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第1話
杉石琢磨|杉石琢磨《すぎいしたくま》は有名企業の営業マンだ。
そう、今までは。
「杉石くんね、君、今日からクビね」
ビルの受付をいつものように挨拶だけで通ろうとすれば呼び止められ、社長室に案内されて言われた一言がそれだった。
思わず鞄を取り落としてしまう。
バササッと落ちたのは彼がこの有名企業の為にした事と、後暗い隠蔽された脱税等をまとめた資料だった。
社長は短く告げると杉石のことを一瞥もせずに神経質そうにせかせかと出ていく。
この資料で内部告発をするつもりだったアテが全てなくなってしまった。
もはや、この資料は単なる紙の束になり果ててしまった。
「……チクショウ……ッ!! 」
杉石はばっと鞄を振り上げ、社長机に叩きつけた。
ハラハラと舞う紙の中、呆然と立ち竦む。
物音を立てても誰も見にこない。
仕方なく散らばった資料を掻き集め、適当に鞄に詰めて社長室を後にした。
こうして、杉石琢磨は長年勤めた企業をクビにされてしまったのだった。
悪事を全て暴いてしまおうと意気込んでいた為に、これは杉石に理不尽なやるせない怒りを覚えさせる。
なるほど企業側の不穏分子だったらしい、いわゆるしっぽ切りだ。
やることも無くなった。
杉石は当てどもなくビル街をブラブラする。
だが、しばらく歩いたところで昼間からスーツ姿で当てどもなくふらつくのは自分の矜恃には合わない。
彼はスマホでホテルの予約を取り、とりあえずそこに落ち着くことにした。
だけれどもやはりイラつきは拭えずに、ホテル内をイライラと歩き回り、三時間も経つとホテルを出てまた街に繰り出す。
もう、呑まねばやっていられなかった。
目に付いたコンビニにふらりと立ち寄りビール缶を数本手に取る。
銘柄を揃える気はない、目に付いたものを片端からカゴに入れていき精算を済ませて外に出る。
明るい陽射しを避けようと、暗い路地裏にふらりと彼は入っていった。
なにも考えてなかった。
杉石にはもう何もかもがどうでもよかった。
ただ、昼間から酒を呑む姿を明るい中で誰かしらに見られたくなかっただけだ。
薬指に嵌め込んだ、くすんだ指輪が鈍く光っている。
それすら彼を叱咤しているように思えて、指輪を取ろうとしてはまた手を止め、しばし指輪を苦い気持ちで眺める。
いつになったら忘れられるのだろうか。
脳裏に浮かんだ1人の姿をすぐさま打ち消して、指輪がはまった手ごとスーツのポケットにしまう。
ガザガサとビニル袋の音を立てて暗い方へと歩いていく、杉石は気付いてなかった。
距離を取り、自分を追い掛ける数人の足音に。
適当な公園に出た杉石は、これまた簡単な作り付けで設置された寂れたベンチに腰をかけ、提げていたビニル袋から缶ビール数本を取り出しプルタブを捻り開ける。
すると途端に密閉されていた缶から溢れてきた泡を慌てて口をつけ、啜ってから黄金色の祝福を一気呑みする。
喉を通る冷たさが少しだけ頭をクリアにしてくれる気がした。
傍らに置いた鞄を一瞥し、杉石は思考に落ちていく。
どうやったらアイツらを、あの企業を陥れられるかと。
早々に二本目に口を付けてぐぐっと煽る。
ちょっとだけ温くなったビールをまた煽ると、ふと近づく足音にようやっと気づいた。
こんな真っ昼間にうらぶれたスーツ姿の杉石は酷く目立ったらしく、気づいた時にはもう遅く、柄の悪いチンピラに取り囲まれていた。
「おい、おっさん金出せよ、持ってんだろ」
「やっちゃいましょうよ、ボス」
「ここはおれらの縄張りなんだよなあ、場所代置いてけよおっさん」
三人のチンピラが距離を詰めてくる。
それらを見るだけ見て、はあとため息を吐く杉石はチンピラ達の気に触ったらしい。
「このやろ、哀れんだような目で見やがって!! 」
胸ぐらを掴まれ無理やり立たされると思い切り横から拳で殴られる、頭の奥がぷつんと切れた気がした。
ふらつく杉石を三人で抱え、次々に殴られる。
ビールは転がり、誰かが踏んだのかベコベコになっていた。
それでもやり返さない杉石に男達は更にイライラが募っていく。
「おい、見たところお前良いとこのリーマンだろ? なんでこんな所に昼間からいるんだ? ……さてはおっさん干されたなあ? そんないい年して干されるとか堪らないよなぁ……? おら、何か言えよ……っ! 」
その言葉は杉石のなけなしのプライドを叩き切った。
怒りが湧いてくる。
ふつふつと止められない怒りに任せて感情のコントロールが効かず、思わずシールドを張って目を見開く。
制御装置である眼鏡は乱闘の間に、いつの間にかなくなっていた。
蹴りを躱した杉石が体勢を立て直すと、きっと見開いた眼がきらりと光る。
その瞳の奥ではチンピラどもの情報が手に取るようにわかっていた。
センチネルとしての力がコントロール出来ずに入ってくる情報に翻弄され、頭が混乱して精神錯乱に陥っていく。
「うぐ、うがああああ!! 見るな、おれを見るなあああああっ!! 」
杉石が頭を抱えて遮二無二|遮二無二《しゃにむに》体をめちゃくちゃにふるい、突然暴れだした彼にチンピラたちは怯み、ばっと一様に距離を取る。
もはやチンピラたちのことなど杉石の頭にはなかった。
そして散々暴れ回ったあと、意識が途切れる寸前、誰かが庇うように立ち塞がった気がして、そこで完全にフェードアウトしたのだった。
ふと杉石が目を覚ますと温かな気配。
だが、それはけして嫌なものではなく、杉石を暖かく包み込んでいた。
まるで彼の昔の嫁のような、精神を安定させるもの。
杉石のかつての嫁はエンパス共感能力のとても高いガイドだった。
二人はとてもよいパートナーだった。
センチネルとガイドとしても高いマッチング性、そして何より二人の間には愛と呼ばれる関係性が築かれていた。
センチネルとガイドの間には深い信頼関係が不可欠で、その信頼関係の深さでセンチネルとガイドの関係は強く固く、より強固に結ばれる。
杉石はガイドを失って久しく、ガイド擁護団体から届いていた専任ガイドの案内状も全て読まずに捨てていた。
杉石のガイドは嫁ただ一人しか受け付けず、全部破り捨て、センチネルを擁護する団体からも足が遠のいていた。
――だが、今のこの全てを包み込み癒すような、この感覚はなんなのだろう。
かつての嫁とも違うこの信頼感と幸福感は――。
ふいに意識が浮上すると、彼はずっと頭に、心に直接話しかけられていたことに気づく。
そして思い出す。
自分が能力を行使し過ぎてゾーン障害陥った上、暴れ回り錯乱したことを。
『――さん、――さん、起きたか? 精神は安定したか? 少しは落ち着いたか? 』
『ああ……誰だ、お前さんは』
優しい声かけに心で返答を返すと、ふと温かみがました。
『起きたなら声を出してみてくれ、オレの声は届いているか? 』
「……ああ、起きたよ 」
そう呟けば杉石の意識が急速に引っ張り上げられていく。
目を開けてくれと心に響く声に、杉石はようやく重い瞼を開けた。
眼鏡越しの視界に映ったのは。
長い銀髪、赤い美しい宝石のような瞳と、これまた美しく整った顔立ち。
世間でいうところの見目麗しい、あまりにも整った美形が杉石のことを覗き込んでいた。
今まで見たこともない美しさと、これまで経験したことのない幸福感に目が離せない、引き寄せられていた杉石に青年は軽いノリで話しかけた。
「ところでおっさん、オレを拾ってくんない? 」
それはどこまでも澄んだ甘く優しい声だった。
そう、それがガイドをなくしたセンチネルである杉石琢磨と、自称最高のガイドである聡太|聡太《そうた》と名乗る青年との最初の出会いだった。
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