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名づけ重ねどただ一人 二

 城から一番近い町ガウシは林業を営む人々の暮らしの為に築かれた町だ。生活に必要な商店や飲食店は勿論、旅人や城仕えの人々の為の娯楽も寄せ集めになっている。西側の一角がいわゆる花街で、その近隣がそうした店の客引きや同伴も多い酒場や宿屋が連なっている猥雑な地帯だった。日の長い夏の今、賑わいは一段と増している。  その中でもクノギの行きつけは青い幟を立てた比較的に静かな飲み屋で――窓辺の、背の高い椅子が並ぶテーブルは男同士の相手を探す客の席として密かに知られている。  同僚の病欠を埋めた代わりの急な非番だったこともあり、スイと会わず街に出てきた夜。そこでクノギは酒を傾けながら管を巻いていた。話し相手は黒髪を高く結いあげた、細く引き締まった長身の男だ。真っ青な婦人物の上着を羽織って人目を引く、シャツの襟元を大きく広げた男娼だった。 「まあ確かに、それ他に丁度いいマラがあったらそれでもいいかもしれないですね」  衛士らしく厳ついところのあるクノギとは違い中性的なはっきりとした顔立ちの美人だが、度数の高い蒸留酒をくいくいと傾けながらズバッと言いきる。品も色気もない明け透けな口振りは話題の所為だ。姿勢を崩してテーブルにもたれ気味に杯を見つめるクノギを見て、ふっふと息を弾ませて笑う。 「……そういう危機感は持ったほうがいいって思いますけど。でも他にぽんぽん相手を作るような人ではないんでしょ?」 「少なくともこういう場所は来ないな。出不精な奴だから」 「ならまずは安心ですし。他の人よりはずっと近いじゃないですか」  二人は売り手買い手ではなく――そうだったことも過去にはあるが――友人の間柄で、今日は相談相手でもあった。男娼の名をニビという。  話題は彼ではなく、クノギの側。もう十回は体を重ねた友人について、だ。  勿論それが城仕えの書庫番であることは伏しているが、クノギもそろそろ誰かに相談せずにはおれなかったのだ。成り行きで続いているこの関係、このままでよいのか。  その前に、この関係はなんなのか、と。  クノギは此処で娼婦や男娼を買ったこともあるし、なかなか公にはできない同性相手の嗜好の都合、日陰者同士と体だけの関係に甘えたこともあった。今はその知識と経験が妙なかたちで役立ってしまっているわけだが、さておき、そうした関係に否定的にはなれない。だがスイに関しては簡単には割り切れないし分からない。  クノギにとっては友人で想い人。スイの側はそうした肉体関係には疎い。どういう位置づけかクノギは計りかね、スイがどう思っているかも予想がつかなかった。  これまで幾人もと関係があるだけに、尻での行為にハマって突っ込むものが欲しいだけの者だって見てきたのがまた不安だ。 「でももし確認してしれっと張り形の代わりと言われてしまったら立ち直れないだろ、やっぱり……」  だらだらと経緯を話し終えてとっくに空になっている酒杯を握りしめ、クノギは呻いた。スイは非道ではないが、好奇心で動いているときは特に、無垢に無邪気にあっさりとそういうことを言いそうなのだ。まさかとは思うが、一度想像してしまうと更に踏ん切りがつかなかった。 「元々ご友人なんでしょ? それ以下にはなりませんって。そういうオトモダチと張り形の違いって、難しいからご本人も分かってない気はしますが。とりあえずご自分も楽しんでおけばいいんです」  ニビは声を立てて笑って、クノギとは対照的に軽く言いきった。ばん、と丸まった衛士の背中を叩いてやって、背筋が伸びたのにまた笑う。 「別に、なんて関係だって決めなきゃいけないわけじゃないんだし」 「まあ、なあ。……そうだな」 「少なくとも嫌いじゃないし、もうヤることヤってるし、ソッチの相性もイイみたいだし。後はナシじゃいられないようにしてしまえばいいんじゃないですか。技術磨くのに僕とシます? どっちでも付き合いますけど?」  冗談混じりに軽く指折り数えるニビの姿は、顔といい体といい畳む指先といい見栄えがして、紡ぐ声も耳に心地よい。明るく気安く、この辺りでは人気の男娼だ。必死に客を探さず、こうして酒に付き合うだけの夜があっても生活ができるほどに。寝る場所がないと言えば家に上げてくれる客が何人かいるとも言っていた。  だがその彼からお誘いがかかってもどことなく靡かない自分を、クノギは分かっていた。スイを抱いてから欲が出た。抱くなら彼がよい。 「今日はする気にならん。枯れたんじゃないぞ、最近暇が合えばあれと付き合ってるから回数は増えた」  応じる断りの言葉に冗談が続いて普段の調子が戻ったと見えるクノギに、ニビは目を細めて首を傾いだ。 「その人と恋人になりたい?」 「分からん。――勘定、こっちのも」  きっぱりと軽く言いきってクノギは杯を置いた。財布を取り出し二人分の飲み代を取り出す彼を引き留めることなく、男娼は手を振った。 「また飲みに誘ってください。次は上手くいった話を聞かせてもらえるよう祈ってます」 「人に話したら少しは腑に落ちた。付き合ってくれてありがとよ。もう一杯飲んでけ」 「さっすが男前ぇ」  ニビ自身を買うときよりは安いが相談に乗ってもらった分くらいはともう一杯分の代金を上乗せして、聞こえた歓声に笑いながらクノギは外に出る。  一杯二杯飲んだ程度ではまだ夜は早く、どこもかしこも灯りを点した歓楽街は明るい。身を寄せ合う男女や客引きも沢山いて一人きりの身を煽ってくるようだったが、話して多少整理のついた今のクノギには堪えないただの風景だった。  友人以下にはならない。確かにそうだ。間違ったことをして絶交でも言い渡されない限りは、張り形の代わりだとしても張り形兼友人ではいられるはずだ。馬鹿馬鹿しい感じもするが大真面目だ。微妙な寂しさはよい友人でと思ったときと変わりがない。  元より恋仲など望むべくもないと思っていたのだ。よい友人でありたい、それでよいと。ならば割り切って、この関係も込みで最良になればよかろう。愛人……というとまた大仰だが。  そんな風に考えて。折角街まで出てきたのだから何か美味いものでも食べて帰るかと、クノギは馴染みの店のほうへと少し軽くなった足を向けた。 「スイ?」 「ぅわ、……あれ、貴方今日休みだったのか」 「お前がこっちに来るのは珍しいな」 「ちょっと買い物に」  二人がばったりと出くわしたのは、それぞれ歓楽街を背に広場に出てきたところでだった。  屋台が並んで食べ物の匂いもする中、さてと店の方向に身を向けたクノギの視界に見慣れた友人の姿があった。ついさっきまでの話題のこともあり、まさかそういう――誰か体の相手を探す目的で来たのではとどきりとしたが。  それでも、他に誰か連れていないのかとまずクノギが確認したのは、男娼などではなく護衛の姿だった。どちらにせよ供や連れの姿はなく、スイは一人だった。呆れたクノギの眉が寄る。 「……お前な、いくら治安がいいからって一人で来るなよ」 「ちゃんと車で来たよ。供なんてもったいないし……」  この国で危ないのは貧民街や街道の移動くらいで、近頃は事件の話は聞かないのは確かだが。着衣や持ち物の質などは元より、夜遊びに来るにも外出となればきちりと髪を結い纏めてくるスイの育ちの良さはなんとも不安だった。  こんな場所には不釣り合いな良家の男児らしい装いも久々に見ると新鮮でよい。とか、先程まで会っていた男娼とは違い間違いなく地味な作りだが、自分にとってよく見えるのはこっちである事実とか。部屋では割とだらしないのに、という部分もすべて胸中に押し込めて。 「用が済んでんなら送るが……、……」  他に誰も居ないことを確かめた後はさりげなくその姿を堪能していたクノギは、スイが懐に抱えた包みに気がついた。いつも使っている小柄の灰色の布を青い紐で括る荷包み。財布やちり紙にしては膨らんでいて重たげだ。何か持ってきているか、買ったのか。 「……荷物、持つか」 「っいいや、大丈夫」  クノギの視線がそこに落ちたと気づいて持つ腕が緊張する。半分ほどカマをかけるつもりで言うと拒否があまりにも早く動揺も窺えた。  ――隠し事が下手すぎるのでは。  今度こそ誰か想い人の女性でもできたのではと、クノギも一瞬は考えてみたが。背後に見えるのは道一本違うが、クノギが居たのと似た界隈に続く路地だ。化粧品やら宝飾品やらを扱う店となると方角から異なる。大体、スイのような地位の人間が行きそうな品のよい店はほとんど閉まっている時間だし、そういう場所なら絶対に供が必要だ。なので違う。  では何を隠したいのか。 「何買いに来たんだ?」 「……秘密」  仕事柄一人でいることも多く出不精なスイは友達が少ないので、珍しい酒や上等の筆記具はたまた興味深い話など、種類問わず何か手に入れるとクノギとの話題に上るのが常だ。先日も、城仕えの試験に合格できるくらいの頭はある、程度のクノギに、新しく入った詩歌の専門書のことなどあれこれ話して見せてきたくらいだ。内容がよく分からなくても聞いてくれるだけでよいらしい。上機嫌で見ていて楽しいのでクノギも悪く思ったことはなかったが。  そんなスイが隠していたものなど、あのひきだしの中くらいだ。ならその手だろう。と考えたクノギは更にカマをかけることにした。 「……今度行ったとき見せてくれよ、どんなの買ったのか」  分かった風に頷いて小声で言う。え、と動揺を隠せないスイを此処では深追いしない。関係が変わってしまったあの日のことを思えば、往来で妙なことを口走らないとも限らない。ので、クノギはすぐに話の向きを変えてやった。 「飯がまだなら焼き串でも食うか?」 「……買ってくれるのか?」 「仕方ねえな……」  これ以上道の真ん中で立ち話もと向こうの屋台を示すと、荷物を抱え直して少し不満そうに言う。機嫌を損ねては堪らないとばかりにクノギが肩を竦めるとすぐに笑みが表れた。 「折角だから酒も欲しいな。外で買い食いなんて久しぶりだ」  友人は少ないが。社交性がないように見え、案外スイは強かだ。厚かましさより人懐こさが勝って見えるのは惚れた弱みか天性のものか、クノギにはもう区別がつかない。 「酒はお前が買ってこい。……あと物盗りに気をつけろよ」 「分かってるって。買ったらあの辺で」 「おー」  贔屓目の可愛らしさからではなく、客観的に見ても狙われそうな姿からの注意も先程のやりとりのせいで揶揄めいて、スイは拗ねた調子で包みを抱え直した。  どうにも浮いた印象は拭えないが、スイも庶民の暮らしにはそれなりの馴染みがある。手分けしての晩酌の買い出しに時間はかからず、問題も起きず、サンザシ酒の瓶を手にして戻るスイを、クノギは皿に盛るほどの量になった串焼きを置いて迎えた。 「そんなに買ったのか?」  鶏肉を焙った定番の他に、スイの好きな挽肉の練り物や根菜の串も載っている。焼き立てで湯気も匂いも漂うそれに、スイは分かりやすく顔を綻ばせた。 「俺の飯もまだだったからな。食え食え」 「ご馳走様。貴方となら酔っても構わないし、得したな」  立ち食いの為に置かれた木箱の傍ら、渡した瓶に自分の瓶を触れ合わせて乾杯の音を立てるスイに、クノギは眉を下げた。いつもと違う外での酒盛りではこの後には期待ができないが――全面に寄せられる信頼に疼くものもあったが、勿論嬉しくもあった。 「酔うなよ。車に負ぶってくのは俺も恥ずかしい」 「酔い潰れるとは言ってない。……そういえば貴方は何をしに出てきたんだ? 一人なんだろう?」 「ふらっと飲みに来ただけだよ」  ニビの誘いに乗らずこっちに来てよかったと、彼は心底思った。

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