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第十三話
クリスは、看守体液でベトベトになった体を早く洗い流したくて、部屋に戻ると真っ先にバスルームに向かった。
牢にいた時、クリスは、ダグラスが来るかもしれないという事を失念していた。
分かっていたら、クリスは看守のいいようにさせはしなかった。
あの時、クリスは抵抗するなり助けを求めるなりして、逃げる事はいくらでも出来たのだ。
でも、クリスはそうしなかった。
なんでこういう事をしてしまうのか、クリス自身にもよく分からない。
自分の気持ちから逃げる為 だとレイは言うが、その後は決まって最悪な気分になった。
しかし、ダグラスとの時は違った。
クリスはあの時も、逃げ出したくてダグラスを誘っただけだった。
しかし、そんなクリスにダグラスはとても優しかった。
『あの時、僕は誰とでも良かったんだ。それなのに、僕はその事実を盾に、社長を縛り付けている』
クリスには、ダグラスを騙しているという後ろめたさがある。
その罪悪感から、クリスはダグラスに抱かれる度に苦しくなった。
それでも、クリスはその優しさを求めずにはいられなかった。
『社長に、抱かれたい』
クリスは、頭からシャワーを浴びた。
クリスは、別に性行為が好きという訳ではない。
と言うより、むしろ嫌いだった。
昔から望まない性交渉を幾度となく強要されて来たのだから、好きになれないのも無理はない。
それでも、以前はなにをされても平気でいられた。
どんなに酷い事をされても、終わってしまえばそれだけの事だ。
その時の事をどれ程、鮮明に思い出したとしても、クリスにとってそれはただの記憶に過ぎない。
痛くなかったのかと言われれば、そんなものは痛いに決まっている。
しかし、それは体の痛みであって、心の痛みではなかった。
それなのに、最近ではいつまで経っても苦しみが消えない。
それどころか、ここに来る以前の記憶まで、クリスを苦しめるようになっていた。
レイは、クリスに、感情が出て来たのだと言った。
そのレイとは、医務室で話をして以来、会ってはいない。
確かに、レイは、クリスが牢にいた時は近くにいたが、あれは会ったとは言わない
『あの時の行為 は、先生にはどう映ったんだろうか』
クリスは、自分が看守に抱かれている時のレイの鋭い視線を思い出す。
そして、レイと話がしたいと思った。
レイは、これからはなんでも、ダグラスに聞いて貰 えと言っていたが、言えない事の方が多いのだ。
クリスは、レイに会いに行きたかったが、脱走したばかりで警備は厳しくなっていた。
『先生に会いたい』
レイが、クリスを受け持ったのは、クリスが八歳から十一歳の頃だ。
授業を受け持ったこの三年間、レイは毎日のようにクリスを抱いた。
レイがはじめて会った時、クリスはなんの感情も持たない子供だった。
その何も映さない瞳に、レイの心は酷く惹 き付けられた。
その瞳を恐怖に染めたいという感情がレイに湧き上がった。
拷問用の機械であらゆる痛みを与えてみたが、クリスは顔色ひとつ変えなかった。
あまりに痛がらないので、機械の故障を疑ったり、クリスの痛覚に異常がないかを疑ったりした程だ。
次にレイは、自分が知り得る限りのありとあらゆる性的暴行を加えてみた。
しかし、クリスは恐怖心を見せないどころか、声ひとつ出さない。
それから何度も犯したが、クリスの態度は変わらなかった。
変化があったのは、レイがクリスに話しかけた時だった。
「なんで喋らないか言ってみろよ」
「なにも聞かれなかったから」
それは初日の挨拶で聞いて以来、久しぶりに聞いたクリスの声だった。
それから、レイは少しずつクリスと会話を重ねた。
話をするのは、授業の休憩時間だったり、性交の最中だったりもした。
そして一年が過ぎた頃、クリスは少しずつ自分の事を話すようになった。
レイがクリスに、ここに来るまでどうしていたのか聞いてみた事がある。
その時、クリスは表情ひとつ変えずに話した。
物心 ついた時から実の父親に性的虐待を受けていた事。
そして、その父親を自分の手で殺した事。
その後、母親から性的虐待を受けるようになった事。
母親が寝込んでからは体を売って稼いでいた事。
「だから、僕は今しあわせなんだ」
レイは、返す言葉を失った。
こういう時、どう接していいか分からなかった。
だから、滅茶苦茶に犯した。
そうやって三年間、レイとクリスは過ごした。
当時のクリスにとって、レイは唯一の話し相手だった。
クリスは、なにかあると決まってレイを訪ねた。
しかし、二人の関係は、普通の師弟関係とは少し違う。
とても複雑で、説明し難いものだった。
その頃、ダグラスはクリスの事を考えていた。
レジスタンスの作戦立案の依頼を請けたのはダグラスだ。
ダグラスはその所為 でクリスをつらい目に合わせてしまった事を酷く後悔している。
鎖に繋がれたクリスの足には、足枷 の痕 がくっきりと付いていた。
そんな状況にも関わらず、クリスはダグラスに会うと、自分の事よりもまずダグラスの心配をした。
『優しい子なんだ』
しかし、その優しさはとても危うかった。
ここに来た当初、クリスは感情の薄い子供だった。
しかし、色々なものに触れるうちに、クリスにも感情が芽生えてしまった。
クリスは、生まれたばかりの感情の波に振り回されて、苦しんでいるように見えた。
その感情の所為で、今までの経験も全てクリスにのしかかって来ているのは間違いない。
しかし、ダグラスは、クリスにどう接するのが正解なのか、全く分からなかった。
優しく接してもかえって苦しめるだけなのは分かりきっている。
しかし、突き放せば、クリスがさらに酷い状態になるのも分かっていた。
きっと今も、クリスが一人きりで苦しんでいるのは間違いない。
だから、ダグラスは、一日でも早く、クリスの待つ部屋に帰りたかった。
会社に戻っても、解決しなければならない仕事が山積みだ。
しばらくは、ゆっくり過ごせないかもしれない。
それでも、少しでもいいから、クリスの傍 にいたかった。
しかし、ダグラスには、それが純粋に、クリスを思っての事なのかよく分からなかった。
ただの自分のエゴではないかと思う事さえある。
それでも、確実に分かる事がひとつだけあった。
『また、つらい記憶を増やしてしまったな』
ダグラスは、その場にいなかったとはいえ、チェスターの暴走を止められなかった事に対し、責任を感じずにはいられなかった。
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