27 / 33

第二十五話

 その日、ダグラスは、いつもよりも早く仕事が片付いた。  部屋に帰ろうとすると、秘書官が、ちょうど取り寄せている食事が届いていると言う。  執務室に届くのを待ってもいいのだが、どうせ帰る途中だと、少しだけ寄り道をして帰る事にした。  ダグラスが部屋に着いて扉を開けると、クリスはもう仕事を終えたらしく、ベッドで寝転がっていた。 「ただいま」  ダグラスが挨拶すると、クリスはベッドから起き上がった。 「おかえり」  クリスは、嬉しそうに笑って答える。 「今日は早かったね」  クリスに釣られて、ダグラスも笑みがこぼれた。  ダグラスは、食事をテーブルに置くと、クリスに軽く口付ける。 「ああ。午後からの仕事で一件キャンセルが出たんだ」  ダグラスは、そう言いながら、クローゼットの前に立つと、背広を脱いでハンガーにかけた。  そして、ネクタイを外したところで、クリスが声をかける。 「社長、こっちに来てよ」  クリスは、自分のベッドの横を軽く叩いた。  ダグラスは、クリスが不安定な時は、着替えを後回しにする事もある。  しかし、今は安定しているように見えるので、少し待たせても問題なさそうだった。 「着替えてからでいいか?」  ダグラスが告げると、クリスは悪戯(いたずら)っぽい顔で微笑む。 「いいよ。見とくから」  クリスは、そう言うと、ダグラスが着替えているのをじっと見る。  流石(さすが)に、ここまでまじまじと見られたら、ダグラスも居心地が悪い。 「着替えにくいな」  そう言いながらも、ダグラスは手早く着替えをすませると、誘われるままにクリスの横に座った。  ダグラスの部屋着は、シャツにスラックスだ。  多少カジュアルにはなるが、きちんとした格好をしていてどこにも隙がない。 「僕もきちんとした部屋着にした方がいいのかな?」  クリスの部屋着は、パーカーにスウェットの事が多く、寝る時と大して変わらない格好をしている。  ダグラスは、服装について意見する事はなかったが、せっかく綺麗な容姿をしているのに、服に無頓着(むとんちゃく)なのは、勿体(もったい)ないとは思っていた。  だから、ダグラスとって、この申し出は渡りに船だった。 「なにか通販で服を取り寄せてみるか?」  ダグラスは、笑顔で端末を取り出すと、クリスに見えるように画面を向けた。 「なにか好みはあるか?」  クリスは、ダグラスに言われて画面を見るが、服に興味がないので、正直どれでもいい。  結局、悩んだ末に、ダグラスに丸投げする事にした。 「よく分からないから、社長の好みで決めてよ」  それに、ダグラスはニヤリと笑う。 「シャツなんかどうだ? ボタンを外す楽しみが増える」  ダグラスはそう言って、シャツの検索結果を表示してお目当てを探す。 「ゆったりめがいいかもな。サイズは分かるか?」 「タグに書いてある?」  クリスはそう言って、ダグラスの方に背中を向けた。 「書いてあった」  ダグラスはシャツを検索して、オーバーサイズの黒いシャツを選んだ。  それをカートに入れると、次はボトムスを探す。 「下は短パンでいいか?」 「長ズボンがいい」  クリスは、ダグラスの問いに強めに主張した。  すると、ダグラスは、すぐに長ズボンで検索し直す。 「ゆったりめでベルトが通せるタイプがいいから……」  クリスは、画面と言うよりは、真剣に選んでいるダグラスの顔を見ていた。  すると、しばらく考えていたダグラスが、ズボンを選んでカートに入れる。 「これで決定と」  ダグラスはそう言って、確定を押した。  すると、クリスは、気になっている事を尋ねてみた。 「社長はボタンとベルトを外すのが好きなの?」 「嫌いじゃないな。届くのが楽しみだ」  ダグラスは、そう言って笑った。 「脱がされるのが楽しみだ」  悪戯っぽい笑みを浮かべるクリスの頭を、ダグラスが軽く小突いた。 「そう言えば、社長って、ここに来る前は軍隊にいたんだよね?」  クリスが唐突に聞いて来た。  クリスがデータを把握(はあく)してる事は、ダグラスも予想していた。  しかし、何故(なぜ)こんな質問をして来たのかが分からない。 「ああ、そうだが。それがどうした?」  ダグラスは、困惑したように答えるが、クリスは構わず続ける。 「社長がいつもきちんとしてるのって、軍隊にいたからかと思って」  その問いに、ダグラスが首を(かし)げる。 「きちんとしているか?」  その言葉に、クリスは大きく(うなず)く。 「してる。僕とは大違いだ」 「それは、クリスがだらしなさ過ぎるだけだろう」  ダグラスは、そう言って笑った。  しかし、クリスは真剣な顔でダグラスを見る。 「社長の過去を教えて(もら)えないかな?」  クリスに聞かれて、ダグラスは首を傾げる。  ダグラスの過去など、クリスは(すで)に把握済みだろうし、今更言う事など何もないに違いない。 「わざわざ教えなくても知ってるんだろう?」 「詳しい事は知らないし、それに、社長の口から教えて貰いたい」  クリスに見つめられ、ダグラスは、困ったように笑う。 「私の話なんて聞いても、面白くないぞ」  しかし、クリスは引き下がる気はないらしい。 「教えて! 面白いかどうかは聞いてから判断する」  ダグラスは、もう苦笑するしかない。 「分かった。話そう」  クリスの押しに負けて、ダグラスは仕方ないと言う様子で口を開く。 「まず、どこから話そうか……」  ダグラスは遠くを見るような表情すると、前置きをしてから話し始めた。 「私は中流家庭の長男として産まれたんだ。私は一人っ子でね、両親と三人で郊外(こうがい)の一軒家に住んでいた。だが、私が十四歳の時に両親が交通事故で亡くなって、母方の叔父の家に引き取られる事になった。しかし、叔父(おじ)は厳しい人で、おまけに余所者(よそもの)の私は、周りから冷たく当たられたんだ」  そう言って、ダグラスはクリスを見た。  ダグラスは、比べる事ではないと知りつつも、自分よりも過酷な環境で育って来たであろうクリスの事を考えると、こんな事で不満を感じていた自分が、ただの我儘な子供に思えてならない。  しかし、複雑な心境ではあったが、そのまま先を続ける事にした。 「私には、行くあてもなかったから、高校を卒業するまでは、そこで我慢するしかなかったんだ。私は卒業すると、家を出る為に、全寮制の士官学校に進んだ。学費免除の上に生活費まで貰えるんだ。当時の私にはうってつけだった」  クリスは、相づちをうちながら熱心に聞き入っている。 「私は家を出たいと言うだけで士官学校に入ったから、軍人という職業に憧れもなにも抱いてなかったんだ。だから任期を満了したらすぐに退役したよ」  ダグラスはそこまで話すと、立ち上がって水を注いだ。 「飲むか?」 「飲む。ありがとう」  クリスは、礼を言って、ダグラスからコップを受け取った。  ダグラスは、それを見届けてから、また口を開く。 「とりあえず、家を借りて職を探した。私は色々な資格を持っていたから、就職先には困らなかった。しかし、なかなか続くところがなくてな。しばらく仕事先を転々としていたんだ。そんな時に、プライベートで街に出ていた先代の社長に出会ったんだ」  ダグラスは。水を飲み干して、テーブルにコップを置いた。 「その時、先代の社長はナイフを持った三人組の男に囲まれていたんだ。相手は代理業社と因縁(いんねん)のあった組織の構成員だったらしい。なに、ちょっとかじっているとは言っても所詮(しょせん)、素人だ。簡単に撃退出来たよ」  そう言って、ダグラスは苦笑した。 「人助けなんて柄じゃなかったんだが、その時は、なぜか助けに入ってしまったんだ。運命とはどう転ぶか分からないものだな。その時、先代の社長に気に入られて、代理業社に就職しないかと誘われたんだ。当時無職だった私は、深く考えもせずにその誘いを受けたよ」  ダグラスは、当時を懐かしむように遠くを見つめる。 「ここは、珍しく長く続いてね。もう十年以上勤めている。そして、先代社長が引退する時、指名されてこの役職を継いだんだ」  そこで言葉を切って、クリスの方を見る。 「私が社長に就任したのは五年前だ。クリスに会う少し前だな」  ダグラスは、少し笑ってから先を続けた。 「上に立つのは面倒で嫌だったから断ったんだが、どうあっても引き受けなくてはならないように仕組まれていたらしい。まあ……」  ダグラスは、ためるように一拍置いてから、言葉を続ける。 「それがなければ、クリスに出会っていなかったと思うと、感慨深(かんがいぶか)いものがあるな」 「これで終わりだ。退屈だっただろう?」  ダグラスが話の締めにそう言うと、クリスは首を横に振った。 「そんな事ないよ。すごく面白かった」  ダグラスは、その言葉に微笑むと、クリスの髪をとって口付ける。  それから、思い出したように時計を見ると、もう食事時間を過ぎていた。 「そろそろ食事にするか?」 「そうだね。社長、聞かせてくれてありがとう」

ともだちにシェアしよう!