6 / 33

第六話

 エリオットは気持ちを高揚(こうよう)させて、クリスの部屋を訪れた。 「エリオットです」 「どうぞ」  返事と同時に、エリオットは扉を開ける。  すると、クリスは、いつものように入口に背を向けて、大きなスクリーンを見つめていた。 「失礼します」  今回エリオットは、クリスに呼ばれた訳でも、食事を持って行くような用事があった訳でもない。  ただエリオットには、どうしてもやりたい事があって訪れたのだ。 「覚えていらっしゃいますか? 今日はあなたと出会った四年目の記念日です」  エリオットは笑顔でクリスに告げる。 「ああ」  クリスは、興味なさそうに、上の空で返事をする。  確かにその通りなのだが、クリスにはどうでもいい事だった。  しかし、エリオットは熱の入った調子で話し続ける。 「いつも部屋の中では退屈でしょうし、ここから抜け出して街に出かけるいうのはどうですか?」  エリオットは出会った祝いを兼ねて、クリスに外の世界を見せたいと言った。  しかし、クリスにはエリオットが言っている事は理解の(ほか)の出来事だった。 「外出は出来ないよ」  クリスは後ろも見ずに言う。  それでも、エリオットはクリスの気を引こうと、外にはどんな楽しい事があるかと並べ立てる。  それを聞いても、クリスは全く興味が湧かなかったので、追い出そうと思ったのだが、エリオットは諦める事なく話し続けた。 「なにか記念日にプレゼントを贈りたいんです。一緒に選んで(もら)えませんか?」  クリスは、エリオットの言ったプレゼントという言葉に反応した。  よく考えると、今日は、ダグラスの誕生日でもある。  今まで祝った事などなかったが、プレゼントを渡したら喜んでくれるかも知れない。  外が危険なのは十分理解しているが、その間に何かが起きる確率はそれ程高くはないだろう。  クリスは、椅子を一八〇度回転させた。 「行ってもいいけど、どうやって外に出るの?」  その言葉に、エリオットは得意気に答える。 「清掃員の制服を持って来たんです。これを着れば、きっと見つからずに外に出られますよ」  クリスは、呆れて次の言葉が出て来なかった。  クリスは、常々この会社のセキュリティはザルだと思っていたが、それが事実で、しかも重症である事が今判明した。  エリオットの杜撰(ずさん)な計画で、会社の外に出る事が出来たのだ。  クリスはあらかじめ用意されていた私服に着替えた。  そして、メガネをかけて帽子を目深(まぶか)に被る。  代理業社はE国にある。  E国は川に囲まれた穏やかな気候の国だ。  その景観は美しく、それ目当てで来る観光客も大勢いた。  なので平日にも関わらず、街はたくさんの人で溢れかえっていた。  確かに、映像データだけでは表しきれない何かはあった。  しかし、クリスにとってそれは、興味を引く程のものではなかった。 「どこか行きたい所はありますか?」  エリオットに聞かれて、クリスは手持ちの情報から、ダグラスが何を貰ったら喜ぶか、考えてみる事にした。  代理業社代表取締役社長  ダグラス・アーサー  四十二歳  趣味は特になし  愛人が一人  特定の恋人はなし  好みは知的な年下の男性  よくデートで行く場所はホテルのレストラン  特に参考になるデータはなかった。  クリスは悩んだ末に、ダグラスが仕事の時にいつもつけているという理由で、無難にネクタイをプレゼントする事にした。 「紳士服売り場に行きたい」 「待ってください。今場所を探しますから」  クリスの発言に、エリオットは案内板を探してキョロキョロし始める。 「案内板は必要ない」  クリスは、既にこのショッピングモールの地図を記憶済みだった。 「こっちだよ」  そう言うと、エリオットの服を引っ張って歩き出した。  エリオットと一緒だったからおかしくはないだろうが、紳士服売り場というのは、子供が来るには場違いな所だった。  クリスは、ダグラスが今までつけていたネクタイを思い出し、好みに合いそうで手持ちと被らないものを選ぶ。 「これかな?」  しばらく悩んで、クリスがお目当てのネクタイを手に取った時、斜め後ろから声をかけられた。 「お父様へのプレゼントですか?」  女性の声だ。  クリスは、その声に体を固くした。 『クリスおいで』  母親の声を思い出して息が苦しくなり、体の震えが止まらなくなった。  クリスは、ネクタイを元あった場所に戻すと、逃げるように店から出て、近くにあったソファに腰掛けた。  そして、胸を押さえて苦しそうに息をする。  しばらくすると、エリオットが血相を変えて店から飛び出して来た。  そして、クリスを見つけると、急いで駆け寄る。 「こんな所にいたんですね。急にいなくなるからびっくりしましたよ……」  まだ、なにか続けようとするエリオットを遮り、クリスが声を(しぼ)り出す。 「帰りたい」  クリスの言葉に、エリオットは首を(かし)げる。 「もう帰るんですか? まだ来たばかりじゃないですか。それにクリスへのプレゼントもまだ……」 「取り()えず、ここから離れたい」  エリオットは、動揺しているクリスの様子に全く気付いていない。 「人に酔ってしまいましたか? ではどこか落ち着ける所に行きましょう」  そう言って笑うエリオットの顔など、クリスの目には入っていなかった。  ショッピングモールを出ると、四ブロック歩いた先にあるA広場に到着した。  そして、二人は広場のフリースペースにあるテーブルにつく。  少し前から、一人の男――ランドン貿易社長、フレデリック・ランドンが二人の様子を密かに(うかが)っていた。  フレデリックは、たまたま入った店で二人を見かけたのだが、記憶に間違いがなければ、その男は代理業社の社員だった(はず)だ。  代理業者の男が年下の少年に敬語で話しているのは不自然だし、どう見ても親子のようには見えない。  そして、その少年は、顔を見られたくないのか目深に帽子を被っている。  それらの情報から総合して、フレデリックは答えを導き出した。  半年前から、代理業社の仕事の精度が急激に高くなっていた。  それは、代理業社に恐ろしい程頭のいい社員が入った(ため)らしい。  そして、その人物はまだ子供だと噂されていた。  もし、この少年がその人物なら、うまく利用すれば、会社の勢力拡大に大きく貢献してくれるに違いない。  フレデリックは鞄から携帯を取り出した。 「俺だ。拉致(らち)したい人物がいる。A広場に男と帽子を被った子供の二人連れがいる。その帽子を被った子供の方だ」  連絡を受けてすぐ、五人の男たちが広場に到着した。  男たちは、すぐに目的の少年を見つけた。 「ターゲットに接近しました。これから行動に移ります」  一人の男は、フレデリックに連絡をすると、他の男たちに目配せした。  クリスは、自分の失敗を悟った。  気付いた時には、五人の男によって包囲される寸前だったのだ。  クリスは、まだよく回らない頭をフル回転させて考える。  そして、ひとつの答えを導き出した。  平静を装って、クリスはエリオットに話しかける。 「ここから二ブロック戻った所にある自販機に、期間限定のコーラがあるのを見かけたんだ。あれが飲みたいから、すぐに買って来て貰えないかな?」 「いや、しかし離れるのは危険ですよ」  エリオットもはじめは反対したが、クリスといくつか言葉を交わすと、渋々コーラを買いに向かった。  これで、なんとかエリオットを逃がすのには成功した。  しかし、クリスまで逃げるのはとても無理そうだった。  相手は、完全に周囲を固め、包囲網を徐々に狭めて来ている。 『諦めよう』  その時、クリスは背中に銃を突きつけられた。 「大人しくついて来い」  クリスは、黙ってそれに従った。  クリスは、ワンボックスの後部座席に乗せられ、目隠しをされて後ろ手に縛られた。  横には一人の男が見張りについている。  車に乗る前にチラリと見た男の顔は、既にクリスの頭の中にデータとして入っていた。  ランドン貿易の社員で、荒事などを担当している男だ。  車は、目隠しをしたままのクリスを乗せて、ゆっくりと走り出した。  何処に行くかは分からないが、ランドン貿易が絡んでいる事は間違いだろう。  どちらにせよ、景色は見えなくとも、クリスにとっては、行き先を特定するのは簡単な事だ。  ただ、車の進んでいる場所を頭の中の地図と、照らし合わせればいいだけなのだ。  五百メートル進んで右折。  曲がった先をすぐに左折。  目的地は、ランドン貿易で間違いなさそうだ。  それなら、クリスを拉致するよう指示を出したのは、ランドン貿易の社長と考えるのが自然だ。  ランドン貿易株式会社社長  フレデリック・ランドン  四十五歳  変質狂の少年愛者  ろくな情報ではない。 「降りろ」  クリスは、会社に着くとすぐ、目隠しをされたまま、どこかの部屋に連れて行かれた。  部屋に着くと、連行して来た男は、クリスの拘束を解いてフレデリックに引き渡す。  すると、フレデリックは、クリスの手を取って自分の方に引き寄せた。 「まずは顔を見せて貰おうか」  そう言って、フレデリックは、クリスの髪を引っ張って自分の方に顔を向けさせる。  すると、前髪の下に隠れていたクリスの容貌(ようぼう)が、はっきりと見えた。 「ほう」  フレデリックは、感心したように息を漏らして、口元に嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みを浮かべる。 「これは人違いだったとしても、十分楽しめそうだ」  そう言うと、フレデリックはクリスの体を乱暴に投げ飛ばした。  クリスは、床に叩きつけられて一瞬息が止まる。 「お前は代理業社の人間だな」  フレデリックは、しゃがみこむと、クリスの顔を覗き込んでナイフで(ほほ)を叩いた。 「違う」  クリスが答えると、フレデリックはナイフの切っ先を首に突きつける。  血が、一筋流れた。 「最近、代理業社に有能な新人が入ったらしいんだが、知らないか?」 「知らない」 「噂くらいは、聞いた事があるんじゃないか?」  ランドンは、これでもかと言うくらい、クリスに顔を近付ける。 「僕は代理業社の人間じゃないんだ。だから本当に何も知らない」  クリスは、フレデリックから顔を(そむ)ける。 「一緒にいた男は、代理業社のエリオット・ターナーだな。奴はお前に敬語を使っていたが、それは何故(なぜ)だ? お前が上司だからじゃないのか?」  フレデリックは、クリスの(あご)を持って自分の方に顔を向けさせた。  聞かれて、クリスは真っ直ぐにフレデリックを見る。 「それは、エリオットが僕の世話係だからだ」  嘘は言っていない。 「じゃあ、お前は何者だ?」 「僕はダグラスの……。代理業社社長の愛人だよ」  これは、もちろん嘘だ。  クリスはダグラスと関係を持った事など一度もない。 「へえ。あの社長がねえ」  フレデリックが下卑(げび)た笑みを浮かべる。 「だから、そんな社員の事は本当に知らないんだ」  クリスは胸を押さえて苦しそうに答える。  あの店を出てから、ずっと呼吸が苦しくて、今になっても動悸がおさまらないのだ。  しかし、そんな事はフレデリックには関係ない。 「こんなガキが愛人だなんて信じられないな。お前が噂の新人なんじゃないか? まあ、それを確かめる方法はいくらでもある。体に聞いてみればいい」  そう言って、フレデリックはクリスの脇腹を()りあげた。 「僕を解放した方がいいよ。体内に発信機がつけられている。感知しにくいタイプだ。探してるうちに夜が明けるだろう」  嘘だ。 「嘘だな。愛人にそんなものをつける理由がない」  クリスは、口元に曖昧(あいまい)な笑みを浮かべる。 「理由は僕が方向音痴だからだよ。すぐに迷子になるからつけてるのさ。そして、これは防犯装置にもなっている。僕が操作したら、信号が送られる仕組みだ。僕が誘拐された事が知れたら警察がここに来る。それでもいいの?」  フレデリックは、もう一度クリスの脇腹を蹴飛ばした。 「遊べなくなるのは残念だが、今すぐ殺すしかなくなった」  フレデリックは銃を取り出し、銃口をクリスに向けた。 「殺される前に聞いて欲しい事があるんだけど、いいかな」  クリスは、片腕をついて上半身を起こしながら言う。 「いいだろう。聞いてやるから話してみろ」  クリスは、目を閉じて考える。  そもそも、ここに連れて来られた時に、殺される覚悟は出来ていた。  ただ、自分が殺された後、エリオットがどうなるかが心配だった。  だから、フレデリックとこんな茶番を繰り広げている。  クリスは、自分の代理業社での立場を理解していたから、自分が殺されれば、エリオットが殺されるであろう事も予測出来た。  けれど、エリオットは自分を拾ってくれた恩人なので、死なせる訳にはいかない。  そして、クリスが助かる方法はある。  クリスは、代理業社に来た時に、社員教育の一環としていくつか授業を受けた。  その中に、拷問(ごうもん)という授業と、演技いう授業があった。  拷問は苦しみに耐える授業で、あらゆる痛みを味合わされた。  強姦(ごうかん)も、調教もされた。  演技の授業では、人を騙す方法を学んだ。  クリスは、助かる為の(すべ)は身につけている。  考えたのは、ほんの一瞬だった。  クリスは、心を決めると、目を開いてフレデリックを見た。 「僕にいい提案がある。僕にもあなたにも得になる提案だ。聞いて貰えるかな?」  クリスは自分のシャツのボタンに手をかける。 「発信機があるから、僕を殺したら、疑われるのは、あなただ」  クリスは一番上のボタンを外した。  フレデリックは銃を向けたまま、視線はクリスの手の動きを追っている。 「今のままだと、このまま僕を殺したとしても、あなたにはリスクこそあれ、メリットは何もない」  二番目のボタンを外す。  はだけたシャツからクリスの白い肌が見えた。 「で? 提案というのはなんだ? 言ってみろ」  フレデリックの口元に下卑た微笑(びしょう)が浮かぶ。 「簡単だよ。あなたは僕を犯す。その後、僕を解放する。それだけの事だ。解放してくれると言うなら、僕は発信機を操作する事はしない。そうすれば、警察が来るのはまだ先になるだろう。時間は十分にある。その間に、あなたはここで僕を犯せばいい。解放するのは、その後でも大丈夫だ。もし、僕がお目当ての相手だったとしても、ここまであからさまに拉致していれば、ここに置いておくのは得策ではない。殺すにしてもリスクが大き過ぎる。お目当ての人物と違ったら尚更だ。しかし、こんな事があれば、僕は嘘の証言をしろと言われても逆らえないし、ここでの事を誰にも話せなくなる。あなたは楽しい思いが出来て、僕は生きて帰れる。みんなが幸せになれる提案だ」  クリスは三番目のボタンを外し、誘うようにフレデリックを見た。 「それが嘘でないと言う保証はあるのか?」  フレデリックは、顔を近付けて、クリスの首筋を()める。 「保証はないよ。でも、あなたは僕の誘いを断れない……」  フレデリックは、嗜虐的に笑った。 「いいだろう。その提案を受け入れて殺さないでおいてやる。その代わり、これから存分に(なぶ)ってやろう。そっちが誘って来たんだ。どうなるかは、分かってるんだろう?」  フレデリックは、銃身でクリスのシャツの前をはだけさせた。 「手始めに、ここにいる全員の相手をして貰おうか」  フレデリックは五人の男達の方に顎をしゃくって見せた。 「誰から行くの?」 「まずは俺からだ。せいぜい楽しませてくれよ」  そう言って、フレデリックはクリスを乱暴に押し倒した。  クリスは、拉致されたA広場の近くで解放された。  広場に着くとクリスは、拉致された時、座っていた席に向かう。  クリスは、足元がふらふらで、立っているのがやっとの状態だったが、なんとか椅子に座る事が出来た。  このまま倒れてしまいたかったが、自室に帰るまでは倒れる訳にはいかない。  こんな事がバレたら、折角(せっかく)の作戦が水の泡だ。 「クリス! やっと見つけた! 心配したんですよ」  声がして、エリオットが駆け寄って来た。  エリオットは、今にも泣き出しそうな顔でクリスを見る。 「ごめん。ちょっと用事を思い出して、そっちに行ってた」 「せめて一言、言ってくださいよ。こんな時間まで帰らないなんて、本当にどうしようかと思ったんですから」  拉致されたのが午前で、今は夕方を回っている。  エリオットは、その間ずっと一人で探し回っていたらしい。 「もう遅いから早く帰りましょう! きっと出かけたのもバレてますよ」  会社に帰ると、二人は執務室に呼ばれた。 「何があったか説明して貰おうか」  ダグラスに言われて、クリスが答える。 「買いたい物があって、エリオットについて来て貰ったんだ。本当は、もっと早く帰るつもりだったんだけど、思いのほか時間がかかって、こんな時間になってしまったんだ」  ダグラスは怪訝(けげん)な顔でクリスを見る。 「買いたい物とはなんだ? 欲しい物ならいつも会社が用意しているだろう」  クリスは、少し迷ってから下を向いて答える。 「ちょっと個人的な物というか……」  ダグラスは、敢えて何を買おうとしたのか追求はしなかった。 「プライベートな物でも、欲しいなら可能な限り揃える。次からはそうするように」  そう言うと、ダグラスは、二人に執務室から出て行くように促した。  しかし、エリオットはそのまま退室したが、クリスはなかなか部屋から出ようとしない。  そして、言いにくそうに足で床を蹴る。 「どうした?」  ダグラスが問いかけると、迷った末にクリスは言った。 「お誕生日おめでとう」  ダグラスは面食らったが、クリスに礼を言う。 「ありがとう。私の誕生日なんてよく知っていたな」 「今までは言ってなかったし、プレゼントもないけど……」  クリスは少し残念そうに目をそらす。  それを聞いて、ダグラスはクリスが会社を抜け出した理由を察した。 「それが買いたかったのか? 気持ちは嬉しいが、危ない事をされるのは迷惑だ。これからはこんな事がないようにしてくれ」  クリスは俯いて答える。 「ごめんなさい」  謝るクリスに、ダグラスはため息まじりに問いかける。 「しかし、何故、私の誕生日を祝おうと思ったんだ?」 「それは社長が僕に居場所をくれたから」  クリスは、それだけ言うと執務室を後にした。  そして、自室に戻るとベッドに倒れ込み、そのまま気を失った。

ともだちにシェアしよう!