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約束 ~エピローグ~

「腹いっぱいになったか?」 「うん、もうパンパン。このまま寝ちゃいたいくらいだよ」 「あははは。腹膨れると眠くなるよな。じゃ行こうか」  店を出た途端、吹き付ける冷たい風に、ユウがニット帽を慌てて被った。 「さむっ」 「車に避難だ!」  ポケットに手を突っ込んで背中を丸め、ちょこちょこと走るユウのために助手席のドアを開ける。ユウを車内へ避難させてドアを閉め、回り込んで乗り込みエンジンをかけた。  少しだけ、遠回りをしよう。  アパートへ戻る道をゆっくり流すように走る。いつもの公園に差し掛かり、ハザードを焚いて車を停めた。  ギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを引く。 「ヒロ君?」 「なんだか、随分前のことのような気がするね」  ハンドルに両腕を乗せ、顔を公園へ向けた。  当たり前だけど、ひとっこひとりいない。殺風景な公園を眺める。 「こないだだよね」  ユウは首を竦め小さくクフクフと笑った。 「衝撃的だったもんなぁ……忘れられない映像だよ」 「へ?」  気の抜けた表情と返事。  俺はガランとした公園からユウへ視線を移し、体を起こした。  ハンドルに置いた左手を伸ばしユウを引き寄せる。体ごと助手席側へ向け、両腕でユウを包んだ。 「今日はまったくどうしちゃったの?」  猫なで声のようにコロコロと響く落ち着いた甘い声。  髪を撫でながらユウの肩越しに公園を見た。  あの男が言った言葉が本当なら、どんなにいいだろう。でも俺は、俺があの男へ向けて言った言葉こそが真実だと思ってる。ポジティブだろうが、そこまで楽観的ではない。 『あなたにそうなって欲しくないんです。ユウは。あなたが平気で人を傷つけられる冷酷な人間じゃないと分かっているから。ユウは、ユウはあなたが大事だからあなたの元を去った。ユウの気持ちを分かってあげなきゃいけないのはあんただ』  自分を犠牲にしても誰かを守りたいと思う気持ち。  それが愛だと思うから。  ユウが大事にしたいのは他の誰でもない、あの男だと思うから。  ユウは言った。「戻らない」と。それが全ての答えなのだと思う。それでもユウの気持ちを思うと胸が苦しくなる。  ユウ……いいの?  本当にそれでいいのだろうか。俺はユウになにをしてやれるのだろう。 「ユウ。……俺はユウに会えて良かったと思っているよ」 「うん」  嬉しそうに返事をする。そんなユウを愛しいと思う。  包んだ体をさらにギュッと抱きしめた。 「……ひとつ聞いていい?」 「ん? なに?」  聞いたところで、俺の期待する答えなど返ってこないと分かっていた。それをあえて聞こうとしている自分をバカだと思いつつ、口を開く。 「ここで初めて会った時、よく俺についてきたね」 「ええ?」  ユウがクスクスと笑ってる。  どう返していいか困るよね?  あの日は厳しい寒さだった。あの状況なら、誰の好意にでも甘えると思うから。  ユウはチラリと上目使いで俺を見ると、視線を落とし唇をキュッと結んだ。 「うーん……ヒロ君だったからじゃない?」  その答えは模範的回答のようで、ユウのなにも考えていない本音にも聞こえた。  それで十分だった。  またユウがクスッと笑う。 「ヒロ君、可愛かったし」 「ええ? 未成年が寒空に震えてるって思ったんだよ。どっちが可愛いっつーの」 「可愛かったよ? 顔色コロコロ変えちゃって。ナンパ不慣れ、いや初体験って感じ? 人に『凍死するよ』なんて忠告してる本人が真っ青な顔してさ。あー、この人見ず知らずの他人の俺を本当に心配してるんだって思った。全然危険な人に見えなかった。なんかね、俺そーゆーのわかっちゃうの。この人はきっとポカポカだなって。真っ青な顔してたけどね」  夜中に施設の前に捨てられ、凍え切った身体を抱き上げられたユウ。あの男のぬくもりが、魂の記憶として残ってるのかもしれないと思った。  ユウの生い立ちは、確かに悲惨かもしれない。でもユウには愛され守られてきた年月が心に刻み込まれている。人を信じる心も。  それを教えたのは間違いなくあの男で。  だからユウは俺についてきたのだと思った。 「……俺がポカポカなんじゃないよ。ユウがポカポカだから、それが感染したんだよ」  ユウはふわっと優しく微笑んだ。  強くて優しいユウ。俺もユウのような人間になれるだろうか。  逃げないで。誰かのために。ユウのために――──。  俺はユウを強く抱き締め、覚悟を伝えた。 「ずっと一緒にいたい。ユウが傍にいてくれたら俺は嬉しい」 「言ったでしょ? もうどこにもいかないって」 「うん。離さないから、どこにも……いくな」 「うんうん。約束ね」  ――──約束。  その言葉にキリキリと胸が痛くなった。  ユウは唯一、心の拠り所にしていたあの男が施設から出て行ったあとも、ずっと待ち続けた。「必ず迎えにくるから」その約束だけを心をにしまい。腐ることなく待ち続けた。  二人で寄り添い、淋しい夜を超えてきたであろう二人のはずなのに。  迎えに現れた愛しい人には婚約者がいた。  ユウがどんな気持ちだったかなんて、想像しなくても分かる気がした。  いや、実際はもっと辛かったはず。『迎えにくる』という約束は『ずっと一緒にいようね』と、同じ意味では無かった。  いや、あの男にしてみれば同じ意味だったんだろう。でも、ユウにしてみれば「自分さえいなければ全て丸く収まる」と感じられたのではないだろうか。  でも、高校卒業したばかりのユウにとって、頼る相手はあの男しかいなかった。  ユウは失望を決して表に出さず、ずっと待っていたのではないだろうか。あの男が婚約を解消するのを……。  あの男に抱かれたあと、真っ暗な部屋の中、寝顔を眺めているユウを想像した。  公園を淡く照らす、小さな外灯がゆらゆらと滲んでいく。  あの出会いが偶然でもなんでもいい。でも俺を見て、ユウはアパートへついてきてくれた。  あれがユウの選択だったのなら、俺はユウを全力でサポートすべきなんじゃないだろうか。  きっかけはどうであれ、ユウは決断したんだ。  自分の人生を生きることを。  そして俺は、ユウを愛している。 「……おう。約束だ」                                         了

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