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第4話 九月某日【写真部の鴫野】蓮見

 写真部の部室は文化部の部室を集めた文化部棟にあった。初めてくる文化部棟は運動部棟とは雰囲気が違った。女子も多いし、空気ものんびりしている。俺はその中の一室、写真部の部室の前に立っていた。  引き戸をノックすると、背の低い女子生徒が出てきた。 「はーい、どちらさま?」  気の抜けた声とともに丸い目に見上げられ、さっき覚えたばかりの名前を口にする。 「しぎのくん、いる?」 「いますよ。パパー?」  女子は振り返り、奥にいる誰かを呼んだ。パパってなんだよと思いながら待っていると、奥で低い声が聞こえた。  そして女子生徒と入れ替わりで戸口に現れたのは、バスケ部やバレー部がこぞって欲しがりそうな長身の男。運動はしていないのか、筋肉はあまりついていなさそうな、ひょろりとした印象だ。高校生、と言うには少し老けて見えなくもない。眠そうな覇気のない目が、ぼんやりと見下ろしていた。黒髪は長いのか後ろで纏めているようだった。  サブカル好きそうな陰キャ、という表現が一番しっくりきた。 「あー、なん、すか?」  俺の姿を認めると、手入れされていなさそうな眉がぴくりと動いた気がした。 「ちょっと、話あるんだけど、いい?」  極力穏やかに尋ねると、鴫野は頭を掻いた。 「あ、はい」  どこかおどおどした喋り方だった。 「先輩、ちょっと抜けます」  鴫野が部屋の奥に声を掛けると、すぐに返事が聞こえた。 「はーい」  そうやって、ひとまず、写真部の部室にいた鴫野を連れ出すことに成功した。 「ついてきて」 「っす」  小さな返事が聞こえて、歩き出すと後ろから気怠げな足音がついてくる。  そのまま文化部棟を出て、鴫野を連れて人気の少ない場所に向かった。思いつくのは一ヶ所しかなかった。  話の内容が内容なので、人がいないに越したことはない。  そうやってやってきたのは、屋上の入り口に続く階段の下。この時間は、人が少ないのをよく知っている。  鴫野を奥側にして、逃げ道をなくして、早速話を切り出す。 「なぁ、あのコンクールの写真、何。どうやって撮ったの」 「あ、その、校内をうろついて、よさそうな雰囲気のところを」  鴫野は篭りがちな声で、もそもそと喋る。 「ふうん、タイトルの、きみっていうのは」  ちらりと鴫野を見遣ると、覇気のない目が、ゆらりと不安げに揺れた。動揺しているのは明らかだった。 「あ、いや、特定のだれか、って訳では」 「へえ、じゃあ、妄想、ってこと?」 「や、あ、はい」  鴫野は曖昧な返事をした。  ここまでは、まぁどうでもいい。ここからだ。鴫野に対して、半歩、距離を詰める。 「なあ、お前の妄想写真のせいでフラれたんだけど、どうしてくれんの?」  いつもより少しだけ低い声で、言った。 「っえ」  鴫野は眠そうな目を見開いた。 「おれ、セフレに振られたんだ。あの写真のせいで」  直截的な言葉を出すが、相手が誰とは言っていないから、相手がバレることはないだろう。 「へ、あ」 「そんな気持ち悪いストーカーがいるようなやつ、めんどくせーからやなんだってさ」  嘘だった。全部嘘。全部出まかせだ。  長谷川が彼女を作ったのは偶然だった。いつかくるであろうタイミングが、ちょうど今日だっただけだ。それで、俺がひとりになった、それだけだった。鴫野もそれっぽい写真を撮っただけ。誰も悪くないと、頭ではわかっていた。  それでも、それだけでは気が済まないから、鴫野に犠牲になってもらおうという腹づもりだった。  ひどい話だと思う。  実際、ひどい話だ。  ひどいことをしている自覚はある。  こいつに逆上されて殺されても、まあ仕方ないと思う。 「なあ、俺、めちゃくちゃ傷ついたんだけど」  顔を覗き込むと、鴫野はあからさまに動揺していた。キョロキョロして、時々目が合うけど、それもすぐに逸らされる。  あーあ、かわいそ。そう思う自分はいるが、だからと言って助けてやる気にもならない。  もっと、困らせてやりたい。  まだ、自分の中で感情の落とし所がわからない。セフレと別れたばかりで頭にきてる。イラついてる。八つ当たりだとわかっている。それでも言わずにはいられない。カッコ悪いとかダサいとかそんなことを考える余裕も無くなっていた。  少し、少しだけ、好きだったんだ。あいつのことが。  だから、あいつに彼女ができてセフレ関係を解消することになって、こんなに取り乱している。  初対面の後輩に当たり散らしている。  そんな俺に対して、鴫野は静かだった。  鴫野は背中を少しだけ丸めて、頭を深々と下げた。 「すみません」  俺は鴫野の後頭部を見下ろす。鴫野は頭を下げたまま続けた。 「先輩が、男としてたの、一回だけ見たことがあって」  先輩、ね。そっか、上履きでわかるか。 「え」  見たことがあって?  聞き捨てならない単語が聞こえた。 「それからずっと、そんな場所ばっか探して撮ってました」  最後は消え入りそうな声だった。 「すみません」  は?見られてた? 「……マジか」  思わず掠れた声が漏れた。 「どこ、で」 「ここ、です。この上」  この上にあるのは、屋上に続く階段の上の、物置みたいな踊り場。  この場所が好きだった。初めて長谷川としたのもここ。何かあれば、ここに来てやっていた。  物音が聞こえたことは何度もあったけど、シャッター音がしたことなんてあっただろうか。 「すみません」  こいつは、俺と長谷川がやってるのをたまたま見て、それからは俺と長谷川がやってそうなところの写真を撮った。そしてできたのがあの写真。  執念というか、妄想力の勝利というか。  そうは言っても、まだ俺の気は済んでいない。 「謝罪はいいからさ、相手しろよ」  シャツの襟元を掴んで起こす。  顔を上げさせられた鴫野は眉毛を八の字にしていた。殴られるとでも思ったのだろう。 「見たことあるならわかるだろ。おれ、今日、完全にやる気でいたから、責任取ってお前が相手しろよ」  襟元を掴んだまま、俺は階段を昇る。鴫野はその顔に躊躇いを色濃く滲ませたままついてくる。拒否しないのは、自分に非があると思っているからだろう。  あいつがよかったけど、それはもう無理。それなら、せめて誰かに抱かれたかった。  物置みたいなその場所に着くなり、俺は引きずるようにして連れてきた鴫野を突き飛ばした。鴫野はされるがまま尻餅をつく。手すりみたいな壁みたいな、そこを背にするように追い込むと、鴫野はようやく切羽詰まった声を上げた。 「っ、先輩」 「お前、どーてー?」  鴫野はこくんと頷く。 「はは、まぁいいや。お前の童貞、俺に食わせろ」  別に、童貞が好きなわけじゃなかった。できるなら上手い相手がいいし、好きな相手の方がいい。そのほうが気持ちいいからだ。  ただ面白いから。俺の気が済むから。  それだけだった。 「ちょ、ま、まって、ください、先輩、ここで?」  しゃがんで鴫野のベルトに手をかけた俺の手を、思ったより強い力で鴫野の手が掴んだ。 「そうだよ」 「うちじゃ、だめっすか。その、近くなんで」  そんな、家でするための常套句みたいなものを聞くとは思わなくて、笑った。 「めんどくさ。ここでいいだろ。撮影したいなら、してもいいから」 「そんな変態じゃないっす」  鴫野は心外だと言いたげだった。  そんなことお構いなしに、パウチのローションやらゴムやらをポケットから取り出す。汚すわけにはいかないからゴムは必須だし、ローションがないと痛い思いをするからいつも持ち歩いていた。  鴫野のベルトを外して、スラックスの前を寛げる。下着をずり下げると、臍下から続く濃い目の下生えの下、うっすら兆した鴫野のちんこを握る。 「お前、フェラは初めて?」  俯くと垂れてくる邪魔な前髪を耳にかけると、鴫野が息を呑んだ、そんな気配がした。 「はい」  そうだよな。童貞だもんな。 「はは、じゃあ優しくしてやるよ」  笑って、緩く勃ち上がった鴫野の亀頭にキスをする。  ここで上書きして、終わりにしようと思っていたのに。  不意に近づいてくる足音に気付いて、顔を上げた。二人分の足音。ほとんど条件反射のようなものだった。やばい、と思いながら足音の方を見遣ると、長谷川の顔があった。  長谷川と目が合った。長谷川は『やべ』というような顔をして、くるりと回れ右をした。そのまま、二つの足音が離れていく。  幸い、鴫野の顔とちんこまでは見られていなさそうだった。それでも、間抜けな俺の顔は見えていたはずだ。俺からも、長谷川の顔が見えていたのだから。 (あーあ、終わった)  頭の中でぼんやりと思う。 (てかあいつ、なんでここに来るんだよ)  姿は見えなかったが、きっと隣には例の彼女がいたのだろう。 (ここでやる気か?)  ここは俺が見つけた場所だった。それで、長谷川を連れてきた。長谷川と、初めてしたのもここ。気持ちよくて、だけど必死に声を殺して、あいつに跨って腰を振った。  あいつの目を思い出す。欲情に濡れた、ぎらついた目。その目が俺だけを映していることが堪らなく好きだった。  腹が立って、悲しくて、悔しくて、なんだか失恋したより惨めな気分だった。  終わった。  長谷川にとって、俺はもう他人で、元セフレというだけの男。部活も引退した。クラスも別だし、もう接点はほとんどなくなる。 「せ、先輩?」  鴫野に呼ばれても、なんでそんなに鴫野が慌てふためいているのかわからなかった。  俺は鴫野のちんこを握ったまま、こともあろうにぼろぼろ泣いていた。目の前の景色が滲んで、見上げた鴫野の顔がぼやけた。  あったかい涙がぽたぽたと落ちて、鴫野のスラックスに不恰好な染みを作った。  気づけば嗚咽が漏れて、止まらなかった。

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