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二つ重ねて一つの秘 二

 応接間など無いので、クノギが訪れるとスイは寝台の横にテーブルを用意して彼を椅子に座らせる。もう一人誰か来るか自身も椅子が欲しければ隣の部屋から拝借してくるが、畏まる必要のない相手で、気を許している友人となれば大体は寝台の端で済ませてしまう。男同士なら、まあこんなものだろうとクノギは思う。だから期待はできなかった。  クノギにも秘密があった。人に言えない秘密は、スイの秘密の趣味よりももう少し長く胸に抱えたものだ。  元から恋愛対象が同性だった彼は、親しくなったこの書庫番をいつからか好いていた。社交界向きではないと本人が笑うちょっとぼんやりした顔のつくりも趣味には合い、仕事に相応に博識で真面目だが親しみやすいところも、案外変わりものなところも好ましく、親しくなってからは年下らしく上手く甘えて懐いてくる感じが嬉しかった。町に繰り出すのが面倒なこともあるが、こうして部屋に来るのも多少下心あってのことだ。  外では見ることのできない緩く寛いだ様子は、言動も表情も、着崩れた服も、片思いの相手としては価値がある。その距離を許されている感覚も友人の扱いだとしても喜ばしい。  そもそも同性。女を連れているのも見たことがない、猥談さえほとんどしない淡白な友人である。迫って関係を壊すことを考えれば、言い出したり誰かに悟られたりするつもりはなかった。だから秘密なのだ。 「あー……」 「ん、また俺の勝ちだな」 「引きが悪い」  絵柄や記号を揃えて勝負する札遊び、負けたほうが小さな酒杯で追加の酒を一杯飲み干す、飲みの席ではよくある遊びの勝敗は偏っていた。  盤戯と違い運の要素が大きいゲームなので実力は二人とも大差ないが、こうして負け続けると一人だけ酔いが深まるので札選びが幾分杜撰になり、さらなる負けが重なりやすい。六連敗のスイが投げ出した札をクノギが笑いながら纏める間に、用意してあった強めの蒸留酒が煽られる。  はーっと溜息を吐き出し口直しの水も煽ったスイは、胡坐をかいていた足を床へと下ろして靴をつっかけた。 「降参か?」 「まだまだ。トイレ行ってくる」  巻き返す気概を見せる言葉にクノギは笑って、賭け事用ではなく味わう為の葡萄酒を飲んだ。  獲ってきた山鳥は調理した使用人にも分けてやったので、取り分が少なく皿は既に空だった。酒だけでは物足りないと、彼は勝手知ったる友人の部屋の棚へと目を向けた。 「何か食べる物ないか?」 「サンザシならある」 「また飴か。塩気を増やしてくれとずっと言ってるのに」 「頭を使うとそっちが要るんだ。塩豆は昨日食べた。酒は出していい」  スイの部屋には大抵甘い物しかない。食事は待っていればやってくるし、酒の肴はクノギが持ってくるからだ。自分で買ってくることもあるが仕事中どうしても欲しくなるものに比べ量が少ないので、やはり消えるのも速いのだった。  廊下へ出て浴室、トイレのあるほうへと遠ざかる足音を聞きながら、クノギも立ち上がり棚に寄った。言っていたとおり、菓子壷と酒の瓶がいくつか並んでいるのは以前からで、許可さえあれば探す必要もなかった。サンザシと蜜を練って固めた飴はずっと置いてある定番で、白い壷に足され続けているのも知っていた。  それはともかく。クノギは最近、気になっていることがあった。この棚に並ぶ他の品のことだ。  彼は大体、十日に一度ほどこうして遊びにくる。昼の茶の時間も含めるともう少し多い。部屋の主が模様替えなどをしないので、窓から見える庭の景色以外は変わり映えしない。  だが、三月ほど前。棚に纏め置かれた少々の食糧や日用品の中、櫛や結い紐と共に並ぶ油の減りが異様に早いことに気がついた。最初にそう思ったときは、まあ零すかなんかしたのだろう……と考えていたのだが。少し気になって、部屋を訪れるたびに何気なく確かめる癖がついてしまった。  するとクノギの感じたとおり、一度二度ならず、中が見えるようになっている硝子瓶の中身は髪を纏めるのに使っているにしては多すぎる量が減っているのだった。先日などは新しい瓶に変わっていて、それもなんと婦人や一家族が普段使いに置いておくような大きめの油瓶になっていた。  ――女か。女、だろうな。……女かあ。――ああ。  そうなっては、考え得るのはそのくらいだ。女に会う為の身繕い、部屋に女が来て使っている、そして色事に。下世話なところまで一気に考えて、クノギは落胆した。自分の抱く好意は伝えるつもりの無いものなのだから何がどうなろうと変わりはないと思っていたしそのうち結婚の話なども出てくることもあろうとは思っていたが、実際そんな相手ができたのかと思うとやはりショックだった。  そして。クノギはただの仕事仲間ではなく、友人である。気づいてそういうことかと考えてひとしきり落ち込んだ後は、スイはいつそれを話してくれるのか、と考えた。交際しているなら友人に紹介してくれてもいいだろう。それともまだ一方的なものなのか、そもそも交際の予定もないものか。ならばまだ?  自分は伝えるつもりも誰かに知られるつもりもないというのに、もし思い違いだったらと考えるとそんな考えが浮いてきたのは、クノギ自身にも意外なことではあったが。ともかく、本人にも、スイをよく知る此処の使用人などにもそれとない探りを入れてみたが、反応はいまひとつだった。相変わらずの暮らしぶりで、女っ気どころか交友関係が広がった様子もない。  当人がいない部屋で溜息を吐いて肩を落として、彼は油瓶を眺めた。今日もやたらと減っている。やはり一人が髪を纏めるにしては使いすぎと見えた。とはいえそれだけだ。他には女物の化粧品も飾りも見かけない。部屋の匂いも変わりない。クノギから自然に話を切り出すには材料が足りなかった。今日も女だの結婚だのの話はできていない。  そうして思いを巡らせながらも今日も大人しく菓子壷と酒を運ぼうと手を上げたクノギは、ふと動きを止めた。腰辺りの高さのひきだしが閉まりきらず隙間ができていることに気がついた。何かが挟まっているのだ。  つい。彼は手の行き先を変えてひきだしを開けた。  普段の彼ならば取り止めていただろう。精々挟まっている物を押し込みすぐに見ぬふりをして閉める、そういう男だった。だが――何か決定的なものを見つけられるかもしれないとの期待が後押ししてしまった。魔が差した。  すぐにスイが戻るだろうと思ったがもう開けてしまった。正装のときに使う香水や鍵などの細々とした物と共に、布に包まれたそれが入っていた。挟まっていたのはまさにその布で、これまでの推測からすると何かの贈答品らしき保管の仕方に、クノギは真っ先にそれを確認してしまった。 「……」  そして折悪く、布が払われたところに軽い足音が戻ってきた。クノギは驚いたままの顔を上げた。  一気に酔いが醒めたスイが立ちつくしていた。酔い醒ましに顔を洗ってきたのが仇となったが、彼も隠し事があるのに慣れきって油断していたのだ。よりにもよって張り形など入れたところをきちりと閉めず、信頼しているとはいえ他人を近づけるなど。  夜の灯りの中でも目立つ白い陶製の張り形を持って見つめ合う二人は滑稽かも知れないが、無論当人たちには衝撃の現場であった。楽しい時間が一転して地獄の様相を呈した。  二人はお互い、友人との関係が終ったと思った。秘密を見られたこと、勝手にひきだしを開け隠しているに違いない物を見てしまったこと。おおごとだった。 「違う!」  先に口を開いたのはスイで、裏返った声で叫んで、詰め寄ろうとして狼狽えた。 「や、違う、それは、……し、りょう。資料。模型的な」 「んなわけあるか」  学者らしさで押しきろうとしたあまりに下手な言い訳にクノギはついつっこんでしまったが、空気は緩まなかった。スイは強張った顔のままにまた声を絞り出した。 「違、その、気になっただけで、」 「……いや悪かった、誰にも、言わん、大丈夫だ」  クノギは勿論、スイが女にこれを使うのだろうと考えていた。予想外の一品ではあって、見てしまった罪悪感と後悔は物凄いが、衛士の宿舎でなら相手によっては笑い飛ばしたり何の気なしに終わらせられるとも思って、どうにかその方向へ持っていけないかと思案し始めていた。  だがスイがあまりに顔色悪く慌てるので、もしやと推測は深刻なほうへ運んだ。男が己の物ではなく代用品を必要とするのはどんなときか。自分にぶら下がっているのだから見目や機能の為に用意する必要はなかろう。  つまり己の物が使い物にならないときではあるまいか。即ち不能ゆえにこんな物がここにあるのでは、と。 「すまない、戻す。ほら座れ! 本当に俺が悪かった。すまない」  とりあえずと雑に布に包みなおして、入っていた場所に戻す。ゴン、とやたら存在感のある音がした。ひきだしは今度はきちりと閉める。  詰められなかった距離をクノギの側から詰めても、まだスイは動けなかった。衝撃が大きく、飲酒していたこともあり今後の出方を考える頭も上手く回らない。札遊びと同じ状況だった。 「……出ていくか?」 「駄目だ、誰かに言うかもしれないじゃないか」  この場合最低限の誠意ある対応は、部屋の主に退去を命じられたら従うくらいだろうとのクノギの問いには、小さく首を横に振る。信用されていないことにクノギは傷ついたが、それ以上に後悔した。  とはいえずっとこの部屋に閉じ込められるわけもないのだが、今のスイは冷静ではない。 「言わんよ。――じゃあ、とりあえず座ろう、な」  ひとまず意に沿うことにして、クノギはやんわり、体を固くして突っ立っている彼に促した。数秒かけ、スイはとぼとぼと寝台に歩み寄り腰を下ろす。クノギは立ったままそれを見届けて、言葉を選んだ。 「薬とか……医者に相談とかはしているのか」  スイの想像に反し、クノギは引くでも揶揄するでもなく真面目かつ親身に問いかける。その様もさることながら、内容が予想外で、衝撃をひとつ追加されて、スイは話のすれ違いに気づかず愕然とした。 「……今、世間一般ではそうするものなのか」  は? と聞き返しそうになったのを、クノギは寸でで呑みこんだ。今はこんなだが、好いた相手は愚鈍な男ではない。彼以上に社交の場に出る機会があり、年老いた貴族などが精力を取り戻したいとあれこれ試してみるのも一度くらいは見聞きしているに違いないのに。医学書の類も読み物として好きだとよく言っていて、城の文官たちからはたまに医者にかかる前の相談を受けているくらいなのに。 「治せるなら治したいだろう? 相手がいるなら尚更」 「相手?」  醒めたようで酔っているのかと確認に顔を覗きながら言ったクノギに対し、スイは心底不思議そうに眉を寄せ呟いた。スイに相手――恋人だの愛人だのは事実存在しない。クノギも、どうやらそういうことらしいと気がついた。  ではどういうことか、との混乱は、案外に早く収束した。何故なら彼は張り形の近くにあった物の変化を知っていて、性的嗜好ゆえにそちらの知識もあったので。  どっ、と彼の脈が打った。  まさか、と言いかけたのを堪えて、クノギはよくよく気遣って言葉を選ぶ。 「ま……――自分に使った?」  端的な問いかけに、再び数秒の沈黙が訪れる。スイの元来聡明な頭は墓穴を掘ったことを察した。  女に使う物だと言い訳ができたのだ。それもどうかとは思うがきっと秘密がバレるよりはましだった。悟って、直後羞恥の追い打ちで死にたくなった。  絶句して答えられなかったがクノギには十分な答えだった。青白かった顔が見る間に赤くなるのを見届ければ。 「いや大丈夫だそういうのもけっこういる! 病気でもない! ただの――あー、趣味とか癖だ!」 「忘れろ! 記憶が抜けるまで飲んで出てけ!」 「大丈夫だって! よくある! 本当に!」  不能ではないのならと前言を撤回し慰めるクノギと、縋りつくようにテーブルに置かれた酒瓶を掴んで喚くスイと、二人共の大声で部屋は珍しく騒々しいが、使用人もとうに炊事場から撤収してしまっていて、平和な城の歩哨はまばらで誰も聞きつけはしなかった。  相手はいないのかあ、そうかあ。などと勝手に安心してしまって、クノギは少し気が楽に、大きくなった。 「俺も昔使ったことがあるし、うん、俺の知り合いは結構使ってると思うし」  酒を瓶ごと突きつけようとするのを制しつつ続ける。勿論、同僚の衛士たちの話ではなく、そういう趣味の知り合いだから、なのだが。そんなことには気づけぬスイの手が少し緩んだ。 「……貴方も?」 「……ん、ああ。……数えるほどだが。俺はそっちは向かんようだったから」  微妙に訝しげな顔にクノギは隙を見て――決心した。彼のことを知ってしまったのだし、この際、言うなら今だ。交換にはならないだろうが、少しは気が軽くなる。お互いに。 「あー……俺は、なんだ、……挿れる側なんだ、そっちのほうがよかった」  「……へえ……」  なるべくあっさりとした言葉を選んだ。とやかく説明してスイのように墓穴を掘るのは頂けない。引かれるのも恐ろしい。  緊張して反応を待つクノギに対し、スイは少々だけ驚いて、直後、納得ではなく何か思案するような声で相槌打った。  間を誤魔化すように、手にした酒を飲ませるのではなく自分で飲んで、酔いを取り戻そうとして。否、先程のことで一度吹っ飛んだとはいえ、まだ酒は効いていたのかもしれない。  クノギにとってはまったく予想から外れた反応であったが。 「……実は気になっていたことがあって、うん」  ――秘密というものは当然隠したいもので知られたくないものだが、同時に共有してみたいものでもある。理解のある人間、それも親しい人ならばよい。  そしてスイの秘密の趣味は、相手がいても試せるのだ。  表情からは恥じらいが完全に失せたわけではなかったが、瞳には同時にこのことの発端である趣味を試し始めたときと同じ好奇心が宿っていた。クノギの惚れた男はそう、案外変わり者で押しが強い。 「そういうことならどうだろう、一回……」

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