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7. 君が笑っていればいい

 あれからすぐに冬休みが来て、俺は実家に里帰りした。一週間の休みは、最低最悪な自分自身を認識するのに十分な時間やった。寮から離れれば離れるほど、俺の身体は快楽(あいつ)を求める。一人でしても全然足りへんくておかしくなりそうやったところで、あいつから電話が掛かってきて縋るようにそれを取った。家のベランダでも、駅のトイレでも、あいつに指示されるがままに自分を慰めて、辱めて、その証拠に写真や動画を送った。  結局、親に嘘ついて皆より二日早く寮に戻って、朝から晩まで盛りのついた動物みたいに腰を振りまくった。もっと強くしてほしい。痛くしてほしい。俺が最低最悪な奴やって知らしめてほしい。そんで俺をもっともっと求めてほしい。頭ん中にはそんな考えしか浮かんでこんかった。  三学期が始まれば、オモチャ入れたまま学校に行った。貞操帯とかゆうんを着けてったこともある。誰かに見つからへんかドキドキしたし、見つかって犯されたらって妄想が止まらんくて、体調悪い振りして早退して寮長室に駆け込んだこともある。  ヤりすぎて宿題できへんことが多なって先生に呼び出されたけど、このまま卒業できへんかったらずっと寮に住めるんかなって考えたら悪くない気もした。でも、寮生の成績は寮長の責任にもなるらしくて、おっさんには普通に説教された。お仕置きやってケツシバかれるんかと思ってたから残念やった。  そんで、三月。卒業式の日。今にも雨が降りそうな曇り空で、体育館は足が冷えて寒かった。ようやく式が終わって帰れると思ったら、呼び出しを食らう。先生じゃなくて、伏見先輩から。わざわざ俺の教室まで来て声掛けられたら、さすがに逃げようがなかった。 「先輩、いいんすか。皆集まって写真とか撮ってるんちゃいます?」 「別に。大丈夫」  先輩はこっちを振り返らんまま、ただひたすら、俺の手首を掴んでどっかへ引き摺って行く。 「ってか、どこ行くんすか? 話やったら、別にどこでも……」 「いいから、付いて来てほしい。お願いやから」  渡り廊下を渡って、着いたのは視聴覚室の前やった。鍵掛かってるんちゃいます、って言おうとしたら、先輩は廊下に面した窓を開けて中へ入った。 「来て」  そこまでされたら、先輩が何でここに来たんか俺にもわかってしまう。 「なぁ、モモ。こっち来て」  あの日の俺と、(おんな)じことするんやもん――俺が先輩に告白した日と、同じことを。 「でも、先輩……」  この窓を越えたらあかん気がする。 「モモ、お願い。話したいだけやから。これで最後にするから」  先輩の声は震えてた。潤んだ瞳を瞬かせて、今にも泣き出しそうに唇を噛む。初めて見る顔やった。 「……わかりました。ほんまに、これで最後なら」  ずるいわ、そんなん。そんな顔されて、断れるわけないやん。  電気つけてない視聴覚室は、廊下からの僅かな光だけで、ほとんど真っ暗やった。それも、あの日と同じや。俺と先輩は、壁を背もたれにして並んで座る。 「なぁ、モモ。来てくれてありがとうな。ここ、覚えてるやろ? モモが告ってくれた時、俺、ほんまに嬉しかってん」  チラッて横見れば、先輩の左胸に付いた花がぼんやり浮かび上がった。それを見て、今日が卒業式なんやって、先輩が卒業するんやって実感する。 「やからな、モモとの最後があんな風なんは、どうしても嫌やってん。モモに誤解されたままなんは辛いから」  あん時俺が先輩をここに呼びだしたんは、先輩の推薦が決まった直後やった。伏見先輩はずっと前から俺の憧れの人で、優しくてカッコよくて、大好きやった。やから、告ってオッケーもらえて、ほんまに夢みたいな気持ちやった。  卒業したら離れてまうから、それまでの間に、いっぱいいっぱい楽しい思い出作らなって――……。 「モモに嫌われてしまったんは、もう受け入れてる。俺のせいやってのも、ちゃんとわかってる」  結局、俺が自分でブチ壊したんやけどなぁ。 「せやけど、これだけは、もう一回ちゃんと伝えときたくて」  俺は変わったんじゃない。俺は元々、こうゆう奴やったんや。 「モモ。俺、モモのこと、今もほんまに好きやから。男やから嫌やとか、そんなんも思ったことない。俺は、モモやから大好きやねん」  先輩に好きやって言われてこんな気持ちになるなんて、あの頃は想像もせんかったなぁ。 「俺はモモに出会えたこと、短い間やったけど付き合えたこと、ほんまに幸せやったと思ってる。今まで、ほんまにありがとう」  話してる間、先輩はずっと俺のブレザーの端を掴んでた。まるで、大人に縋る子供みたいに。 「やから、これ、受け取ってほしい。返事は、気が向いたらでいいから。……あと、これも。俺には、モモ以外渡す人おらんから。モモに持っとってほしい」  シンプルな柄の封筒と、制服のボタンが差し出される。そういや、卒業式の日に第二ボタンくださいねって話したこともあったっけ。 「……じゃあ、一応」  受け取って、気まずい沈黙から逃げ出すみたいに立ち上がれば、先輩が「待って」って声を上げた。 「モモ、最後に…………いや、やっぱ何もない。さすがに、みっともなすぎるわ」  伸ばし掛けた手は、宙を彷徨って下ろされる。もし俺が、その手を握れば、どうなるんやろ。そんな考えが、一瞬だけ頭を過って、すぐに消える。 「……もう、いいですよね。行きましょ」  廊下の電気が目に沁みる。中庭の方から、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえてくる。曇り空やけど、外は賑やかで楽しそうやった。 「じゃあな、モモ。……いつかまた」  階段を昇る先輩の後ろ姿を、俺はいつまでも見つめてた。その背中は悲しそうで、何度も後ろを振り返りたそうに髪が揺れるけど、先輩は決して俺の方を見んかった。みっともなくなんてない。先輩は最後まで眩しかった。そんな先輩のいるべき場所は、進むべき道は、きっと明るいところやと思う。  そうや。俺は、この日を見届けるために、寮長に従ったんや。先輩が無事に卒業できるように、ちゃんと進学先に進めるように。でも、それももう終わりや。  伏見先輩。俺は、先輩と出会ったことも、好きになってしまったことも、全部後悔してます。ほんまに、今まですいませんでした。どうか、俺のことは忘れてください。  俺はもう、戻られへん。やめられへん。こっから先は全部、俺の意志です。これがほんまの俺なんです。  先輩が好きやって言うてくれた人は、元からこの世におらんかったんです。  ……それにしても、なぁ。さっきのブレザー掴んでる先輩、なんかガキ臭くて嫌やったなぁ。  歩きながら、手の中のもんを握り潰せば、折れた紙とボタンのでこぼこが刺さった。ほんまにしょーもない。こんなもん、オカズにもならんし。しょーもなすぎて、逆におもろいわ。  蹴り飛ばしたゴミ箱ん中で、ボタンが(ちっ)さく音を立てて、先輩の書いた俺のフルネームが揺れる。腹立つほどに、綺麗な字やった。一生忘れられんぐらい、綺麗な――。 <了>

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