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第二十七話(前編)

 この日、クリスは、仕事をしている間も嫌な記憶が頭から離れず、なかなか(はかど)らなかった。  それでも、なんとか仕事を終えると、クリスは水を()みに席を立つ。  そして、薬をワンシート手のひらに出すと、一気に口に放り込み、水で(のど)に流し込んだ。  クリスにも、このくらいでは、ただの気休めにしかならないのは分かっている。  実際、少しぼんやりするだけで、思考に支障をきたす程にはならなかった。  クリスは、ため息混じりに机の引き出しからノートを取り出すと、昨日の続きを書き始める。  何をしていても、嫌な記憶から(のが)れる事は出来ないが、何もしていなければ、クリスは誰かを誘って寝ていたに違いない。 『僕はあの時と何も変わっていない』  クリスは、逃れたいと思っている記憶と、同じような事をしようとしている自分にうんざりする。  その記憶と言うのは、クリスが七歳の頃、店で体を売っていた時の記憶だ。  そして、その記憶の中で、クリスは店長に犯されていた。 「クリス。しゃぶれ」  店長は、クリスを事務所の床に座らせると、目の前でズボンのファスナーを下ろした。  そして、隠し撮りしていたクリスと客との行為(こうい)をスクリーンに映し出す。  その時の映像はもちろん、客の声やクリスの(あえ)ぎ声、卑猥(ひわい)な音、全てが部屋中に流れた。  映像は、クリスからは見えないが、スピーカーから流れる音が一層卑猥にその時のプレイを思い出させる。  クリスは何も考えないように、ただ一心に命令に従った。  店長は、クリスの口から体を離すと、ズボンを脱がせる。 「自分のプレイを見てみろよ。興奮するだろ?」  店長はそう言うと、クリスの体を床に()()せて()つん()いにさせた。  そして、クリスの前髪を(つか)んで顔をスクリーンに向けさせる。 「こんなに腰を振りやがって。この時なにを考えていたんだ?」  店長は後ろからクリスを攻める。 「ド淫乱(いんらん)だな。こんなに声を出して喘ぎやがって。そんなに気持ちよかったのか?」  クリスが声を出すのは、仕事だからだ。  気持ちがいい(はず)がない。  いつも早く終わればいいと、ただそれだけを考えていた。  しかし、気持ちに反して、何故(なぜ)か体が反応する事がある。  クリスは、それがただの生理現象だという事を認識出来ず自分を責めた。 「ガキの癖に、こんな変態なプレイしやがって。お前は生まれながらの淫売(いんばい)だな」  クリスは、強要されたからやっているだけで、望んでやっている訳ではない。  その筈なのに、クリスは店長の言葉を否定する事が出来なかった。  店長は一回目の行為を終えると、クリスから体を離した。  それから、クリスを全裸に()き、(また)を開かせ、映像を再現する。 「こうやって入れられてたなあ。で、相手は中でどんな風に動いたんだ?」  クリスはその時のままに体を動かす。 「相手がどんな風に動いたか口で説明しろよ」  クリスは、疲れた声でその時の状況を説明する。  店長はそれを聞きながら、(ある)いは客のしたままに、或いは自分の思うままに体を動かした。 「すごい淫乱だな。こんな風にされたくてお前から誘ったんだろう? 俺の事も体を使って誘ってみろよ」  店長は、クリスをいたぶるように、汚い言葉で(ののし)り続けた。  店長は、ひとしきりクリスの体を堪能(たんのう)した後、賃金の入った袋を投げてよこした。 「持って行け。明日も必ず来い。絶対に逃げるんじゃねえぞ」  クリスは服を着ると、袋を(にぎ)りしめて店を後にした。  クリスは、六歳の時に母親が寝たきりになってから、体を売って働いている。  初めは、路上で体を売って(かせ)いでいたのだが、そこを縄張(なわば)りにしているゴロツキに捕まり、この店で働くようになった。  その時の事も、クリスは鮮明に覚えている。 「よう、店長。今日は上物連れて来たぜ。無許可で働いていたところをふんじばって来た。高く買取ってくれよ」  男はそう言って、店長の方にクリスを投げ飛ばした。  クリスは、バランスを崩して、その場に倒れ込む。 「上物だって?」  店長はそう言うと、乱暴にクリスの顔をあげさせた。  そして、クリスの顔を見ると、店長は下卑(げび)た顔をして口笛を吹く。 「いいだろう。買取ってやるよ。いくら欲しい?」  男はそれに指を立てて答える。 「ふっかけたな。まあいい、払ってやるよ。そのくらいすぐに回収出来そうだ。監禁して毎日客を取らせればいい」  クリスの預かり知らぬところで、勝手に取引が進んで行く。  幼いクリスにも、このまま行けばここから二度と出られなくなるという事は分かった。  閉じ込められて、酷い事をされて、客を取らされる。  それは、クリスの今の暮らしと、さしたる違いはないように思えた。  クリスはそれでもいいかも知れないと考えてから、首を横に振る。 『飼われるのと、自分で稼ぐのとでは違う』 「家に帰らせて。家には寝たきりのお母さんがいるんだ」  クリスは懇願(こんがん)した。  しかし、そうまでして母親の世話をしたかった訳ではない。  家にいるなら、世話をしない訳にはいかなかったが、見えないところで野垂(のた)れ死ぬならむしろ願ったりだった。  母親の事は、ただこの状況から抜け出す(ため)の口実に過ぎない。 「そんなの知った事かよ。うちのシマで許可なく働いてたんだ。どうせ金なんて持ってねえんだろ? なら体で払えよ」 「働くよ。毎日ここに来て、客と寝ればいいんでしょ?」 「それは当たり前の事だ。帰してやる必要もねえ」 「話を聞いて(もら)えないなら、僕は何を言われても言う通りにはしない。殴って言う事を聞かせようとしても、体に傷がついたら売り物にならない。犯されるのにも慣れているから、そんな事をしても僕は言う事を聞かない。でも、話を聞いてくれるなら大人しく客を取る」  クリスは、必死で訴えた。 「別に、言う事を聞かなくても関係ないさ。そういうのを無理やり犯したい客なんていっぱいいる」  店長は。面倒くさそうに言った。 「でも、そうじゃない客もいっぱいいる。どっちがお金を稼げるかなんて考える必要もない」  店長は嘲笑(あざわら)うようにクリスを見た。 「なら、お前の母親を殺すと(おど)したらどうする?」 「出来るならやればいい。僕が、一生あなたの言う事を聞かなくなるだけだ」 「口の減らないガキだな」  店長は。持っていた銃をクリスの口の中に入れた。 「これで大人しくする気になったか?」  クリスは怖がるでもなく、真っ直ぐに店長を見返す。  しばらく、そうやっていたが、店長は根負けして銃を引いた。 「監禁しないなら、大人しく客を取るって言ったか?」 「言った」 「じゃあ、お前の体にそれだけの価値があるか試させて貰おうか」  店長は下卑た笑みを浮かべた。 「まず、服を脱いで全裸になれ」  クリスは、言われた通りに服を脱ぐ。  店長は、クリスの裸を見て舌なめずりをした。 「綺麗な肌してるじゃねえか。むしゃぶりつきたくなるぜ」  店長は。クリスを床に押し倒すと、体中を()め回した。 「これからは毎日、俺がお前の体に、客の喜ばせ方を教えてやるよ」  店長はそう言うと、クリスの足を取る。 「これは、教育の一環(いっかん)だ。言われた通りに動けよ」  それから、地獄のような日々がはじまった。  閉店まで、シャワー以外の休憩もなく客を取らされ、店が終わると店長に犯される。  それが、毎日、終わる事なく続く。  クリスの心は、どんどん(けず)られて行った。  その上、やっとの思いで家に帰ると、寝たきりの母親がいてクリスを誘うのだ。  母親はクリスが帰ると、決まってねっとりとした甘ったるい声を出す。 「クリス、遅かったんだね。待っていたよ。こっちにおいで」  クリスは母親の世話を済ませると、シャワールームに逃げ込んだ。  そして、シャワーの水を出すと、耳を塞いで床にうずくまる。 「クリス」  しかし、どんなに耳を塞いでも、母親の声が指の隙間(すきま)から()れてくる。  そう、クリスの居場所など、この世のどこにもなかったのだ。

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