった。鶫は残念そうに、風間の股間に顔を近付ける。   「あ~あ。いつもガチガチにかてぇのにな。それがおっさんの取り柄なのに」    普段通りの何気ない発言も、浮気相手と比べられているようで腹立たしい。   「硬ぇだけかよ」 「ん~? あと、なげぇのもいいな。奥によく当たる」 「そうかよ」 「でも遅漏だよな」 「……は?」 「最近そんな感じだろ。やっぱおっさんだから? 感じにくい?」    ふう、と鶫は息を吹きかけた。その微弱な刺激に反応しかけたが、こうまで言われて気分も萎えてしまい、風間は急いで下着を着けた。   「んだよ、しゃぶってやろうと思ったのに」 「いい。もう寝るわ」 「ふぅん」    風間は布団に包まった。同時に、鶫はベッドを下りる。   「んじゃ俺抜いてくるわ」 「……トイレでか?」 「まーな。せっかくケツ準備したのに、もったいねぇけど」 「……」    風間は鶫を呼び止めた。   「やっぱり抱いてやる」 「おお? 無理しなくてもいいぜ、おっさん」 「せっかく準備したのにもったいねぇだろ」 「ふは、それ今俺が言ったやつじゃん」    鶫は得意満面な笑みを湛えて、ベッドに飛び込んだ。最初からこういう作戦だったのだろうか。風間はまんまと乗せられた。    *    鶫はまだ二十歳そこそこの若者だ。中年と呼ばれる歳に差し掛かろうとしている風間と比べ、性欲が段違いに強いのは当然である。風間なんて、所詮硬くて長いだけで、遅いし、弾数も少ないし、そんな生温いセックスでは鶫は満足できないのだろう。  だから浮気を? 持て余した性欲に疼く体を、どこの馬の骨とも知らぬ男に慰めてもらっているというのか。そんなの、考えただけではらわたが煮えくり返る。たとえ今の性生活に不満があるからといって、浮気なんて酷い裏切りではないか。  いや、しかしまだ焦る段階ではない。風間は自らを落ち着かせる。確かに首筋に痕を見つけてしまったが、それがキスマークとは限らない。ただ単に蚊に刺されたのかもしれない。……蚊の季節ではないが。  決定的な証拠を押さえない限り、鶫の不貞は疑惑止まりだ。それが本当に事実かどうか、判断を下すのはまだ早計である。    そう思っていたのだが。    この度、風間はついに決定的な証拠を掴んでしまった。確定的な、動かぬ証拠だ。どこの馬の骨とも知らぬ男と共にホテルへ消えていく鶫の姿を捉えてしまった。  悲しみより先に激しい怒りを覚えた。フロントスタッフに八つ当たりしたくなるのをぐっと堪えて部屋番号を聞き出し、エレベーターなんか待っていられず一足飛びに階段を駆け上がった。  スタッフを装ってチャイムを鳴らすと、間の抜けた面をした間抜けな男が、簡単にドアを開けた。「えっ?」と目を瞬かせた半裸の男を、風間は容赦なく廊下へ引きずり出し、無理やり部屋へ押し入った。   「……おっさん……?」    既にバスローブに着替えていた鶫は、目を丸くする。   「お前、よくも……」 「おい! 何なんだよテメェ! ケーサツ呼ぶぞ! ケーサツ!」    地を這うような風間の声を掻き消して、廊下に放り出された男が喚く。風間はうんざりしながらも、男の荷物と脱ぎ散らかされた服をまとめて、廊下に放ってやった。ついでに札束を投げてやると、男は途端に大人しくなった。   「さて、邪魔者はいなくなったな」 「おっさん……? なんで……?」 「それはこっちの台詞だ。お前、何考えてやがる」 「なにって……?」    なおもしらばっくれる鶫を張り倒し、両手首を押さえ付けて組み敷いた。  鶫の黒い瞳が潤み、風間の良心が痛む。今のは確実に暴力だ。愛する者に暴力を振るうなんて。しかしこれくらいの仕返しは許されるはずだ。風間の方がよっぽど傷付いたのだから。   「言い訳があるなら聞いてやる」 「言い訳って、何のだよ」 「さっきの男は誰だ」 「誰って……誰でもねぇよ」 「……っ」    とうとう怒りが沸点に達した。風間は鶫の首に手をかけた。青年らしい、太くて硬い、筋肉質な首だが、風間の手に収まらないほどではない。首を絞めながらキスをすると、唾を飲み込む喉の動きや、苦しそうな喘ぎや、頸動脈の拍動が、掌にはっきりと伝わってくる。   「……おっさんにはもう飽きたのかよ」    耽溺した表情で虚ろな視線を彷徨わせる鶫に、風間はひとり語りかけた。

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