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第4話 春樹
「春ちゃん、おはよう。ご飯食べるだろ」
「うわああああっっ!」
スヤスヤと気持ちよく寝ていたのに、野太い男の声で急に起こされたから、大パニックとなり、びっくりして立ち上がったのは、ベッドの上だった。
「あはははは、すげぇ!寝起きなのによくそんなに動けるな」
「え、え、どこ?」
覚えてないのかよ、俺の家だよと、言いながら下野はご機嫌で部屋から出て行った。ここはベッドルームのようだ。
そういえば昨日、下野と飲んでいて終電を逃したんだっけ。だから下野の家にお世話になったんだと、寝起きの頭で春樹は何とか思い出した。
社会人になって終電を逃すなんて、初めてだった。いや、よく考えると人生で初だ。友達と呼べる人もいないから、今までプライベートの飲み会など無縁である。
下野の後を追って部屋を出ると、キッチンで朝ご飯の準備をしている姿があった。
「…料理出来るのか?」
「得意だぜ」
ふーんと、キッチンを眺めると会社の商品がずらっと並んでいた。調味料だけでもかなりの数が置いてある。下野は普段から料理を作るんだなとわかる。
「あ、コレ知ってる。前にいた店舗では売れ筋だったぞ。サラダにかけても美味しいんだって…あっ、コレも!これは、卵かけご飯にかけても美味しいんだって。色んなバリエーションが効くんだって」
以前、勤務していたスーパー店舗で知ったことを下野にペラペラと伝える。下野のキッチンには見覚えがあるものばかりだ。
「へぇ…春ちゃんよく知ってるな」
「俺、前はスーパー店舗にいたから、売れ筋はよく知ってる。だけど、料理が苦手だからどれも使ったことがない。店舗の人たちから聞いたことだけだ」
お味噌汁に白米。それに玉子焼きにフライパンで焼いていた鮭もある。豪華な朝食をパッと下野は作っていた。
「いただきます」と二人同時に言い、向かい合わせに座り食事をする。
「美味しい…すっごく美味しい。下野、お前はすごいな!こんなに美味しい料理が作れるんだな」
「おい、名前…」
「うっ…ひ、寛人?」
「あのなぁ…ちょっとは慣れろよ。そんな感じだと、なんだかこっちが恥ずかしくなるだろ?きちんと名前で呼ぶって、お前が言い出したんだろ?」
ずっと仲良くなれるルールとは、春樹がネット検索し発見したものだ。成り行きで、そのルールを二人でやろうということに決まった。きちんと名前を呼ぶもそれだ。
だけど、昨日まで下野と呼んでいたのに、急に下の名前で呼ぶのは恥ずかしい。
世間の人は、こんな恥ずかしいことをやって、人と仲良くなっているのか。
考え込んでいたら前に座っている下野と目が合った。憎たらしいことにニヤニヤと笑いを堪えて春樹を見ている。ムカつく…
「春ちゃんさ、昨日も思ったんだけど、ご飯、物凄く食べるんじゃないか?食べるの好きだろ」
「うっ…」バレている。小さい頃から春樹は大食いであり、双子の美桜も同じく大食いである。だから、家での食事は春樹と美桜の二人分なのに、成人男性5人分くらいの量を母が作ってくれていた。
仲良しのルールには、嘘はつかないと書いてある。恥ずかしいが、それを思い出したので「そうだ」と、下野に伝えた。
「やっぱり!美味しそうに食べるもんな!作り甲斐があるよ。ありがとう」
料理を作ってくれた下野に「ありがとう」と、お礼を言われてしまう。予想外の言葉をかけられて驚く。
「えっ?引かないか?俺…本当はもっと食べれるんだ。だけど、周りが引くからいつも抑えている。だけど、お前…寛人のご飯は美味しい!だからあっという間に食べてしまった。美味しいご飯ありがとう」
昨日から「嫌いだ!」と言っていた男に、美味しいご飯ありがとうと素直にお礼を言って、春樹はニコッと下野に笑いかけた。
下野は茶碗を手にしたまま、黙って真顔で春樹を見つめていた。
答え方を間違えたのだろうか。
「春ちゃん、うちの会社のスーパーが近くにあるから、後で買い物に行こう。昼ご飯はもっと沢山作ってあげるよ」
「へっ?」
食べ終わった食器を手に、キッチンに入る下野の後を春樹も追った。下野の横顔を見ると真顔ではなくニコニコと笑っていた。
「それとな、春ちゃん。嘘はつかないってのがルールに入ってるから言うけど、このルールは恋人同士のルールだ」
「えっ?そうなのか?みんなやってることじゃないのか?」
キッチンの流しに食器を置き、振り返ると視線は下野の肩となり、顔を見るには見上げる必要があった。下野は随分大きな男なんだなと、改めてわかる。
「そうだ。だからこのルールをやると決めたからには、こんな感じにするまでが正解となるんだ」
そう言い、下野はチュッと春樹の頭にキスをした。
「な、な、な、なっ!」
下野の予想外の行動に、春樹は頭を押さえて固まってしまった。キスに免疫がない春樹は真っ赤になってしまう。
見上げた下野の笑顔に、何故か春樹はドキッとしてしまった。
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