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第十五話(後編)

※残酷表現あり  翌朝、クリスは一晩中拷問を受け、半裸の格好で壁にもたれて座っていた。  体のあちこちには、打撲の(あざ)やムチで打たれた(あと)がついている。  しかし、項垂(うなだ)れてはいるが、意識がない訳ではない。  クリスは、廊下に響く足音を聞いて顔を上げた。 「おはよう、大統領。早起きだね」  ベネディクトは様子を(うかが)いに来ていたのだが、クリスを見ると、笑みを浮かべて大袈裟(おおげさ)に両手を広げた。 「これはこれは。随分(ずいぶん)とお楽しみだったみたいじゃないですか」  クリスは、ベネディクトの声に、口の端を吊り上げて嘲笑(あざわら)うように告げる。 「前にも言ったよね? せっかくのおもてなしだけど、残念ながら僕はマゾヒストじゃないんだ」  ベネディクトはクリスの言葉に失笑する。 「ああ。そんな事を言っていましたね。まあ、首を縦に振れば、お気に召すようなおもてなしをご用意しましょう」  クリスはそれを鼻で笑う。 「絶対に手伝わないって言った筈だけど、大統領は記憶力が悪いみたいだね」  その言葉に、ベネディクトは不愉快そうに顔をしかめた。 「痩せ我慢がいつまで続くでしょうね。どうせ最後には言う事を聞く事になるんです。大人しく従ってはどうですか?」  クリスは、口元を笑いの形に歪めた。 「ならないね。なにせこんな拷問じゃあ、蚊に刺されたくらいにしか感じないよ。拷問官の配属先を考えた方がいいんじゃないかな?」  ベネディクトは、苛立(いらだ)たしげにクリスを(にら)みつけた。 「いつまで強がりを言っていられるかな?」  ベネディクトは低い声で告げると、拷問官を横目に見る。 「こんな憎まれ口が叩けなくなるまで、もっと痛めつけてやれ」  そう言って、ベネディクトは足早に牢を後にした。  ベネディクトが去ると、クリスと拷問官の二人が牢に取り残された。  拷問官は二人きりになると、クリスの首を絞めて持ち上げ、背中を壁に打ちつけた。 「俺を馬鹿にするとはいい根性だ。後悔させてやる」  その時、クリスの耳に、遠くで泣く子供の声が届いた。 「あの泣き声は、なに?」  クリスは首を締められながら声を絞り出した。 「ああ? そんな事を気にする余裕があるのか?」 「教えてよ」  その言葉に、拷問官は苛立たしげに告げる。 「教える訳がねえだろ」  そう言うと、拷問官はクリスから手を離し、床に叩きつけた。  解放されたクリスは、何度か咳き込んでから体を起こした。  そして、涙に潤んだ目で拷問官を見上げる。 「こんな事より、昨日の続きをしない?」 「続き?」  拷問官は、昨日の事を思い出したのか、下卑(げび)た笑みを浮かべる。 「そう、続き。昨日より気持ちよくさせてあげるよ」  「なにをしてくれるんだ?」  クリスは拷問官の足に手を伸ばして、誘うように笑った。 「試してみる?」   トーマスは半泣きの状態で、会社の地下室に連れて来られた。 「よろしくお願いします」  警備員は挨拶をし、トーマスをレイに引き継いだ。 「ああ。俺に任せな」  レイはそう言うと、トーマスの横っ(つら)を思い切り殴った。 「ひぃ」  トーマスは反動で床に転がると、情けない声を出して、殴られた(ほほ)を押さえた。 「なんでも、俺の可愛い生徒を売ったらしいじゃねえか。誰に売ったんだって?」  レイは、釘を火で(あぶ)った。 「これをな、爪の間に打ち付けていくんだよ。痛いぜ」  そう言って、レイは酷薄な笑みを浮かべた。  トーマスは、焼けた釘を見て、恐怖のあまり顔を真っ青にして口をパクパクさせている。 「まずは右手の人差し指から行くか?」  トーマスは、レイに取られた右手を一生懸命引っ張るが、びくともしなかった。 「話す! 話すからやめてくれ!」 「まだ何もしてねえぞ?」  レイは、鋭い目でトーマスを睨んだ。 「お願いだ。なんでも喋るから、許してくれ」  レイは無言で釘を打ち付けた。  トーマスの悲鳴が地下室に響き渡った。 「D国に、D国に頼まれたんだ」  トーマスは、泣きながら言った。 「いくらで売ったんだ?」 「お金じゃない。娘、病気の娘の治療に、D国は医療が進んでいるから、さ、最先端の医療を娘に受けさせてくれると。娘の為だったんだ。お願いだ。許してくれ」  レイは、もう一本釘を取り出した。 「手前のガキの事なんざ関係ねえよ。そんな事で許されると思ってんのか?」  レイは今度は中指に打ち付ける。  トーマスが悲鳴をあげた。 「クリスはな、こんな事じゃ眉ひとつ動かさねえ。多分、今も拷問されているんだろうが、きっと手前みたいに惨めに助けを求める事なんざしてねえだろうよ」 「しゃっ、喋ったんだ、だから……」  トーマスの言葉にレイは手を止めた。 「そうだ、忘れてた。社長に連絡しなくちゃいけなかったんだ」  レイは、会議室を呼び出した。 「社長いるか?」  レイが言うと、すぐにダグラスに取り次がれた。 『代わった。私だ』 「いたぶるまでもなく簡単に吐いたぜ。首謀者はD国らしい」 『分かった。ありがとう』 「あんたがついていながらなんて失態だよ。俺の可愛い生徒になにかあったら、社長だろうがな、殺すぞ」  レイは、そう言うと通信を切った。  そして、すぐトーマスに向き直ると、鋭い視線で睨みつける。 「で、どこまで話したっけ?」  トーマスは、怯えてうずくまり、お拝むように両手をあわせる。 「娘、娘が……」 「ああ、そうだった。娘だ。その代わりにクリスを売ったんだったな」  次は薬指。  トーマスが悲鳴を上げた。 「クリスはなどんなに拷問されたって絶対に相手に従う事はねえ。そうしたらどうなると思う?」  レイは、トーマスの顔を覗き込んだ。 「散々拷問された挙句に殺されるんだよ!」  そう言うと、レイはトーマスを蹴り飛ばす。  それから、レイは注射器を取り出すと、トーマスの目の前にちらつかせる。 「ここにな、拷問用の薬がある。感覚が十倍になる上に気絶が出来なくなる薬だ」  レイは、注射器をはじいた。 「効果は五時間で連続使用は出来ねえ」  トーマスの腕を押さえて、注射器の空気を抜く。 「心配するな。五時間たっぷりいたぶった後は、ちゃんと殺してやるよ」  レイは、(ささや)くように告げると、トーマスの腕に注射器を刺した。  ダグラスは、切れた通信機を見つめて、さっきの言葉を噛み締めていた。  生徒と呼んでいたのだから、クリスの授業を受け持っていた教師なのは間違いない。  そして、相手が拷問官だと言うなら、相手は拷問の教師と言う事になる。  データを見る。  レイ・ウィルボーン  三十九歳 『くそっ』  苛立ちを覚えながらも、ダグラスは会議の続きをはじめた。 「相手が分かった。D国だ。外国相手では、こちらも迂闊(うかつ)には手が出せない。外交筋に手を回してもいいが、事が公になる上に時間もかかる。何か他にいい案があったら言ってくれ」  また次の朝、ベネディクトは収容所の地下を訪れた。  クリスがそろそろ音を上げた頃だろうと思って見に来たのだ。  ベネディクトが見に行くと クリスは床に倒れていた。  クリスは連日の拷問で、心身ともに疲れ果てていたが、ベネディクトが来たのに気付くと、倒れた体勢のままで顔だけそちらに向ける。 「おはよう大統領」  クリスはそう言うと、無理やり上半身だけ起こし、牢の壁に体を預けた。 「やあクリス。ボロボロだね。少しは考えが変わったかな?」  クリスは腕を伸ばして、真っ直ぐ奥を指さす。 「この奥に拷問中の捕虜がいるね。I国のスパイとその子供だ。もう一週間くらいここにいるが、まだなにも聞き出せていない」  ベネディクトは、驚いて拷問官を見る。  拷問官は目を逸らした。 「やっぱり、ここの拷問官はこの仕事に向いてない人が多いようだ。配属先を考えた方がいいね」  ベネディクトは、怒りを(あら)わにしてクリスを睨みつける。 「私を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」  クリスは、微笑を浮かべた。 「嫌だなあ。勘違いしないでよ。僕は手伝ってあげようって言ってるんだよ」  クリスは壁にもたれて、足の震えを悟られないように立ち上がった。 「僕なら一〇分あれば落とせる」 「なんだと?」  ベネディクトが顔を真っ赤にして牢に入って来た。 「大統領、僕があの捕虜を落とせるか賭けをしよう。僕が負けたら、あなたの言う事をなんでも聞く。その代わり僕が勝ったら、無条件で僕を解放して欲しい」  ベネディクトは笑った。 「実に面白い! その賭けに乗ろうじゃないか」  クリスは、鎖と服をちらりと見てから、ベネディクトを見る。 「流石にこの格好のままだと嫌なので、せめて着替えを持って来て(もら)えないかな?」 「分かった」  ベネディクトは、部下に目で合図した。 「君がこちらの言う事を聞くと言うのは、嘘じゃないんだろうね」 「ああ、本気だよ。むしろ、そっちが僕を解放してくれるかどうかの方が疑わしいけどね」  扉が開いて、ベネディクトの部下が戻ってきた。 「着替えをお持ちしました」  ベネディクトは(あご)をしゃくる。 「渡してやれ。あと鎖も外せ」 「ありがとう」  クリスは、丁寧に礼を言って服を受け取ると、その場で着替えた。 「じゃあ奥に案内してよ」  クリスは男に連れられて、牢の前まで来た。  そこには、男とまだ幼い子供が、通路を挟んで向かい合うように設置された牢に、別々に入れられていた。  それを見ると、クリスは、拷問官に手を差し出す。 「ナイフある?」  ベネディクトは、渡すように目で合図をした。 「ありがとう」  礼を言って受け取ると、クリスは迷わず子供がいる方の牢に入った。 「ねえ。今すぐ話さないと、あなたの子供が痛い目にあうよ?」  クリスはそう言って、左手でナイフを回した。 「何を聞かれても、俺はなにも喋らない」  クリスは、子供の前まで辿(たど)り着く。 「指落としてもいいんだ?」  クリスは、酷薄(こくはく)な目で男を見る。 「やめろ!」 「じゃあ話す?」  男は、唇を噛み締めた。 「それは……」  クリスは、無表情で子供の指を数本切り落した。 「イタイ、イタイよ!」  子供の叫び声が、地下牢に響き渡る。  その光景を見たベネディクト達は、声をなくして立ちすくんだ。  その場には、ただ子供の声だけが響いている。  しかし、クリスは更に男を挑発する。 「さあ、どうする?」 「お願いだ。やめてくれ」  クリスは、懇願する男の顔を見た。 「じゃあ喋るんだ?」  その問いに、男は言い淀む。 「いや……、それは……」  その間も、子供の悲鳴は止まらない。  しかし、クリスは男の反応を見ると、無言で反対の指を切り落とした。 「ぎゃあああ!」  さらに、子供の声が大きくなる。 「どうする?」  クリスは、男に背を向けた。 「お願いだ。やめてくれ!」  男が泣き叫んだ。 「喋る?」  クリスの問いかけに、男は(うつむ)いて唇を噛んだ。 「次は目を刺すけどいい?」 「たすけて!」  子供の声に、男はたまらず声を上げた。 「やめてくれ! 分かった。なんでも話す。だからやめてくれ!」  クリスは、ベネディクトを振り向いた。 「僕の勝ちだね」  クリスは、笑みを浮かべた。  ベネディクトは、それを恐ろしいものでも見るような目で見つめていた。  調書を取り終わると、クリスは拷問官に拳銃を渡すよう要求した。 「しかし……」  拷問官は言い(よど)んだが、周りを見ても答える者がいない。 「殺してあげなきゃ可哀想だよ」  そう言って、クリスは左手を差し出す。  拷問官は、正常な判断が出来ないまま、震える手でクリスに銃を渡した。  クリスは、銃を受け取ると弾数を確認する。 『八発』  心の中で呟くと、クリスはマガジンを銃に戻した。  そして、クリスは通路の中央まで来ると立ち止まる。 「言い残す事は?」  クリスは男に銃を向ける。 「子供は助けてくれ」  男は泣きながら、すがるような目でクリスを見た。 「分かった」  クリスは、牢の外の鉄格子(てつごうし)の隙間から男の頭を撃ち抜いた。 『足元がふらつくけどコントロールは問題ない』  今度は後ろを向き、引き金を(しぼ)った。  乾いた銃声が響き、代わりに子供の叫び声がやんだ。 「助けたよ。この苦痛から」  クリスはそう呟くと、ベネディクトの方に向き直る。 「帰してくれるんだよね?」 「それは……」  クリスの問いに、ベネディクトは言い淀んだ。 「じゃあこうするしかない」  クリスは、体勢を変えてベネディクトの正面に立つと、そのまま銃を突きつけた。 「手を挙げろ」  ベネディクトは、言われるままに手を挙げた。  呆然としていた護衛達が、一瞬遅れて反応する。 「銃を下ろさないと大統領を撃つ」  護衛の一人が、クリスに狙いをつける。 「あなたが撃って僕を殺せたとしても、僕はそれより早く大統領を撃ち殺す自信がある。試してみる?」  クリスは、正面のベネディクトに狙いを定めたまま僅かも動かない。 「言う事を聞くんだ。銃を下ろせ」  大統領の悲痛な叫びに、護衛が銃を下ろした。 「そのまま足元に置いてこちらに寄こして。変な行動をしたら即、大統領を撃ち殺す」  護衛たちは言われるまま、足元に銃を置いてすべらせる。 「その奥の通信機を代理業社につないで」 「言う事を聞いてくれ」  どうすべきか、躊躇(ちゅうちょ)する護衛たちに大統領が言った。  クリスは、それを受けて続ける。 「繋がったら、僕の言う通りに伝えるんだ」  代理業社では、連日、会議が開かれていた。  その会議中、突然D国から通信が入った。 「はい」  近くにいたダグラスが出る。 『こちらはD国大統領の代理です。そちらは代理業社社長で間違いないですね?』 「ああ、そうだ」 『クリスから伝言です』  ダグラスは、大きな音をさせて椅子から立ち上がった。 「クリスは無事か?」 『無事です。今、我々はクリスの指示で動いています。この後すぐ、D国の施設まで迎えを寄越して貰えないでしょうか?』 「迎え?」  ダグラスは、訝しげな顔をした。 『クリスを解放します。入国審査はこちらで便宜(べんぎ)をはかります。指定の場所まで来てください』 「クリスは何処(どこ)だ?」 『ここにいるよ。だから指示通りに動いて』  クリスの声にその場がざわついた。  ダグラスは、会議室を見渡した。  全員ダグラスに判断を(ゆだ)ねるようだった。 「分かった。詳しい事を話してくれ」  D国からはどういう人員を何名派遣するようにという細かい指定がなされた。  ダグラスは、その通信を受けながら、部下に指示を出す。  代理業社は、通信後すぐに準備を整え、救出部隊を派遣した。  それから数時間後、代理業社の屋上にヘリが到着した。  ダグラスは、ヘリに近付く。  すると、二人に支えられてクリスが降りて来た。  クリスは、ダグラスに気付くと安心したように笑った。 「社長、ただいま。怪我は大丈夫なの?」  ダグラスよりも、聞いて来たクリスの方がどう見ても重症だ。 「救護班を呼べ」  クリスは一人で歩けない程ふらふらだった。  それに、白いシャツにべったりと赤い染みがついている。 「血が……」  心配そうに見つめるダグラスにクリスが答えた。 「安心して。これは僕の血じゃない」  クリスは、目を()せて悲しそうな顔で笑う。  ダグラスが、その表情の意味を問いただそうとした時、担架(たんか)が運ばれて来た。 「到着しました。怪我人はどこですか?」 「こっちだ」  ダグラスが手を挙げた。 「どちらに運びましょう?」  ダグラスはしばらく考えたが、病院ではなく医務室を指定した。 「必要なら病院から機材や医師の派遣を要請するんだ」 「畏まりました」  ダグラスは、担架に乗せられたクリスに寄り添った。 「僕、頑張ったんだよ。社長、褒めて」  クリスは、そう言うと、ダグラスを見つめて片手を差し出す。  ダグラスは、その手を祈るように握りしめて座り込んだ。 「すまなかった」 「くそっ」  それを陰から見ていたレイは、苦しそうに拳で壁を殴った。 「社長を殴り倒してやろうかと思ったが、これじゃあ入り込む隙もねえじゃねえか」  レイはクリスに嫌われたとしても、ダグラスを一発殴るつもりでいた。  しかし、見つめあう二人を見て、手が出せなくなってしまったのだ。 「あんな顔を見たら、もう殴れねえ」  レイはもう一度壁を殴ると、クリスの方は見ずに、自分の部屋に戻って行った。

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