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第十七話
ダグラスは執務室で考え事をしていた。
クリスの元教師、レイ・ウィルボーンについてだ。
拷問の教師という事は、今までに何度もクリスと体を重ねている事は間違いないと思われる。
調べると、最近クリスは二回レイに会っている事が分かった。
一回目は、医務室にいる時。
二回目は、ダグラスの入院している時。
しかも、二回目はクリスの方から、レイの部屋に会いに行っている。
部屋に行った時、クリスはレイと寝たと考える方が自然だ。
しかし、ダグラスは、クリスと付き合っている訳ではない。
だから、クリスが誰と体の関係を結ぼうと、ダグラスに口を出す権利はない筈 だった。
それでも、ダグラスはモヤモヤとした気持ちを抑える事が出来ない。
『問い詰めて、犯してやりたい』
そう考えて、ダグラスは愕然 とした。
今、クリスは自分の所為で怪我をして寝込んでいる。
しかも、相手はダグラスの部下で、恋人ですらない、まだ十二歳の子供だ。
そんな事を考えていい対象ではない。
そもそも、ズルズルと肉体関係を続けている事が異常なのだ。
ダグラスが考え込んでいると、仕事用の携帯に見知らぬ番号から着信があった。
「はい。代理業者のダグラス・アーサーです」
訝 しみながら電話に出ると、電話口からどこかで聞いた事のある声がした。
『社長か?』
「そうですが、そちらはどなたでしょうか?」
『レイ・ウィルボーンだ。あんたに喧嘩をふっかけた拷問官だって言ったら分かるか?』
ダグラスは顔を歪める。
「ああ」
『クリスの件で話したい事があるんだ。俺の部屋まで来て貰 えねえか?』
レイが話したい内容など、D国の件以外に考えられない。
ダグラスは、クリスの事が気になってもいたので、レイの誘いに乗る事にした。
「行こう。場所を教えて貰えるかな」
レイが連絡をするとすぐ、インターホンが鳴った。
『ダグラス・アーサーだ』
レイは、部屋の扉を開けて挨拶をする。
「実際に会うのはお互い初めてだったな」
「そうだったな。はじめましてウィルボーン君。手ぶらというのもなんなのでコーヒーを買って来た」
ダグラスは、そう言って持って来た缶コーヒーを差し出した。
「気が利くじゃねえか。俺の事はレイでいい。硬っ苦しいのは苦手だ」
レイは、テーブルにコーヒーを置き、椅子を指さした。
「ここに座りな」
ダグラスは、言われるままに席につく。
「ありがとう、レイ」
レイは、ダグラスを観察した。
流れるようなスマートな身のこなしで、何処 にも隙がない。
『さすが代理業社の社長をやってるだけの事はあるぜ』
レイは、内心舌を巻いた。
子供相手だからと言って、簡単に隙を見せるとは到底思えない。
こんな相手をどうやったら籠絡 出来るのか、レイには全く想像もつかなかった。
ただただ、クリスに感服 するのみだ。
「今日は急に連絡してすまなかったな。来てくれてありがとよ」
レイはダグラスの向かいに腰を下ろす。
「いや。ちょうど君の事を考えていたところだった」
ダグラスは、自嘲気味に言った。
「へえ。そいつは嬉しいねえ」
そう言って、レイは探るようにダグラスを見る。
しかし、ダグラスは、レイの視線を軽く受け流した。
「クリスの先生には、私も会いたいと思っていたんだ。それに、私を殺すと言っていた事も気になったしな」
ダグラスの言葉にレイが頷く。
「ああ。あんたを呼び出した理由はそれだ」
レイは、ダグラスの目を見て、声のトーンを落とした。
「クリスは自分がどうやって帰って来たか話したか?」
ダグラスは、唐突に言われて、言葉の意味をはかりかねた。
「いや。怪我の事もあるし、まだ聞いていない」
「早く聞いといた方がいいぞ。そうしないと、多分クリスが壊れる」
ダグラスは、レイの言葉に眉 をひそめた。
「俺がなんでこんな話をするのか分からねえって顔だな。俺はあの時、近くにいたから見ちまったんだが……。クリスの服が血まみれだっただろう? あいつが自分の血じゃねえと言ったんなら、あれは誰かの返り血だ。クリスは人を殺した可能性が高い。ただな、クリスにとって別に人を殺すのは初めてじゃねえし、そんな事くらいであんなつらそうな顔をするようなたまじゃねえんだ。だから、あいつはきっと返り血がつくような、殺し以上のなにかをやっている。あんな成りしてるが、あいつは怖いぞ。目的の為 なら手段を選ばねえ。それがどんなに自分を傷つける事でもな。言ってる意味は分かるよな?」
そう言われて、ダグラスは押し黙る。
クリスの目的なら分かっている。
ダグラスを守る為だ。
それでクリスが傷ついたのなら、それはダグラスの責任だ。
「ああ、全て私の責任だ。早急に対応しよう」
レイは、ダグラスの言葉に安堵 のため息をついた。
責任感もあり、クリスの事もしっかりと考えている。
今回の失態は許せるものではないが、ダグラスになら、任せても大丈夫に思えた。
レイは、乾いた喉を潤 す為に、缶を開けてコーヒーを一口飲む。
「俺の話はそれだけだ。あんたからは何かあるか?」
それに、ダグラスは、しばらく考えてから口を開いた。
「良ければ、クリスについて教えて欲しい」
ダグラスの問いに、レイはわざと挑発的に笑った。
レイは、話をするついでに、ダグラスのクリスに対する気持ちを確かめてみようと思ったのだ。
「聞きたい事があれば聞いてくれよ。なんでも答えるぜ。クリスの事は色んな意味でよく知ってるからな」
それに、ダグラスは当然の事のように答える。
「拷問の授業を受け持っていたくらいだからな」
そう言って、ダグラスは自分の持って来た缶を開けた。
「あいつの体は気持ちいいいだろう? 俺がそうなるように仕込んだからな」
そう言って、レイはニヤリと笑った。
しかし、ダグラスは、動じるふうなくコーヒーを飲んでいる。
「なんだ怒らねえのか?」
レイの問いに、ダグラスは一瞬だけつらそうな顔をしたが、すぐ無表情に戻す。
「私には君がなんの事を言っているのかよく分からないんだが」
「へえ。とぼけるつもりかよ」
レイはそう言って、ダグラスを睨 みつけた。
「クリスがここに来た事は知ってるんだろ?」
その言葉に、ダグラスは僅 かに目を細めた。
「ああ。知っている」
レイは、コーヒーをテーブルに置いた。
「なんで怒らねえんだ? まさかクリスがここに、話をしに来ただけだなんて思ってねえんだろ?」
ダグラスは、自嘲気味に笑った。
「私はそれについて詮索するつもりも、口出しするつもりもない」
缶を持つレイの手が震えた。
「クリスとは付き合ってるんじゃねえのか?」
それに、ダグラスは即答する。
「クリスとは付き合ってはいない」
それを聞くと、レイはテーブルをはじき飛ばして、ダグラスに掴みかかった。
「本気で言ってんのか? クリスは手前の事が好きで潰れそうになってたぞ! あんなに惚れさせといて、付き合ってねえってどういう事だよ? クリスを抱いといて、責任も取らずにズルズルと肉体関係だけ続けてるって言うのか?」
ダグラスは、レイの手を捻った。
「クリスは君にどこまで話をしているんだ?」
レイは、ダグラスの腕を振り払う。
「クリスに、初めてあんたに抱かれた時、どう思ったか聞いた事があったよ。その時あいつはなんて言ったと思う? 今まで会った誰よりも優しかったってさ。もし本気で付き合うつもりがねえんなら、クリスに中途半端に関わらねえでやってくれ」
その言葉にダグラスは目を伏せた。
「私は今まで本気で付き合った事は一度もないし、これからもないだろう。だが、クリスを突き放す事が出来ない」
「まさか、クリスの体が忘れられねえから、突き放せねえとか言ってんじゃねえだろうな?」
レイの言葉に殺意が込もる。
しかし、ダグラスはそれになにも答えない。
「あんたはクリスの事をどう思ってるんだ? 返答次第じゃあ、本当に殺すぞ?」
レイのクリスを思う気持ちが、ダグラスにもひしひしと伝わって来た。
ダグラスは、しばらく考えてから、慎重に言葉を選んで答える。
「私は、クリスと肉体関係を続けたいから一緒にいる訳じゃない。しかし、クリスから求められれば抱くし、私から求めた事もある。こんな関係がお互いの為にならない事は分かっているが、どうしても突き放す事が出来ない。実際のところ、私も自分の気持ちがよく分からないんだ」
それは恥も外聞 も捨てた、ダグラスの本心だった。
それを聞いて、レイは突然笑い出した。
「そういう事か! 冷てえんじゃなくて、何も分かってねえって事か! まさか代理業社の社長さんが、ガキみてえな恋愛をしてるとは思いもしなかったぜ」
そう言って、レイはテーブルを元に戻す。
「安心しな。クリスはここに相談しに来ただけだ。心配するような事はなにもねえよ。それより、クリスの事が聞きてえんだったな」
「聞かせて貰えるのか?」
「ああ。あんたも本音で話してくれた事だし、教えてやるよ」
レイは少し考えてからクリスの事を並べ立てた。
「クリスは頑固で負けず嫌いだ。こうと決めたらてこでも動かねえ。何かあるとすぐ相手を挑発したがる。他人の事を考え過ぎるあまり、自分の事を蔑 ろにする癖がある。自分の事が嫌いだから、自分を大切にしない。つらい事があるとすぐ、自分を傷つけようとする。神経は図太そうに見えて繊細だ。ああ見えて口下手だから、言葉でうまく伝えるのが苦手だ。まだあるが、必要なのはこのくらいだろう」
ダグラスはクリスの事を聞いて、今までの事に得心 がいった。
「ありがとう」
レイは、しばらく考えていたが、心を決めて話しはじめた。
「俺は敵に塩を送るような真似をするつもりはねえ。これはみんなクリスの為だ。だから、あんたに礼を言われる筋合いはねえ。俺はな、あいつを……。クリスを愛してるんだ」
そう言って、レイは肩を震わせる。
レイは、例え、ダグラスがいなかったとしても、クリスが自分を好きになる事はないと分かっていた。
出会い方が、悪かったのかも知れないと思う。
しかし、それがなければ、レイはこれ程までにクリスと親しくなる事はなかったのだ。
「帰れよ。そしてもう二度と来るな。ただ、クリスを支えてやって欲しい」
「分かった」
ダグラスはそう言うと、レイの部屋を後にした。
残されたレイは、床に手をついて声を出して泣いた。
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