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第10話

 翌朝、瞼が重く目を開けるのも億劫で、旭は気分が優れぬと全ての公務を辞退した。それを聞いた公家達が次々に見舞いの品を用意し、邪気をはらうために僧や陰陽師までをも送り込んでくる。ひとりになりたくともなれるはずもなく、護摩を焚かれながら読経をあげられ、薬湯を飲まされた。そうしていると本当に病にかかっているような気になり、義直に惹かれたのは何かに憑かれていたからだという気がしてきた。――このまま、祓われれば今までのような生活に戻るのだろうか。  望む心と拒否をする思いとが交錯する。自分はいったい、どうしたいのか。どうすればいいのか。何故、これほどまでに息苦しいと感じているのか。 「お加減は、いかがですか」  女房が、粥を運んでくる。上体を起こしそれを口に運ばれながらふと、思った。――自分はあっさりと義直と会えたというのに、何故他のものたちはうわさを拾うばかりなのだろうか。本人から何かを聞いたという話は、何故出てきていないのだろうか。 「護摩に、むせそうだ。僧の声も響き、眠れぬ。ひとり静かに休みたいのだが」 「では、そのように」  しばらくして、まわりが静かになった。ふうと息をつくが、人が去った気配はない。旭の病を祓ったという功績を手にするために、次の策を講じているのだろう。――いや、我ではなく帝の、か。  今までは、そのような考えをもったことはなかった。旭は帝であり、帝は旭であった。それが当然であり、ゆるぎないことであり、疑問に思うことすらないはずのことであった。それなのに、義直が口にしたという「帝は哀れ」という言葉に囚われ、彼に捕らわれ、揺らいでいる。――もし、立太子争いに我ではない者が勝利をしていたならば、我は御簾の向うの者たちと同じように、さまざまなうわさを、ついばんでおったのだろうか。どこぞの姫と歌を交わし、手引きをされて忍び入り、情を交わしていたのだろうか。 (入内を、恨みました。帝を、恨みました。――――お会いするまでは)  葵の姿を思い出す。諦めと憂いを含んだ彼女はただ哀れで、美しいと思えた。もし入内することがなければ、葵は文を交わした相手に想われ続ける人生を手に入れていたのかもしれない。そうなっていればと、幾夜も袖を涙で湿らしていたのかもしれない。彼女のあの笑みは、泣きつかれた哀れなものの姿なのではないだろうか。――それほどまでに想う相手が居ながら、後宮に参らされたのか。  他の姫たちも、そうなのだろうか。そうであるものも、そうではないものもあるのかもしれない。大切に育てられ、入内の準備を進められた姫たちの気持ちなど、考えたこともなかった。彼女らのことを、(おもんばか)ろうとすることなど一度もなかった。自分と同じように、次代の帝を産むためだけの存在としか、認識していなかった。 「上皇に、お会いしたい」  声にすると、姿の見えぬ気配が動いた。多くのものが控えていたらしい。さわさわと衣擦れの音が遠ざかり、しばらくしてまた近づき、抑揚のない声が響いた。 「お会いになれまする」 「ならば、行こう」  すぐさま側に控えた女房に、ひとりで行くと告げると悲しむ顔を作られた。この顔は、旭を心配しているのか、帝を心配しているのかと思いながらも(はばか)ることがあると言い置き、誰も連れずに父の元へ進んだ。 「おまちしておりました」  父のそばにひかえている女房が頭を下げ、旭の先に立って先導する。坐して待つ上皇の脇には、前に見た少年とは違う者が控えていた。旭が座ると女房は姿を消し、旭と上皇、少年の三人だけとなった。 「病を、患ったか」  愉快そうな上皇の横で、少年は目を伏せたまま動かない。 「以前、種馬というお言葉を(たまわ)りましたが」 「まさに、そうだろう」 「姫たちも、似たようなものでは」  少し目を開いてから、上皇の唇が意地悪く歪む。 「関心が出来たか」 「葵と、話をいたしました」 「博雅が何かを言ったか」  ゆるくかぶりを振る。 「入内前に、文を交わした者が居ると」 「姫が言ったか」  それには何の反応も示さずに、ただまっすぐに見返すと控えている少年が驚いたように目を上げ、恥じ入るように顔を伏せた。目の端でそれを確認した上皇はふふんと鼻を鳴らす。 「さもあらん。他の姫も、そのような相手が居ろうな。――入内を必ず成し遂げられるもの以外は、見栄と体面の為に叶わなかった場合を恐れ、目論んでいるとは口にせぬだろうから、評判の良い姫には文が多数舞い込もう。その中の誰かに心を動かされることも、あるだろう。たとえ内々に入内をすることを聞かされていたとしても、側に控えている者の手引きで相手が引き入れられてしまうこともあるだろう。――しかし、そうか。そのような話をするとは豪気な姫だ。さすがは博雅の縁者と言うべきか否か」  喉を鳴らし肩を震わせる上皇を、おろつきながら少年が落ち着かせようと手を伸ばす。その手を掴み、膝の上に引き倒して抱きかかえながら、なおも上皇は笑い続けた。 「世情は、知らぬほうが幸せと思うたか。それとも、さらに知りたいと思うたか」  問いの意味が解らず、旭はただふたりを見つめる。 「忍び出でて、彼の者と会ってきたのではないのか」  目を見張る旭に、何もかもお見通しよとつぶやき、少年を放す。少年は慌てて身を起こし、乱れた服を調えて脇に控えた。 「抜け出したことを気付かれぬとでも、思うたか。甘いな。まぁ、そのように育てたは、我らだが――――誤魔化しておいてやった。塞ごうとしても、いらぬものが耳に入る年頃だからな」  上皇にとっては、自分はやっと大人になりはじめたばかりの幼子と認識されているように、聞こえた。 「今日は、いつになく饒舌(じょうぜつ)な――」 「これほど、面白いことはないからな。つまらぬ世を、それと知られずに面白う出来るやもしれぬ。――――木曾義直という男、どういう筋の者か教えてやろう」  ふふ、と笑った上皇が身を乗り出し、旭の耳元に囁く。その言葉の持つ暴力に、旭はその場で昏倒した。

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