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第十二話
クリスが部屋にいると、突然そのニュースが流れて来た。
代理業社社長ダグラス・アーサーが何者かに狙撃される。
病院に搬送されたが、容態 は不明。
クリスは、慌てて部屋から飛び出した。
『多分、会議を開いてる』
クリスは、油断していた警備員の隙をつき、会議室に向かって必死で走った。
会議室で、ダグラス狙撃について幹部会議が開始されたその時、扉が乱暴に開かれ、一人の少年が入って来た。
ラフな部屋着に素足。
息を飲む程に美しい少年だ。
副社長チェスター・サザランドは、その少年を知っていた。
何年か前に数回会ったきりだが、その顔を忘れる筈 がない。
「久しぶりだね、クリス君。君をここへ呼んだ覚えはないんだけどね」
チェスターが鋭い視線をクリスに向けた。
「社長が、狙撃されたと聞いた。詳しい話を聞きたい」
その時、警備員が追いかけて来て、クリスを捕まえると、その場に押さえつけた。
「ここに来るのが得策でない事は、君が一番よく理解していると思うのだけどね」
会議室にいる人達の視線が、クリスに集中している。
クリスは、ほぼ監禁状態で仕事をしている為 、その存在を知る者はほとんどいない。
尤 も、ここにいる幹部達は全員その存在を知ってはいたが、実際に顔を見るのがはじめての者も少なくなかった。
会議室がざわつく。
「社長の容態が知りたい!」
警備員に押さえつけられながらも、クリスは叫んだ。
「社長は病院で手術中だよ。意識はないが、恐らく命に別状はないだろうと聞いている。秘書官を病院に行かせたので、進展があれば連絡が入るだろう。なにかあれば君にも連絡しよう。だから、今すぐ部屋に戻るんだ」
そう言い終えてから、チェスターは警備員を睨 んだ。
「子供の逃亡すら阻止出来ないとは、警備の意味が全くないようだね」
そして、チェスターは、チラリとクリスを見る。
「連れて行きたまえ。今度は絶対に逃げられないようにね」
警備員はチェスターに敬礼すると、クリスを部屋に連行した。
チェスターは、クリスの事を嫌っていた。
そもそも、クリスを生かしておく事自体、反対だったのだ。
あまつさえ、最近では良からぬ噂も囁 かれている。
ダグラスは、少年と肉体関係を持っている。
そして、愛人の少年を社内の自室に囲っている。
チェスターは、ダグラスがクリスと同室しているのは事実だが、他は根も葉もない噂だと信じていた。
ダグラスは、分別 のある大人だ。
子供と肉体関係を持つ事など有り得ない。
チェスターは、ダグラスがクリスと同室しているのも、なにか理由があっての事に違いないと思っていた。
しかし、最近ダグラスの態度に違いが出て来たのは事実だった。
ダグラスの仕事に対する姿勢は、今までとなんら変わりはないのだが、その目には以前程の鋭さがなくなっていた。
その変化を良い方にとる者もたくさんいたが、チェスターはそれを良しとしなかった。
ダグラスが尊敬する上司であるからこそ、その変化を容認 する事が出来なかったのだ。
その時、クリスは、自室のベッドの上でうなだれていた。
自分の行動が軽率で、立場をわきまえないものだった事は、よく分かっていた。
別に、内線で聞けばすむ話だ。
それでも、クリスは行かずにはいられなかった。
クリスにとって、ダグラスは特別な存在だった。
自分に居場所をくれて、優しさをくれた。
クリスの話にも耳を傾 けて、真剣に向き合ってくれる。
ダグラスは、何者にも代え難 い存在なのだ。
その後、クリスの元に、経過を知らせる内線はまだ来ない。
ダグラスは、会社と提携 している病院にいるに違いない。
クリスは、出来る事なら、抜け出して病院に行きたかった。
しかし、それは出来ない。
『恐らく、今回の事件はH国の犯行だ』
時期的に見ても、遠距離から狙撃するやり方から考えても、その線は濃厚だった。
恐らく、レジスタンスの誰かが、H国に代理業社が作戦を立てた事を漏 らしたのだろう。
そう考えると、相手はダグラスの暗殺に失敗したのではなく、危険を犯してまでもわざと外したとみるべきだ。
これは、ダグラスをいつでも殺せるぞという脅しだ。
では、その脅しで要求するものはなにか?
それは、作戦を立てたクリスの身柄である。
クリスは、自分がH国に行く事で全てが解決するのなら、それでもいいと思っていた。
しかし、相手の要求を飲んだからと言って、ダグラスが殺されないという保証はどこにもないのだ。
むしろ、クリスがH国に行けば、ダグラスの命を盾に取られて、要求に逆らえなくなる可能性が高い。
ならば、クリスが相手に捕まるのは得策ではない。
無論 、クリスに策がない訳ではないが、情勢が分かるまでは、下手にこちらから動く訳にはいかなかった。
『身動きが取れない』
直 に相手からなんらかのアクションがあるだろう。
クリスはH国からの要求を待つしかなかった。
「調子はどうかね」
チェスターが、合図もなしに部屋に入って来た。
「社長の容態は?」
クリスは、チェスターに駆け寄る。
「手術は成功したよ。今は集中治療室にいる。命に別状はないと言う事だが、意識はまだ戻っていないようだね」
クリスは、少し安堵 した。
「良かった」
チェスターは、ダグラスの寝室を見渡した。
スクリーンに映し出される映像や、雑多 な音の洪水。
そして、雑然と置かれた様々なシミュレーターの数々。
クリスの所有物と見て間違いないだろう。
「これでは、まるで子供のおもちゃ部屋だね」
チェスターは、元の部屋を知らないが、ダグラスがこんな散らかった部屋で生活をしていたとはとても思えなかった。
チェスターは、忌々 しそうにクリスを見る。
「私はね、もともと君を生かしておく事には反対だったんだよ。社長がいない今なら君を殺す事も容易だろうね」
チェスターは、銃を取り出して、それを弄 ぶ。
クリスは、チェスターを見返した。
「そんな事をしたら、君の敬愛 する社長はなんて言うだろうね」
チェスターは、クリスの胸ぐらを掴 んだ。
「私はね、君のような生意気な子供は大嫌いなんだよ」
クリスは、自分を掴んでいるチェスターの手を押さえた。
「奇遇だね。僕もあなたが大嫌いだ」
しばらく、そのまま睨み合っていたが、チェスターは飽きたようにクリスから手を離した。
「君の処遇は社長のいない今、私に委 ねられているという事を忘れない方がいいだろうね」
クリスは衣服を整えながら、チェスターに告げる。
「社長の意識が戻るか、H国からの要求が来たらまた知らせに来てよ」
退室しようとしていたチェスターは、クリスの言葉に足を止めた。
「なんだって?」
クリスは挑発的に微笑んだ。
「首謀者はH国だからだよ」
チェスターは部屋を出ると、壁を拳 で殴った。
クリスがなんの根拠もなく言った筈がないと分かっていたからだ。
そして、それを証明するように電話が鳴った。
『副社長すぐに来てください。H国から犯行声明と我社に対する要求が届きました』
「すぐに行く。会議を開く準備をしておいてくれたまえ」
チェスターは苦虫を噛み潰したような顔をして、もう一度壁を殴った。
H国からの要求はこうだった。
『作戦立案者の身柄を引き渡せ、さもなければ社長を殺す』
クリスを引き渡すのは論外だった。
その頭脳を悪用されれば、代理業社も危険に晒 される事になる。
しかし、ダグラスを殺させる訳にはいかない。
代理業社は、究極の二択を迫られていた。
「やはり、あの時レジスタンスの依頼を断っていれば……」
ついには、今更言ってもどうしようもない事を言い出す者まで出る始末だ。
「あれは社の総意で決まった事だ。それに今議論すべきなのは今後の方針であって、たらればの話をする事ではないと思うんだけどね」
会議は深夜まで及んだが、決定的な意見は何も出なかった。
しかし、このまま返事を先延ばしにして、ダグラスの身を危険に晒す訳にはいかない。
そこでチェスターは一つの提案をしてみる事にした。
前々から願っていて、ずっと叶わなかった試みだ。
「クリスを処刑するというのはどうだろう」
それは、誰もが思っていても、口に出来なかった事だった。
「しかし、それには社長の指示を仰がなくては……」
歯切れの悪い答えが返って来る。
「社長の意識が戻るのを待っている間に、最悪の事態になる事があるかもしれない。社長の指示を仰いでいる暇などないのは分かるだろう」
会議は一旦閉会し、詳しい事は翌日に改めて決定する事になった。
そして翌日の会議で、クリスの処刑が決定した。
クリスは部屋から連れ出され、地下の処刑室に連行された。
道中でH国からの要求について聞いてみたが、警備員はなにも知らされていないようだった。
クリスは予想する。
恐らくH国の要求は、予想通りクリスの身柄の引渡しだろう。
そして、引き渡さなければダグラスを殺すと言って来たに違いない。
そして、会議の結果、チェスターはクリスを殺せばダグラスも殺されずに丸く収まると考えたのだろう。
クリスは処刑室に着くと、処刑人に押さえつけられて座らされた。
部屋にはチェスターの他、何人かの幹部がいる。
「会議で君の処刑が決定したよ」
チェスターが無機質な声で告げた。
そして、H国の要求と会議での決定事項を述べた。
「社長を助ける為だと言ったら、君もこの処罰に従うと思うけどね」
「それが社長を助ける為だったらね」
クリスは、ボソリと呟いた。
「なにか言い残す事はあるかね」
クリスは、まっすぐチェスターの顔を見る。
「ひとつあるけど、聞いて貰 えるかな?」
「話すといい。聞いてあげよう」
クリスはニヤリと笑った。
「僕を殺したらH国の社長殺害計画を止められなくなるよ」
チェスターはクリスの言葉に眉をひそめた。
「相手の要求は僕を生きたまま渡す事だ。それが守れないなら交渉は決裂だ。彼らは社長を殺すだろうね。副社長、あなたが心酔している大好きな社長が殺されてもいいというのなら、試してみなよ」
チェスターは、その言葉に息を飲んだ。
「では、だとしたら、もう我々に打つ手立てはないというのか?」
慌てるチェスターに、クリスは囁くように告げた。
「相手にはこう伝えればいい。社の趨勢 を決する重要な問題なので、社長の指示なしでは決められない。話は社長の意識が戻ってからだ、とね」
チェスターには、その提案を試す以外に方法が見つからなかった。
その場にいた幹部達に意見を求めたが、皆同じ考えのようだった。
チェスターは、忌々しそうにクリスを見た。
「処遇が決まるまで牢 に繋いでおきたまえ」
その場を後にしてから、チェスターはH国にクリスの言った通りの事を伝えた。
H国は要求を承諾した。
クリスは、足枷 をはめられ、牢に繋がれていた。
今、クリスが気になるのはダグラスの容態だけで、部屋にいても牢にいても分からないのが同じなら、クリスは一人でいるより、ここにいる方が楽だった。
今のところは、チェスターに告げた策でどうにかなるだろうし、ダグラスの容態が分からなければ、この先どう動けばいいか決まらない。
それに、H国は、ダグラスが死んだところで、計画をやめるとは考え難い。
クリスは、当然その時の策も頭にはあるが、それを考える気にはなれなかった。
近くにはレイがいたので、気晴らしに相手をして欲しいと思った。
しかし、牢の外には看守が二人いて、とても話が出来る状況ではなかった。
「トイレはどこですればいいんだろう?」
クリスが看守に尋 ねた。
「そこの隅に便器があるだろう。そこでしろ」
看守が部屋の隅を指さす。
そのトイレには、壁もカーテンも何もなかった。
「もしかしてスカトロ好きなの?」
看守がクリスをすごい目付きで睨んで来た。
「じゃあ、せめて後ろを向いといてよ」
何度目かの看守の交代があった。
クリスは交代したばかりの看守の一人が、自分の事を卑猥 な目付きで見ている事に気付いた。
『警備員といい、この看守といい、この会社にはろくな人材がいないようだ』
クリスがそう思いつつトイレで用を足していると、看守の一人が牢に入って来て、クリスの腕を取った。
「ちょっと付き合えよ。大人しくしていれば優しくしてやるから」
そう言って看守は、クリスの上着に手を差し入れ、首筋に舌を這 わせた。
もう一人の看守はため息をつくだけで、止めに入る気はないらしい。
「たまらないな」
看守はそう言って、自分の腰をクリスに押しつけた。
レイは、最愛の教え子がレイプされているのを殺意のこもった目で見つめていた。
しかし、クリスからなにも合図がないという事は、放っておけと言う事なのだろう。
レイは、クリスがなにかに耐える為に、自分を傷付けずにはいられない性格だという事を、短い付き合いながらよく知っていた。
クリスがはじめてダグラスに抱かれた時もそうだったように。
『誰でもいいなら俺に抱かせろよ』
それは偽 らざるレイの本心だった。
ダグラスは意識が戻るや否 や、怪我を押して会社に戻って来た。
自分が倒れていた間どんな状況だったのかも気になったし、クリスの様子も心配だった。
ダグラスは、会社に戻ると、チェスターに今の状況を尋ねた。
チェスターは、その質問にH国が提示した要求を伝えた。
そして、H国にはダグラスの意識が戻るまで、話を待って貰っていると報告した。
「分かった。それでクリスはどうしている?」
「それは……」
チェスターは答えに窮 した。
その様子が気にはなったが、ダグラスはとりあえず自室のクリスに会いに行こうとした。
しかし、それをチェスターが押しとどめる。
チェスターにしてみれば、ダグラスが帰って来るなど予想外の事だったのだ。
クリスもまだ牢に繋いだままでいる。
その態度を怪しんだダグラスがチェスターを問い詰めると、言い淀んだ後にゆっくりと答えた。
「社とクリスの身の安全の為に……。牢に繋いでいます」
「なんだって!」
ダグラスは急ぎ牢に向かった。
これは、クリスが会社から出ていく危険性を考えての措置 だろう。
しかし、牢に繋ぐ必要があるとは、ダグラスには到底思えなかった。
それに、クリスは恐ろしく頭がいい。
この件の解決策など、クリスに聞けば簡単に分かる筈だ。
ダグラスは監獄につくと扉を乱暴に開けた。
そこには、鎖で繋がれたクリスの姿があった。
それを見るなり、ダグラスはチェスターを睨みつける。
「こんな重要な事を君はなんの権限があって決めたんだね」
チェスターは慌てて取り繕おうとするが、まともに言葉にならない。
「クリスは私の直轄 だ。私になにかない限りは、彼の処遇は私が決める。クリスを早く牢から出せ」
ダグラスに指示され、看守は慌ててクリスを牢から解放した。
クリスは安心した顔でダグラスを見る。
「社長が無事で良かった」
ダグラスは、クリスの頭に手を乗せた。
「心配をかけたな。すまない事をした」
「これは社長の所為 じゃないよ」
クリスは苦笑した。
違うと言われても、これは自分の所為だとダグラスは思う。
その場にいなかったとはいえ、クリスに苦しい思いをさせた事に変わりはない。
ダグラスは、この状態のクリスに解決策を聞くのは憚 られたが、会社の為にはそうしない訳にはいかないかった。
ダグラスは、一個人であるという以前に、会社の責任を負う立場にある人間だったのだ。
「クリス。この状況の打開策はあるんだろう?」
ダグラスの問いにクリスは即答した。
「勿論 」
「ここではなんだから、続きは会議室で聞かせて貰ってもいいか? つらいようなら部屋でもかまわないが」
「ここで大丈夫。話はすぐすむから」
クリスは続けた。
「社長を狙うようなら、僕がレジスタンスに味方してH国と戦うと宣言すればいい。国家転覆 とまでいかないとしても、今以上の被害が出るのは確実だ。相手は要求を飲むしかなくない。僕が約束を破ったら相手は社長を殺せばいい。簡単な取り引きだよ」
クリスの答えを聞いてチェスターは愕然 とする。
「なんでそれを今まで言わなかった?」
それにクリスはサラリと答えた。
「聞かれなかったもの」
ダグラスは、クリスがそれだけの理由で大切な事を言わなかったとは思っていない。
何か考えがあったのだろうと、深く追求はせず、労 うようにクリスの頭をなでた。
「クリスありがとう。助かった。部屋に帰ってゆっくり休んでくれ」
ダグラスはクリスに告げてから、ガックリとうなだれているチェスターに向き直る。
「君の社を思う気持ちは分かる。だが今回の件は浅慮 と言う他ない。しばらく自宅にて謹慎 を命じる。指示があるまで待機しておくように」
ダグラスは、チェスターの肩をぽんと叩いた。
「私の留守中ご苦労だった」
チェスターは、敬服 して涙を流した。
話し合いの結果、H国が全面的に条件を飲む形となった。
ダグラスは話し合いを終えると、そのまま病院へ戻って行った。
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