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二つ重ねて一つの秘 一*
城抱えの書庫番であるスイには、人に言えない秘密があった。
当人に言わせればそれは好奇心の末路であって、別に生まれついてのそういう性質だとか、勉学にかまけていた反動で開花したとか、ましてや淫魔に憑かれただとか、そういうのでは断じてない。
ただ少し興味が湧いてしまって、試しにやってみたら気持ちよかっただけなのだ。人に言えないのも、普通こういったものは口外しないものだからで、多少特殊ではあるかもしれないが、いや皆あまり口外しないのだし特殊ですらないかもしれないし、そう、言えないのは普通だろう。
――などと言い訳を行ったり来たりして、飛びぬけておかしなことではないと己に言い聞かせているけれど。やはり特殊な自覚はあるので、秘密として他人に悟られぬよう気をつけているのだ。
スイは書庫番である。史学者の家に生まれて兄弟と揃って学者になり司書となり、王都から少し離れた森林領、南の城と呼ばれる王妹殿下管轄の離れのこれまた離れの書庫に籍と部屋を貰い、不自由のない暮らしをしていた。日々、与えられた本や諸々の品を検分しまとめ、必要に応じて翻訳や注釈をし、四か月に一度の報告をこなし、たまに他の研究者や王族貴族の相手をする、城仕えの端役らしいのんびりとした生活をしていればよかった。
頭こそよく身分も上位の部類である彼だったが、容姿は並程度でそのうえ三男坊。本人が二十四にして出世にも婚姻にも興味を欠いて必要以上の社交性など発揮しないでいる為に未だ独り身で、離れの城の敷地の端、庭に囲まれた石造りの書庫に隣接した建物で日がな過ごしていた。
彼の趣味――秘密の時間は、大抵近くに人気のない午後、夕方手前あたりだ。この書庫での本の閲覧はすべて書庫番であるスイの手を通して行われる為、朝のうちに予定として申し送りがされるのがほとんど、突然の訪問がある可能性はかなり低い。他の仕事や相談なら午前、客であれば茶の時間、遅ければ夕食後を選ぶ。使用人や庭師たちの仕事もとうに済み、人に隠していたいことをするのならこの空きの時間が一番適当だった。
窓に下ろした日除けは外の明るさを透かす薄さで、同じ色をした塗り壁に囲まれた部屋は十分に明るい。スイが引き継ぐ以前は二人三人で詰めていた建物は今は悠々の一人住まいで、仕事机があるよりも奥、生活の場として使っている部屋はテーブルと椅子が一揃い、備え付けの棚にあれこれと日用品の全部を入れた横に寝台があるだけの――飾り気や個性のない空間だ。
その清潔な寝台の上、寝具とは違う布を敷いた上にスイは裸で寝転がっていた。
体を丸め、ふっ、ふっ、と駆けた後のように息を弾ませる口を布団に押しつけ、右手は己の尻へと伸びる。肉づきの薄いその奥に指を二本突っ込み、ぐちぐちと掻き回している。油を使っている為に濡れた色をしている孔は既によく解れて、根元まで咥えたペンだこのある指を締めつけていた。
普段は涼しく澄まして目立たぬ書庫番の顔は、今はぼうと蕩けて紅い。唇はだらしなく半開き、青い目は潤んで遠くを見るかのように己の膝を眺め時折眉が寄る。解いた黒髪が寝起きより乱れてそれらを隠していた。
「ふっ……ぅ、んん……」
息を整え、声を漏らしそうになる口を空いた手で塞ぐ。この時間、近くには誰も居ない。誰にも聞かれることはない。そう思って事に及ぶのだが、それでも大きく声をあげることは憚られた。
ぬるりと柔らかい弾力の体の中を探り、幾度か繰り返して手を押しつける。慣れた調子で中を擦って叩くと快感が込み上げる。手を止めずに視線を僅かに上げると用意してあった物が目に入る。横たわる裸体と並ぶようにして布の上に転がるのは、丁度彼の手に載るほどの大きさの陶製の張り形だ。期待に喉が鳴り孔が疼いた。
やがて、スイは手を引いてのろりと体を起こし、膝立ちになって油まみれの指で張り形を掴んだ。冷たい表面を作業的に撫で回し、油の滑りを移して足の間へと持っていく。
入れやすい向き、姿勢は分かっていた。単純に男根を模した丸い先端は濡れた孔を難なく拡げて進んでいく。息を整える間を少し挟み、俯き、押し入れると先程も弄っていた性感帯に当たる。込み上げる感覚に何度も押しつけると緩く立ち上がった、張り形と違って柔らかな彼自身の一物が揺れた。
腰を揺すり、粘膜を擦りたてると堪らなかった。欲求のままに手を動かし快感を追う。覚束なくなってくる手を無理に使い、何度も、何度も。もっと奥へ。
静かな部屋に熱っぽい吐息と濡れた音が重なっていく。同時に、スイ自身の意識も快感と自分が発する音に満たされていく。もっと、と念じるのは声にはならず頭の中で。
「――っあ」
動きが止まり、指の合間から一段大きな声が漏れた。腰が跳ね、がくがくと震える体が姿勢を保てず緩慢に寝台へと沈んでいく。汗ばんだ体は甘く痺れ、呼吸と共に大きく動いた。
陰茎は項垂れていたが、全身を覆う強い快感は絶頂のものに他ならない。敏感になった体の内側で一層に存在感を覚える張り形を引き抜くと、名残惜しむように濡れた粘膜がひくついた。意識して引き締めると腹の底にじんわりと、新たに熱が溜まる。
それがまた体に散っていくのを楽しみながら、スイはぼうと壁を眺め息を整え、首元に張りついた髪を気だるげに払った。
そうして横になったまましばらく絶頂の余韻に浸っていた。初夏の今時期は裸でいても寒くはないが、べたつく油の感覚は最中とは真逆に不快感に変わっていくので、気分が落ちてしまう前に見切りをつけてえいやと身を起こす。
準備と始末に手間がかかるのが難点だ。あとはやはり、人にはけっして悟られてはいけない秘密の趣味であるところが。夕食が運ばれて来る前に身繕いして何食わぬ顔をしなければならない。仕事は勿論不足なく行った上でのことだが、どことなく後ろめたいので切り替える必要があって、スイは一つ大きく息を吐いた。
女を抱いたことはある。奉公先の先輩に連れられて花街に行って、経験を積んだ、そんな体験だった。スイにとってはなるほどこんなものかという納得がある程度のことで、その後花街に通い続けることはなかった。
だがこれは違った。
きっかけは仕事で目を通していた書物にちらりとあった、男は尻の穴を使って性感を得ることができ、王侯の閨でもそうした行為は行われてきた……というあっさりとした一文を目にしたことだった。昔から城の中では密やかにそうした楽しみがあって様々な記録にも残っているのはスイも以前から知るところではあったが。その日は何か、どこかに引っかかったのだ。
初めは本当に好奇心だった。噂にも聞いたことがある気もするが、そんなことができるのか。本当に? どんなものだろう。と気になってしまった。子供の時分、肌に冷たく感じる部分があると聞き、ちょっと針で突いて探してみたのと同じ気持ちだった。彼は割に好奇心に素直で、気になることあらば実験を企て、皆が顔を顰めるような珍味ゲテモノを試すこともしばしばある、そういうタイプだったのだ。一回くらいなら、と、そう思った。それで実際に試してしまったのが始まりだった。
本人は胸中常々否定しているが、有体に言えば彼には才能があった。そういう体だったのだろう。初回にして彼は快感を得た。女性を抱いたときより、それまでの自慰より、ずっと気持ちがよかったのだ。
もう一回、もう少し、もうちょっと、もっと……やってみるほどに感覚も掴めてきて、快感が増して、熱中するうちにすっかりハマってしまった。
普段の仕事の段取りが役に立ち、大して無い資料も繋げていって色々と情報を得た。どのように事に及ぶとよいか、姿勢は、指を当てる場所は、道具は。
花街の界隈で張り形を手に入れて使ったのは何度目のことだったか。最初はさすがに指とは違う大きさに苦労したがそれでも得られるものはあり、続けて使ううちに指だけでは物足りないことが多くなった。
かくして一回だけ試すつもりが、趣味として定着してしまってもう一年になる。下準備に腹の中を洗うのも後で油を落とすのも面倒ではあるが慣れてきて、この快楽の前には止める理由にはならなかった。
寝室の隣の浴室で水を浴び服をきちりと着なおしてしまえば、自慰に耽り、ましてや尻を弄っていたとは思われぬ清楚な出で立ちとなる。派手な格好は許されないし趣味でもないので文官の装束である白の長衣に少々の紐飾りのついた上着を羽織る程度だが、城からの支給品は庶民にとっての一張羅ほど質がよい。書庫番であることを示す藍色も彼には似合いの色だった。
尻や腹の内に違和感が残るのは、スイ本人しか知りえない。寝台の上に広げていた布は浴室へと片付けて、髪にも使う油は棚の定位置へ、愛用の張り形も洗って布に包んでその下、部屋の主以外は触れることのないひきだしの内へとしまい込んだ。窓を開けて気のせい程度に籠った空気も入れ替えれば元通りの地味な部屋だ。夕暮れの光が眩しくスイを照らした。
その後いつもどおりの時間に夕食と洗濯済みの寝巻を運んできた書庫付きの使用人はスイの隠し事など思いもよらず、いつもの雑談を交わしながら使った茶器の片づけやちょっとした掃除など、帰宅前の仕事を始めた。
スイもやり始めた頃はその後に人に会うたびドキドキしたものだが、もう既に日常になってしまって、バレていないとほっとすることさえない。淡々としたものだった。食事を一人で平らげたあとは寝るまでの時間潰しの勉強に手を付けた。
来客があったのは腹がこなれてきた頃だ。聞き慣れた声にスイはすぐ、使用人が応対する間に立ち上がって廊下から外を覗いた。
日に焼けた肌と髪の体格のよい男、同僚、と言うと大雑把な括りに過ぎるが、この城に勤める衛士で名をクノギという。年はスイより四つばかり上の彼は城に来てからの親しい友人で、同じく独り身なこともあり非番の日などはよく酒を持ってやってくる。
「よう。暇なら一杯どうかと思ってな。獲ってきた鳥もあるぞ」
「喜んで。盤と札ならどっちがいい?」
退屈な夜の話し相手と肉が一緒にやってきたので、スイは機嫌よく相好を崩して歓迎した。
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