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第二十話
クリスは、まだ熱があったが、部屋に帰りたいと強く主張した為、予定より早くに医務室から戻る事が出来た。
「ここの方が落ち着く」
横になったまま、クリスはそう言って微笑む。
「まあ、まだ不便はあるだろうが、ここなら一晩中一緒にいられるしな」
その言葉を聞いて、クリスはベッドに座るダグラスの腕を取った。
「あの時の続きをしよう」
ダグラスは、クリスの体調を心配し、額 に手を当てて確かめる。
「熱も高いし、まだ無理だ」
そう言われて、クリスは悲しそうな顔になる。
「大丈夫だよ。無理じゃない」
クリスは懸命に訴えるが、そんな要求を受け入れられるような状態ではない。
「そんな我儘 を言うな」
ダグラスは、クリスをなだめるように、そっと口付けた。
クリスは、口付けが終わると、自分の唇を指でなぞる。
「社長は優しいね。言葉も体も全部優しい」
ダグラスは、唐突に言われて少し戸惑う。
「そんな事はないだろう」
「ううん。社長は優しい」
そう言って、クリスは、ダグラスの方に手を伸ばした。
「社長、抱いてよ」
ダグラスは、その手を取ってたしなめる。
「駄目だ」
しかし、拒否されても、クリスはダグラスにしがみついて離れようとしなかった。
「お願い」
何度、言い聞かせても、クリスは断固として引こうとしない。
ダグラスは、クリスの押しに負けて、ため息をついてベッドに足を上げた。
そして、そっとクリスの上着をめくると、肌に刻まれた、たくさんの傷痕が顕 になる。
その痕は白い肌に映えて、更に痛々しさが増していた。
「傷痕、消えるかな? こんなだと、僕の存在価値が下がってしまうね」
クリスは、ダグラスの視線に気付き、悲しそうに目を伏せる。
「私の所為 だな。つらい思いをさせた」
そう言って、ダグラスは、クリスの傷痕に優しく口付ける。
「大丈夫。クリスの価値はこんな事で下がったりしはない。クリスは綺麗だ」
クリスは、ダグラスにそっと寄り添い、ネクタイに手をかけた。
「クリス……。この傷じゃあまだダメだ」
ダグラスがたしなめるが、クリスは言う事を聞こうとしない。
「一人で帰って来たご褒美に抱いてよ」
クリスは、なにかに駆り立てられるように、一心にダグラスを求める。
ダグラスはクリスの必死な様子に、それ以上断る事が出来なくなった。
クリスを抱えベッドに寝転ぶと、ダグラスはクリスを優しく抱きしめる。
「仕方ない。今回だけだぞ」
「ありがとう」
クリスは、ダグラスの言葉に微笑むと、小さな声で礼を言った。
次の日、ダグラスが寝室に戻ると、クリスがベッドの上でうずくまっていた。
「どうした?」
心配してダグラスが近付くと、クリスは寄り添う振りをして、懐の拳銃を素早く抜き取った。
訓練された通りの流れるような動作で、セイフティを外し撃鉄 を起こし銃口をこめかみに当てる。
ダグラスは、クリスが引金を引く寸前で、腕を掴んで銃口を逸 らした。
銃を逸らす事に成功したが、引金を引くのは止められず、クリスはそのまま天井に向かって発砲し、部屋中に銃声が響いた。
銃声を聞いた警備員が、何事かと思い、銃を構えて寝室に入って来た。
すると、そこには、拳銃を持ったクリスと、その腕を必死で持ち上げているダグラスがいた。
警備員は、クリスがダグラスを殺そうとして揉み合っていると勘違いし、クリスに銃口を向ける。
それに気付いたダグラスが、慌てて警備員を制止した。
「違う! 自殺未遂だ! 早くクリスを押さえてくれ!」
警備員は、言われるまま、クリスを押さえつけ、その手から銃を奪う。
その間、クリスは、何をされても終始無言だった。
警備員が拳銃を取り上げると、クリスは急に大人しくなった。
しかし、クリスがまた騒ぎを起こさないとも限らない。
念の為、ダグラスは拳銃を警備員に渡し、下がらせる事にした。
「少し二人にして欲しい」
戸惑う警備員に、ダグラスは毅然 として告げる。
「これは社長命令だ」
昨夜の事といい、ここ最近のクリスの行動は明らかにおかしかった。
D国の件が関係しているのは間違いない。
クリスをこのまま放っておくのはあまりにも危険だった。
ダグラスは、何度も繰り返した質問をもう一度クリスにする。
「D国で何があったんだ?」
クリスは、拉致された先からたった一人で帰って来たのだ。
どうやったかは全く分からないが、想像を絶する程、大変だっただろうという事は、ダグラスにも容易 に想像が出来た。
「何か酷い事をされたのか?」
ダグラスが尋ねると、クリスは首を横に振る。
「違う。僕がした」
クリスは、なにかを噛みしめるように、小さな声で告げる。
今まで何も答えようとしなかったクリスがやっと質問に答えたのだ。
ダグラスは、優しい声で続きを尋 ねる。
「シャツについた血は、誰かの返り血だったんだろう? クリスがつらい思いをしたのなら、それは私の責任だ。なにをしたのか教えてくれないか?」
クリスは、もう、これ以上黙っておくのは限界だった。
しばらく考えてから、消え入りそうな声で答える。
「僕は、小さな子供の指を切り落としたんだ。そして、撃ち殺した」
それは十二歳の子供が一人で抱え込むには、あまりにも過酷なものだった。
『目的の為 なら手段を選ばねえ。それがどんなに自分を傷つける事でもな』
ダグラスは、レイの言った言葉を思い出す。
その時、どういう状況だったのかは分からないが、クリスが会社に帰る為に考えた作戦の一環なのだと言う事は分かった。
そして、無茶をしてまで帰って来ようとしたのは、全部ダグラスを思っての事なのだ。
どんな理由であれ、それは許される事ではない。
しかし、クリスはD国から脱出する為に、どうしてもやらなければならなかった事だとしたら、ダグラスの責任と言わざるを得ない。
「私の為にしたんだろう? なら私も一緒に背負 っていくべき問題だ。クリスが一人で苦しむ事じゃない」
ダグラスは、クリスを抱きしめた。
「つらい思いをさせて、すまなかった」
クリスは、ダグラスにしがみつこうとして、手を止めた。
「違うよ。社長の所為じゃない」
ダグラスは、クリスの髪に口付ける。
「せめて私にくらいは甘えてくれ」
クリスは、両腕を体の横に垂らしたまま、天井を見つめていた。
「僕は、社長に優しくされる資格なんてないんだ」
ダグラスは、クリスの背中を優しくなでる。
「資格が、あるかないかは関係ない。私がそうしたいからしているだけだ」
クリスは、ダグラスから体を離した。
「僕は怖いんだ」
そう言って、クリスは自分の両手を見る。
「こうやっていても、罪悪感が全然湧いて来ないんだ。だから……」
ダグラスは、クリスを抱き寄せた。
「怖いと感じて苦しんでいるじゃないか。十分罰は受けている」
クリスの体は、小刻みに震えていた。
「あいつらは、僕を化け物を見るみたいな目で見ていたよ。僕は、一体なんなんだろう。社長には僕が何に見える?」
ダグラスは、クリスの頭を抱きかかえた。
「クリスは、ただの十二歳の子供だよ。優しくて壊れやすいただの子供だ」
クリスはダグラスに抱きしめられたまま、長い間、何も言わずに黙っていた。
しかし、しばらくしてから心を決めたように口を開く。
「社長に、言っておかないといけない事があるんだ」
クリスは、ダグラスの胸を両手で押して体を離した。
「あの時、本当は誰でも良かったんだ」
「あの時?」
唐突に告げられて、ダグラスは、はじめなんの事か分からなかった。
「社長がはじめて僕を抱いた時。それに、僕はどうやったら社長を落とせるかも分かってた。社長を逃げられないようにして、苦しめていたのは僕なんだ」
クリスは、血を吐くように言った。
「だから社長は僕に責任なんて感じる必要はないし、僕をとっとと部屋から追い出して……」
ダグラスは、クリスの言葉を遮 り抱きしめる。
「仮に、はじめはそうだったとしても、クリスが全身で訴えていた気持ちに嘘はないと思う。私はそんなクリスを守りたいと思ったんだ。それに、クリスが今まで私の為に色んな事をしてくれたのも知っている。クリスは優しい子だ。自分を責める必要はなにもない」
それを聞いて、クリスは、ダグラスにしがみついた。
「社長助けて。苦しいよ」
クリスは涙を流さず、けれども全身で泣いていた。
ダグラスは、クリスが落ち着くまで、背中を優しくなで続けた。
クリスが少し落ち着くと、ダグラスは優しく話しかけた。
「カウンセリングを受けてみるか?」
クリスは、しばらく考えてからこう言った。
「きっと、僕はなにも話せないと思う。でも、薬は欲しい」
「じゃあ精神科医に診て貰 うか?」
クリスは、その言葉に頷 くと、顔を上げてダグラスを見た。
「抱いて、欲しい。何も考えずにすむくらいに……」
「分かった」
ダグラスは、クリスをベッドに寝かせた。
「社長が欲しい」
そう言って、クリスはダグラスに激しく口付けた。
ダグラスは、それに応じるように、クリスをきつく抱きしめる。
そして、ダグラスは自分が壊れる程、激しく、クリスを求めた。
行為が終わった後、クリスはダグラスの腕に頭を預け、仰向 けに横たわっていた。
クリスは、白い肌を上気させ、肩で息をしている。
「大丈夫か?」
心配そうに言ったダグラスの声も、心なしか息が上がっていた。
「大丈夫。ちょっとだるいだけ。社長でも、こんな風になる事があるんだって、少し意外だった」
クリスはダグラス方を向いて微笑んだ。
「自分でも驚いたよ」
ダグラスは、苦笑してクリスの髪をなでる。
クリスは、大人しくなでられていたが、しばらくしてから、その手を取って真っ直ぐにダグラスを見た。
「今なら、社長の質問に答えられると思う」
ダグラスは、クリスを気遣うように見る。
あまり無理はさせたくないが、ここで聞いておかなければ、むしろクリスを苦しめる事になると分かっていた。
「D国で何があったか教えて貰えるか?」
「いいよ。ただ、ちょっと長くなるけど」
クリスは前置きをしてから、D国での出来事を語り始めた。
まず、はじめに、クリスはD国の官邸に連れて行かれた。
官邸からは脱出出来たとしても、その先の足を探すのは難しい。
そこで、クリスは、ベネディクトを挑発して、捕虜収容所に移送されるよう仕向けた。
移送先は官邸から一番近い収容所の可能性が高い。
そして、収容所は基地の中にあり、そこには航空機があるので、それ奪えば会社に帰る事が可能だ。
クリスは、予定通り収容所に送られた。
そして、牢の中で機会を窺 っていると、遠くから子供の泣き声が聞こえて来た。
拷問官に聞くと、その子は捕虜の息子で、それを盾に自白を迫るのだが、なかなか口を割らなくて困っているという。
それを聞いて、クリスは、子供を利用する事を考えた。
クリスは、様子を見に来たベネディクトに賭けを持ちかけた。
捕虜を白状させる事が出来なければ、ベネディクトの勝ちで、クリスは素直に言う事に従う。
その代わり、もしクリスが勝てば、無条件で解放するという内容だ。
ベネディクトはその賭けに乗り、言われるままに新しい服を用意し、クリスを牢から出した。
しかし、これは牢から脱出する為の口実で、クリスはベネディクトが約束を守るとは思っていない。
そこで、クリスの取った作戦はこうだ。
子供を残酷な方法で痛めつければ、捕虜を白状させられる可能性が高い。
それに、ベネディクトは臆病な男なので、衝撃を与えれば、隙を生む事が出来る。
成功すれば、後は状況に合わせて行動すればいい。
はじめクリスは、隙をついて銃を奪おうかとも考えていたが、都合のいい事に、ベネディクトは放心状態になり、正常な判断が出来なくなった。
クリスが銃を要求しても、ベネディクトの指示がなく、指揮が混乱して誰も動こうとしない。
あっさり銃を手に入れたクリスは、離れたところから格子越しに正確に撃ち殺す事で、自分の射撃の腕を見せておく。
そして、クリスは護衛の隙 を突いて、銃口をベネディクトに向けた。
その場にいる全員が、クリスの射撃の腕を知っている。
ベネディクトを殺すと脅せば相手は簡単に要求に従った。
「後は、社長も知ってる通りだよ」
クリスの説明を聞いて、ダグラスは言葉をなくす。
レイからクリスは手段を選ばないと聞いてはいたが、これ程とは思ってもみなかった。
「大変だったな」
ダグラスは、クリスをきつく抱きしめると、優しく背中をなでる。
クリスは、その言葉を聞いて、安堵 のため息を漏 らすと、ダグラスの背中に腕を回した。
しかし、クリスには、もう一つダグラスに伝えなければならない事がある。
「知ってると思うけど……」
クリスは、ダグラスの胸に顔を埋めたままで言う。
「なんだ?」
ダグラスが尋ねると、クリスはレイの名を出した。
そして、レイの部屋を訪ねた時の事を話す。
「牢屋で先生を見かけてから、なんだか無性に会いたくなって、先生を誘って寝たんだ」
ダグラスもなんとなく、クリスがレイと寝たとは思っていたが、クリスの方から誘ったと言うのは、予想外の事だった。
クリスは、ダグラスが考え込んでいる気配を感じ、不安そうに顔を上げる。
「僕の事、嫌いになった?」
その問いに、ダグラスは首を横に振った。
「こんな事で嫌いになったりしないさ。クリスは優しい、いい子だ」
そう言って、ダグラスは、クリスの頭に頬を擦り寄せた。
「ありがとう」
クリスは、ダグラスに礼を言う。
「私の方こそ、ありがとう」
ダグラスは、クリスに礼を返して、そっと口付けた。
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