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番外編 伊澤
「あー、はいはいはいはい。やってますね。へぇ、懲りずに…そうですか。しつこいですね〜。何が楽しいんだ。まだ一緒に住んでないのか…何やってんだか」
伊澤 凛一郎 は、ベランダから前のマンションを眺めている。川を挟んで前にある小さなマンションから、夜な夜なチカチカと光を点滅させている部屋がある。
そのチカチカと点滅している光は、伊澤のマンションの最上階の住人に届けているものだというのは知っている。
「凛一郎 さん、ご飯出来ましたよ。ってさ…やめなって、人の家を覗くの。バレたらどうするんですか」
「バレたって大丈夫だ。あの光はここの最上階の人にラブコールしてるものだし、ここの最上階の人は、もっと派手な光をあそこの部屋の住人に送ってるんだから。俺は知ってるから大丈夫なんだって」
「だとしてもさ、覗くのはよくないよ」
はぁ…とわざとらしいため息をつくのは、金沢 慎之介 。
慎之介は、姉が以前結婚していた人の弟である。その姉は現在別の人と結婚しているので、慎之介との縁は切れているが、何故か彼は毎週伊澤のところに遊びに来る。
週末になると勝手に部屋に上がり込み、片付けやら食事を作っている。別に頼んだわけではない。慎之介が勝手に来て、勝手にやっているだけなので、伊澤はほっといていた。
「えっ、人参…入ってんの?やだ、食べない。えーっ、何だこれ?こんにゃく?やだ、これも食べない。なんだよ、慎之介!俺が嫌いなもの入れやがって」
「でたよ…凛一郎さんの好き嫌い。本当に偏食過ぎだよ?食べてみたら美味しいのに。それにさ、自分の会社は食品会社でしょ?そんなんで困ることないの?」
「困ることなんてねぇな。俺の仕事はここの最上階の人をコントロールすることだし。食事なんてゼリー食べてりゃいいんだよ。それで充分。栄養も取れるし」
伊澤の住むマンションの最上階には、勤めている会社の社長が住んでいる。伊澤の仕事は社長秘書だ。だから食品や食事に関する仕事を直接することはない。
と、文句を言いながらも、人参とこんにゃくを避けて、それ以外をパクパク食べ進む。慎之介のご飯は好ましいと思う。
「良かった…今日は人参とこんにゃく以外は食べてくれるね。凛一郎さんは和食が好きだよね。今度、煮魚にチャレンジしてみようかな。煮魚だったら大丈夫?」
「お前さ、何で毎週ここに来るの?就職活動はどうした。今は忙しいんじゃないのか?」
慎之介は大学生である。就活なんて言葉もあるほどなので今はかなり忙しいはずだ。
「凛一郎さんのところに就職したいなって思ってたけどさ、」
「げえっ、何でだよ…」
そんなこと聞いたことがない。そういえば、慎之介が希望する職種って知らないなと伊澤は思った。
「って思ってたんだけど、別の会社で気になるところがあってさ。そこの会社から内定はもらったんだ」
「なっ!そうなのかっ!おめでとう。早く言えよ…で?どこの会社?」
「株式会社モンジュフーズ」
「えっ!マジで!株式会社モンジュフーズってさ…うちの社長の前職だぜ」
慎之介が驚いてる。箸を持ったまま固まっていた。驚いた顔はあどけない。やっぱり子供だなと感じた。
「下野社長ってそうなの?モンジュフーズから独立したの?知らなかった…」
「うん、そうなんだよな。モンジュフーズは、今ではいい取引先で付き合いある会社だけど。社長は以前、モンジュフーズの営業でバリバリやってたみたいだ」
慎之介はまだ驚いたままだったが、伊澤からお椀を受け取り、おかわりの味噌汁をよそっている。そういえば、いつからこの関係になったんだろう。合鍵を渡し、週末は好きなように部屋を使っている慎之介を伊澤は改めて眺めた。
「そっか、凛一郎さんの会社とも付き合いあるんだよね。それは知ってたけど…」
「つうかさ、何が決めてだったんだよ。モンジュフーズにしたのって」
「うーん、単純に食品会社を選んでたんだけど…あっ、だけど面接でね、この人と仕事したいって思う人がいたんだ。近くで仕事してみたいなぁって」
「へぇ、なんか言われたのか?」
慎之介曰く、社長面接の前の二次面接の時、マーケティング部の人が面接官だったという。
面接ではお決まりの志望動機とやらをひと通り話し終えた後、何か質問ありますか?と先方から聞かれたそうだ。
その時、慎之介はマーケティング部のやりがいと、仕事の上でのモチベーションは?と、これもまたお決まりの質問をしたら、その人が笑顔で答えてくれたという。
「…でね、その人がマーケティング部は、商品やサービスが売れる環境を作ることだけど、分析した結果とか自分が考えたことが形になり、提供出来るようになるとやりがいに繋がるって言うんだ」
「なるほどねぇ〜」
株式会社モンジュフーズのマーケティング部の人ねぇ…と、伊澤はニヤニヤして話を聞いていた。それは恐らく、このマンションの最上階の住人の恋人だろう。ほら、そこの川向こうの小さなマンションからチカチカ光を出してる人だって…と慎之介に言いそうになってしまった。
「でもね、その人が最後に言ってた。自分のモチベーションは自分が携わった商品を使って、家族とか大切な人に食事を作ることかなって。家族がその商品を使った食事を喜んでくれると、仕事のやる気にも繋がるんだよねって。食事って大切ですよねって言うから…だから、俺もわかります!ってつい熱く答えちゃった」
「何でお前が熱く答えるんだよ。わかります!って…」
「だってさ、俺だってさ…凛一郎さんが食べてくれると嬉しいよ?今日は何を作ろうかなとか、凛一郎さんは超偏食だからこれはどうかなって考えて作ってさ、それを食べて、おかわりもしてくれるとすっごく嬉しいもん。だからその人の言うことがよくわかってさ…この人と仕事してみたいなって思ったんだ」
「…そうか。内定もらって良かったな」
慎之介が料理を作る理由が自分の偏食と絡むと言われ、いまいちよくわからないが、ひとりより二人で食べる食事の方が美味いし楽しいのはわかる。それに、慎之介の食事は本当に好ましいんだ。
「慎之介、今度煮魚作るんだろ?いつ?来週?ちょっと楽しみにしとこうかな」
「えっ!本当に!明日でもいいよ?俺、頑張るね」
慎之介は、ふんふんと鼻歌を歌って皿を片付けていた。嬉しそうな後ろ姿しやがって、顔を見なくてもわかるぞ、と伊澤は声を上げて笑っていた。
慎之介が泊まりに来る時は、二人でソファで寝落ちをする。ソファはベッド並みに大きなものだから、伊澤は物凄く忙しい平日もたまにソファで寝ることもある。そのだらけた感じが、ひとり暮らしの贅沢だ。
今日は休日前だから、慎之介と二人でソファに横になり、映画を垂れ流して、眠くなったらお互い勝手に寝ることになる。
だらだらして寝落ちしても構わない。慎之介相手だと、気を使うことはないから気が楽である。
「凛一郎さん?いつもはベッドで寝てるでしょ?風邪ひかないでよ?凛一郎さんは体温が低いんだからさ、」
「うーん…お前は体温が高いからな…お前がいると寒くないけど」
慎之介の体温が気持ちいい。寝落ちする時は慎之介を前に抱えていることが多い。こいつは苦しくないのだろうかと思うが、うとうとして眠くなり、そのまま抱きしめて寝ることが多い。
「そういえばさ…お前がさっき言ってた面接の人?その人さ、実は料理が下手くそで、家族から作ってもらうことが多いって言ってなかったか?」
「ええーっ!何でわかるの?すごい!凛一郎さん凄い!言ってたよ、その人。本当は料理が苦手で勉強中だって。だから今はほぼ家族が作ってくれるんだって。でも、今日はこれ使ったよとか、会社の商品を頻繁に使ってくれるんだって言ってた」
「けっ、惚気だな。あーやだやだ」
今日もソファで寝落ちがしたい。
明日は煮魚だってよ。心の中でガッツポーズをする。慎之介の食事は好ましい。
end
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