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第1話
体を弛緩させようとしているとしか思えない、眠りに誘う、うららかな日中。あふ、と口元に笏 を当てあくびをし、時の帝である旭 は脇息に体重を預けた。――まったくもって、つまらぬことよ。
御簾越しに、ほほと笑いながら何やら話をしている公家たちの姿が見える。はたしてこの中で、自分が今退屈をしていると気付いている者がいるだろうかと目を向けてみるも、誰も旭のことを気に止めている様子はない。それぞれに好きなことを話し、腹を探りあい、つまらぬ見栄と体面の為に意識を使っているのだろう。
あふ、ともう一度、今度は口元を隠さずに退屈を示して瞼を下す。柔らかな光が、瞼の裏を赤く染めた。――この時間は、あとどれほどすれば終わるのだろうか。
終わったとしても、旭にとって退屈この上ない時間が続くことには変わりがない。が、これほどにぬるく柔らかい気温と程よい日差しのたゆたう日中であれば、御簾の裏でつまらぬ話に耳を探られるよりも、別の退屈を味わいたい。――父帝も、このように退屈な日々を過ごしたのだろうか。
隠居をし、表舞台から退いた父帝――斉彬 上皇が旭に代わり政 を行っている。権威は旭にあるが、実権は斉彬上皇が握っていると言える状態では、ここに居る者たちが今、旭のことを気に留める必要はないのだろう。
いつだったか、父帝が漏らしたことがあった。即位してから退位するまでは、我らは高貴な種馬よ、と。その意味が、今はわかる。目の前にいる者たちも、この場にいない者たちも娘を持つ公家は皆、旭の後宮へいかにして娘を入れるかを考えている。その娘が男児を産み、それが即位すれば自分は国の祖父となり、好きに振舞えるからだろう。旭の祖父、藤原 博雅 のように。
祖父は、政よりも自分がいかに居心地良く過ごせるかを大切にしている。それを、ほかの公家たちも理解しているらしく、旭を理由に博雅の機嫌取りをしているとしか思われない昼餉の後の政の場は、終始さまざまなうわさ話で満ちていた。――このように退屈なのであれば、早々に退位をし、好きにしたいものよ。
そうは思っても、位を譲ることの出来るものが居ない。旭にはまだ、子がなかった。
細く長く息を吐き、異母兄弟のことを思う。姫はすべからく降嫁した。男は権力争いに使われる前に、祖父が根回しをして追いやったらしい。
御簾向こうでの会話はまだ、続いている。無為に時を過ごすことに慣れている旭でも、今日は特につまらなく思えた。――庭を眺めながら、こうしておるほうがどんなに楽だろうか。御簾越しではなく、うららかな日差しを直接にうけながら夕餉までの刻を過ごしたい。
だんだんと、皆の話し声が子守唄に聞こえ始めた旭の耳に、ふと差し込まれた声があった。
「帝の事を哀れとは、なんとも大それたことを言う」
はっとして身を起し、耳をそばだてる。
「民よりもと、申したそうな」
「世迷言を。神の子である帝を、石ころと変わらぬ者どもよりも哀れ、とは」
ほほ、とゆるやかな嘲りの声が広がる。
「それは、どのような者が、どのような時に申したのだ」
ざわ、と旭の声に場の気配が突風にさらされた木の葉のように乱れる。この場で、旭が何かに興味を示し声を発することは、今まで一度たりともなかった。
「帝の耳に、このような話を入れるとは」
「言い出したのは、誰ぞ」
和やかな雰囲気が一変、糾弾するものに変わった。
「橘 森繁 殿が話始めよの」
したり、と誰かの声が標的を定めて他の者に追随を促す。名を挙げられた森繁は御簾越しからでもわかるほどに、うろたえていた。
「森繁」
「は」
こちらに身を向けて、蛙のように這いつくばる彼に言葉を投げる。
「聞かせろ」
「――は」
「詳しく、聞かせろ」
旭の声が好奇のみを浮かべていることに気付いたらしい。森繁は関心を引けたことに喜び、他の者は舌打ちをこらえるように目をそらした。
「街角で、男がそのように申しておったとか」
「それは、ただの民か」
「直垂を着ていたとの話ですので、武家か、あるいはとるに足らぬ身分の公家でありましょう」
「そのようなものが、我を哀れと申したか」
ふいに、笑いが込み上げた。そのようなことを言う男、会ってみたい。
「もっと、詳しく」
求めると、森繁は他を威圧するような気配を膨らませ、言った。
「では、我が娘、朔宮 の住まう院にいらしてくださりました折、直に、ゆるゆると」
「そうか。ならば明日にでも、参る」
旭の言葉に、場の空気が一変した。そわそわとした気配が漂う。姫を入内させている者たちも、いずれ姫を入内させようと思っている者たちも、その男の事を調べるための手を頭に描く。ことによっては男を自分の手の者とし、旭が姫の元へ足しげく通うよう、次の帝を腹に授かる可能性を高めるために利用しようと考えた。
「は」
先んじた森繁がほくそ笑む気配を――祖父博雅が少し眉間にしわを寄せているのを、御簾越しに眺めながら、男のことを旭は思った。
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