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第十一話
あの日以来、クリスはダグラスに関係を求めては来なかった。
一緒にベッドに入っても、添い寝をするだけだ。
はじめのうち、クリスは静かで暗い部屋では眠れないと言って、流れる音も部屋の灯りもそのままで眠っていた。
一緒の部屋で寝るダグラスは、堪りかねてアイマスクと耳栓を購入した程だ。
しかし、クリスはダグラスのそばで寝るようになって落ち着いたのか、今では静かで暗い部屋でも眠れるようになっていた。
今まで毎日のようにうなされていたが、その頻度 も少なくなっている。
ダグラスは、自分の胸に顔を埋 めて眠るクリスの髪をなでる。
そうして眠る姿は、ただの子供にしか見えず、あの日の事が嘘のように思えた。
『僕を抱いて欲しいんです』
ダグラスは、クリスが絞り出すように言った言葉を思い出す。
クリスはここに来た時、恐らくレイプされた後だった。
それに、拷問の授業でそういう訓練も受けている。
そもそも、ここにいる時点で、クリスは「ただの子供」ではいられないのだ。
ダグラスが物思いに耽 りながら、髪をなでていると、クリスが目を覚ました。
そして、クリスは髪をなでるダグラスの手を取る。
「社長。しようよ」
あの日以来、はじめてクリスが体を求めて来た。
ダグラスは、少し戸惑う。
クリスは、ダグラスの手を自分の頬 に当てる。
まだ幼いながらも、クリスは誘う術 を知っていた。
思えばあの時も、ダグラスは、クリスに求められるままに関係を持った。
確かに、誘ったのはクリスだ。
しかし、抱く事を選んだのはダグラスだった。
ダグラスには、断る事などいくらでも出来た筈 だ。
では、なぜ断らなかったのかと考えてみるが、ダグラス自身にも分からなかった。
「眠れないのか?」
クリスは聞かれると、クリスはダグラスの手を抱え込んで俯 いた。
「眠りたくない」
ダグラスが手を解 くと、クリスは覗 き込むように顔を上げる。
見惚 れるほどに綺麗な容貌だった。
それが、クリスが「ただの子供」でいられない一因なのは間違いない。
クリスは、解かれた手をもう一度伸ばして、今度は両手でダグラスの頬を包み込む。
「社長。抱いてよ」
クリスは、そう言ってダグラスに顔を近付ける。
いくら綺麗な容貌をしているとはいえ、クリスはまだ子供で、今でも性的対象として見る事は出来ない。
それなのに、ダグラスは今回も断る事が出来なかった。
ダグラスは誘われるままに口付け、クリスを抱きしめた
翌日もダグラスは仕事だった。
ダグラスの仕事は年中無休だ。
仕度をしようとダグラスがベッドから出ると、クリスも目を覚ました。
「おはよう」
昨夜の事が嘘のように、クリスはいつもの調子で挨拶をする。
「ああ。おはよう」
返事をするが、何故か、大人である筈 のダグラスの方が動揺してしまう。
「仕事に行って来る」
ダグラスは慌てて服を着ると、まるで言い訳のように言った。
「行ってらっしゃい。僕も仕事しなきゃ」
クリスは裸のままベッドから抜け出し、落ちていた服を拾う。
ダグラスは、クリスから目をそらすと「じゃあ」と短く言って、急いで部屋を後にした。
ダグラスの今日の仕事は、以下の通りだ。
朝は、書類整理。
昼は、レセプションパーティ。
夕方は、会議。
ダグラスは、朝の仕事をそつなくこなし、パーティ会場に向かった。
今日のパーティは、得意先の創立二十周年の祝賀パーティだ。
会場に着くと、ダグラスは主催者のグレゴリー・フォスターに挨拶をした。
「創立二十周年おめでとうございます。今日は呼んでいただきありがとうございます」
グレゴリーはダグラスに握手を求めた。
「いやあ、アーサー君ありがとう。最近、仕事は順調なようだね」
ダグラスは、グレゴリーの手を握る。
「お陰様でありがとうございます」
グレゴリーは握手したままで、詮索するようにダグラスを見た。
「とても優秀な社員が入ったという噂があるが、どうなんだね」
ダグラスは、にこやかに笑って、グレゴリーの手を離した。
「うちの社員はみな優秀で、よく仕事をこなしてくれています」
グレゴリーは、ダグラスの肩を抱いて、声のトーンを落とす。
「なんでもその社員はまだ少年で、君の愛人だそうじゃないか」
ダグラスは、軽く失笑する。
「失礼しました。あまりに突拍子もない話で笑ってしまいました。誰がそんな噂を流しているんですか?」
『社内におしゃべりな社員がいるらしい。見つけ次第、処罰した方がいいな』
ダグラスは、笑いながらも心の中でそう思った。
「是非とも、その少年に会ってみたいものだな」
ダグラスは、グレゴリーの言葉を笑顔でかわした。
そこに、他の人が挨拶に来たので、ダグラスはなんとか逃げる事が出来た。
グレゴリーは口の軽い男だから、他にも噂は広がっているに違いない。
『どこまで知られているんだ?』
ダグラスは、何の対策も講じていなかった自分の迂闊さを呪った。
噂を流した社員を消したとしても、流れた噂を消す事は出来ない。
『今日の会議では、この事も議題にしなければならないな』
遅くなってから部屋に戻ると、クリスはいつものように扉を背にして、スクリーンを見つめていた。
様々な情報が同時に流れているのだが、クリスは全てを聞き分けて記憶している。
誰にも出来ない芸当だろうが、クリスにとって、それは大した事ではない。
まさに、クリスは天才という名がそのまま当てはまるのだ。
ダグラスは感心したようにため息をつくと、クリスに声をかける。
「ただいま」
すると、クリスは笑顔で振り向いた。
「おかえり」
それからも、ダグラスは何度か、クリスと体を重ねた。
ダグラスは、クリスが自分に好意を寄せているのは知っている。
クリスの気持ちを受け入れる事が出来ないのであれば、拒絶すればいいだけだ。
中途半端な優しさなど、相手を傷つけるだけでお互いなにも得るものはない。
ダグラスは、そんな事など百も承知だった。
しかし、それでも拒む事が出来なかった。
そして、ダグラスは何度もクリスを抱いて行くうちに、クリスが性行為が好きではない事に気付いた。
いつも抱く時に体をピクリと震わせるのは、クリスの癖なのだろうと思っていたが、どうやら違うようだった。
それなら、何故、関係を求めて来るのかと、ダグラスは考える。
そして、それがクリスの言った『自分を現実に繋ぎ止めておく方法』ではないかと思い至 った。
しかし、理由がどうであれ、求めに応じる事でクリスを苦しめるなら、こんな関係は続けるべきではない。
分かっていながらも、ダグラスはそれを告げる事が出来なかった。
仕事が終わると、真っ直ぐに寝室に戻るのが、ダグラスの日課になっていた。
そして、クリスと他愛 もない話をしながら一緒に食事をするのだ。
ダグラスは、毎日社食では食べ飽きるだろうと思い、夕食だけはレストランから取り寄せていた。
それは、ダグラスが以前、愛人とよく行っていたレストランの料理だ。
取り寄せているのは、そこの料理が好きだからという理由だったが、なぜか後ろめたい気持ちになる時があった。
「美味しいね」
クリスは、丁寧にナイフとフォークを使って食べる。
だらしのない食べ方をする事が多いが、クリスは食事をはじめとする社交マナーを一通り学んでいる。
外に連れて出ても、全く遜色 なく振る舞う事が出来るに違いない。
『外に連れて出てやりたいな』
ダグラスはしみじみと思った。
しばらくして、ダグラスは、愛人と別れた。
会う時間が取れなくなったからというのが一番の理由だったが、それだけではなかった。
もう一つの理由は、毎日寝室に戻るのを楽しみにしている自分に気付いたからだ。
クリスは頭の回転が早く、会話をしていて全く飽きない。
最初は、クリスの話がすぐ色々な所に飛ぶ事に戸惑ったが、慣れてしまえば尽きる事のない話題を楽しむ事が出来た。
『どうかしている』
ダグラスは、どんどん自分の感情が分からなくなっていった。
しかし、そんな日々を重ねて行くうちに、クリスはどんどん不安定になって来た。
ダグラスは、楽しく過ごしていたが、クリスは違っていたようだ。
そして、それに比例して、クリスが体を求めて来る頻度も高くなった。
ダグラスは、その理由を直接クリスに聞いてみる事にした。
「つらそうだが、何か悩んでる事でもあるのか?」
クリスはその問いに、口を開きかけてまた閉じる。
ダグラスは無理に聞かない方がいいのではないかとも考えたが、この状態のクリスを放っておく訳にはいかないと思った。
ダグラスは、なるべく優しく語りかける。
「私で良ければ、聞かせてくれないか?」
クリスは、ダグラスに聞かれてから、しばらく黙っていたが、覚悟を決めたようにゆっくりと口を開いた。
「社長が優しくしてくれるのが苦しくて」
「私の気持ちが重かったのか?」
クリスは首を横に振った。
「僕には優しくされる資格がないから」
「私がそうしたいからしているだけだ。資格なんて関係ない」
ダグラスは、クリスの肩に手を置く。
「だって僕は汚いから」
クリスはそう言うと、俯いて悲しそうに笑った。
「どうして、そう思うんだ?」
クリスは、ダグラスの問いには答えず、なにかに耐えるようにきつく目を閉じる。
ダグラスは、自分の中途半端な気持ちが、クリスを余計に苦しめているのだと分かっていた。
しかし、想いに反して、ずるずると関係を続けている。
「汚いのは私の方だ」
ダグラスはそう言うと、クリスの体をきつく抱きしめた。
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