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第三話

 クリスはベッドの上で目覚めた。  何かを確かめるように、白いシーツの上で左手を握ったり開いたりを何回か繰り返す。  そうやって、クリスがぼんやりと自分の手を見つめていると、いきなり入口の扉が開いた。 「三分で着替えろ」  男は入って来るなりそう言うと、ベッドの上に新しい服を置いた。 「今日から授業が始まる。着替えたら出かけるぞ」  しばらくすると、クリスは準備を済ませて男に告げる。 「着替えた」  男はチラリとクリスを見る。  今回の服は、昨日のダボダボな服と違い、サイズをきちんと計って取り寄せた物なので、クリスの体にピッタリとあっていた。 「じゃあ行くか」  男はそう言うと、クリスを同じフロアにある簡素な部屋に連れて行った。 「座って待て。もうすぐ教師が来る」  そうして、クリスが待っていると、すぐに男が入って来た。  まず初めに来たのは、国語の教師だった。 「私の名前はこう言います」  国語教師は電子ボードに自分の名前を書いた。  挨拶が終わると、教師まずクリスに簡単な本を読ませ、どのくらい読み書きが出来るかテストをした。  クリスは、分からない単語はいくつかあったが、それを除けば読み書きは問題なかった。 「じゃあ次回までに、これを読んでおくように。分からない単語はこれで調べるといい」  教師はクリスに電子辞書と本を渡した。  次に来たのは数学の教師だった。  あきらかにクリスを見下した態度で、挨拶もせずに授業を始めた。 「簡単な計算は出来ると聞いているが、これは解けるかね?」  桁の多い数字の掛け算と分数の問題だった。 「これの意味が分からない」  クリスは分数を指さして教師に聞いた。 「分数も知らないのかね!」  教師は馬鹿にした態度で、クリスに分数について教えた。 「で? 他の問題は解けたのかね?」  暗算では難しい問題だが、教師はクリスに計算機を渡していなかった。  分数以外の問題は答えが書いてあったが、どうせ出鱈目(でたらめ)だろうと(たか)(くく)っていた。 「適当な数字を書いて(もら)っては困るなあ」  教師は間違っているだろうと思っていたが、試しに答え合わせをしてみた。  全問正解。  他の問題も調べてみる。  全て正解。  さっき、教わったばかりの分数の問題も、間違えなく解答していた。 「学校に通っていないと聞いていたが、通っていたみたいだね」  聞かれて、クリスは顔を上げた。 「通ってない。授業なんてはじめて受けた」 「じゃあ次はもっと難しい問題を用意しよう。次回までにこれを勉強しておいてくれ」  教師は今持っている中で、いちばん難しい本を渡した。  クリスは男に連れられて、最後の授業を受けに行く事になった。  男はいくつかのゲートをくぐり、エレベーターに乗った。  そして男は震える指で地下四階のボタンを押す。  目的の階につき、二人はエレベーターを降りた。  そこは灯りがついているにも関わらず、淀んだような薄暗い感じのする場所だった。  男はエレベーターから出て左に曲がった先にある部屋の前で立ち止まり、インターホンを押した。 「連れて来ました」 「入れよ」  部屋の主は無精髭(ぶしょうひげ)を生やした、鋭い目付きの男だった。 「生徒っていうのは、それか?」  部屋の主――レイ・ウィルボーンはそう言って(あご)をしゃくった。 「そうです」 「そういえば、怪我はさせないように機械で痛みを与えてやれと聞いてるが、それは怪我をさせなければ何をしてもいいって事だよな?」 「それは……」 「禁止されてないなら、していいって事だ」  男の言いかけた言葉にレイが被せるように言った。  機械というのは、授業用に用いる拷問器具の一種だ。  設定により、痛みの種類も強さも簡単に変えられる。  外傷はないが、実際に受ける拷問と同じか、それ以上の苦痛を与える事も可能であった。  レイはクリスの腕を掴んで引き寄せた。  レイの鋭い目に睨まれたら、それだけですくみ上がる大人もいる。  だが、クリスは何も映らない瞳をして、ただレイを見つめているだけだ。 「名前は何だ?」 「クリス」 「歳は?」 「八歳」  レイはクリスを見て嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みを浮かべた。 「気に入った」  授業が終わり、部屋に帰って来たのは十七時過ぎだった。  クリスはお腹は空いている(はず)だったが、全く食欲が()かなかった。  出された料理に口をつけてもいない。  クリスは酷く疲れていて、食事よりも何よりも、ただ寝たかった。  クリスはベッドに倒れると、そのまま眠りについた。  クリスが来て一ヶ月経ったある日、ダグラスの元に一人の教師が、興奮した様子でやって来た。 「超記憶症候群(ちょうきおくしょうこうぐん)をご存知ですか?」  ダグラスは自分の知識から、質問に答える。 「一度経験した事を忘れない能力じゃあなかったか?」  ダグラスが答えると、教師は大きく頷いた。 「クリスは超記憶症候群かもしれません」  実際クリスは飲み込みが早かった。  一度聞いた事は絶対に忘れない。  一を聞いて十を知る。  その知識を使って応用も出来る。  何も知らなかった子供が、詳しい知識を持っている大人をあっという間に超えて行くのだ。  それは超記憶症候群というだけでは説明がつくものではなかった。  それで、試しにクリスの知能指数を調べてみた事があったが、そのあまりの高さに周りが愕然とした程だった。  そんな様子だったので、座学の授業は早々に教える事がなくなってしまうものが多く、その度に別の授業に差し替えていった。  それは実技も同じで、射撃、操縦など、成績はどれも優秀だった。  拷問の授業に至っては、どんな頑固な相手も一〇分もあれば喋らせると言われる拷問官のレイをしても、まだクリスに声を出させる事すら出来ていないらしい。  異常はなかったが、痛覚があるのか検査をした程だ。  しかし、耐えられるからと言って、訓練がつらくない筈がない。  それに、クリスはここに来るまで、過酷な環境にいたのだろうと推測される。  忘れないと言う事は、それら全てが、消える事なく蓄積されていくのだ。  それが、つらい記憶であればある程、のしかかる物は大きいだろう。 「超記憶症候群、か……」  ダグラスはデスクに肘をついて、顔の前で手を組んだ。 「救われないな」

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