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言えない一つ聞けない一つ 四

 南の城の書庫は書庫番が一人、書庫番付きの使用人が一人だけだ。書庫番は学者一族ラ家の三男。使用人は――ガウシの至って普通の町民から城に出仕した、釣り目と束ねてなおふんわりとした癖毛が少し目立つ、将来はハゲが怖いなと思っている男だった。  名をカナイという、来月二十五になる若者だ。  書庫番付きに、と内示が下ったときにはまだ二十歳だった。当時、彼はその配属にかなり気を揉んだ。何せ書庫といえば気難しい老爺二人が陣取っていると有名だった。少し前にその老爺たちから仕事を継ぐ為に年頃の変わらぬ若者が都からやってきたとも聞いていたが、その辺りはほとんど情報が入ってこない。ただ一つ、学問で大成した王都のラ家なる一族の者であること以外は。  ――そんなの絶対、爺どもに負けず劣らず気難しい人に決まってるじゃあないか。あーやだやだ。しかも仕事が多くないからと自分一人。あー。  それが使用人カナイの、最初の書庫への印象だった。 「スイ殿、この菓子は好みであろ」 「スイ殿、先の話の続きであるがな。あれは……」  しかし実態、カナイが書庫に隣接した書庫番たちの仕事部屋で見た揃いの藍色の上着の三人は、ほとんど爺と孫だった。気難しいと聞いてきた爺さん二人が、孫のように新入りの青年を可愛がっている図だ。  新しく書庫にやってきたラ・スイという青年は末子であるゆえか、それともひとえに天性か、特に年上からは目をかけられやすいタイプだったのだ。  また仕事を覚えるのが異様に早く、それがまた老爺たちの好感を買った。これがもっと若く歳の近い身であれば嫉妬も呼んだかも知れぬほどだったのだが、幸い老いた書庫番たちはその優れた若者の先生役をできることを喜んだ。  そしてスイも親兄弟や教師など物を教えてくれる賢い人々が大好きであったので、彼らにすぐ懐いた。三人での仕事は楽しかった。偶には資料の解釈についてなど意見が食い違ってあれこれ言い合うこともあったが、それはむしろ仕事の張り合いで、そんな日はむしろ三人とも満足気にしているくらいだった。  そのようにスイが可愛がられていたお陰で、同年代のカナイもついでのように可愛がる流れができた。自身が書庫に馴染めたのはスイのお陰であると、カナイは確信している。  スイが居たから老爺たちの態度は最初から割に柔らかく、評価もかなり甘めにしてもらえた。自分一人では前任者たちの茶や菓子の好みを把握するにも苦労しただろうが、スイが彼らとよく話していた為に、カナイはそうした情報も簡単に手に入れることができて、取り入る布石もできたのだ。  そして。長い付き合いになるだろう新任の書庫番のほう、スイ自身はまったく気難しくなかった。  多少――結構、変わったところはあるがそこも妙に放っておけない雰囲気となっており、やはり老爺に気に入られるだけあって愛想はよく、歳の近いカナイの存在も素直に喜んで先輩たちが秘蔵の酒を分けようというときは当たり前にカナイも呼び寄せた。皆、茶の時間はカナイには意味の分からない話をしていることが多かったが、誰一人それを馬鹿にした素振りはなかった。  家は屋敷の類でよい暮らしはしているようだが皆貴族ではなく学者であり、あまり従者の手を借りずに諸々のことをやるので、着替えや部屋の片付けはほとんど当人がやっていて手もかからなかった。カナイは正直前の部署より楽にして、好きに仕事を回せるようになった。仕事中には一人でいるのも苦にならない彼にとっては何一つ不満がない職場となった。  というわけでカナイもまた、前任の老爺たちやスイのことが好きだ。このままずっと書庫番付きでよいと本気で思っている。現在は二人きり、書庫番自体は一人きりでスイが大変ではないかと心配することはあれど、最初の頃と同じくスイの仕事の速度は異様で、滞る気配がないので今のところは上に嘆願しなくてもよさそうだった。  そんな親しい書庫番殿が来客としてやってきたお兄様に小言を頂戴していたのは、半月ほど前のことである。 「そういえば昨日、街で一緒に飲んだ人にも好きな人についてを聞いてみたんだけどさ」 「街でも聞いてきたんですか? ……どなたか教えてくれました?」  友人が少ない、のほうはさして気にしていないようだが見合いの話はさすがに無視できない書庫番の目下の悩みはそれだとは当時現場に居合わせたカナイもとうに知っていた。彼は一番にあれこれと訊かれ、初恋は優しくしてくれた近所のお姉さんで、今の恋人は笑顔が素敵な女性だったので……などとありがちな答えを述べてその場を凌いだものだった。城での茶話のみならず街で聞き込みもどきまでしてきたと聞いてはさすがに驚いた。久々にスイの変わり者ぶりと勉強好きらしさを見て感心するやら、呆れるやらだ。 「あんまりだったけど。でも他のことは色々と教えてくれたから参考になった」 「他のこと。それもええと、恋愛絡みの?」  まとまった休みがとれる前夜にと設けた酒の席は書庫の二人きり。後でクノギが来るかもと聞いてカナイはつまみを多めに作って持ってきはしたが、中盤に差し掛かってもその気配はない。  とはいえ二人ともまだ若い男なので、料理の処理は心配なかった。主菜の肉詰めの焼きパンはスイが絶賛してよく食べたし、卵の炒め物、茹でた野菜に添えたソースもよい味にできて酒が進む。久々の機会にわざわざ街で調達してきた麦の蒸留酒は好みの味でもう半分以上飲んでいた。  酒が進んで体も場も温まってきて、二人ともじんわりと酔いの気配がある。 「うん。――好意は目を見ると分かるとか、匂いが合う相手は相性もいいとか」 「それは……どことなく色気のある話ですねえ。どなたに聞いてきたんですか、もう」  頷いて言うスイの言葉に瞬いて。大方そういう女性に当たりをつけて話し相手としたのだろうと想像して笑いながらカナイは肩を竦めたが、スイは割に真面目だ。 「目は、好きな相手を見るときは目力が増すからと言うのだけど――医学書によると人の目は、興奮すると瞳が大きくなるんだ。もしかしたらそういうことかもと思えば道理ではある。だからそういう商売をする女性は、男に好意があると見せかける為に目の上のところに濃く化粧をするんだそうだ」  実際にはあの後、ニビに聞いた話だ。男の性感帯や喜ばせ方など男娼らしい話も披露した後に、好意の確認に役立ちそうな話をと絞り出してくれたのだ。  結局は目より何より触れてみろ! と最終的にはやはり男娼らしい物言いではあったが。実用性などはさておき、スイにとっては思考の種として単純に楽しめたのは今の会話に繋がるとおりだ。 「へえ。ああいう人たちもやっぱり特別に努力をしてるんですねえ」  医学書などを引き合いに出されても、これくらい噛み砕かれて日常にも近しい話題にしてもらえばカナイにとっても難しい話ではない。むしろもう数年書庫でスイの話に付き合っているので、難易度は低いほうだといえた。  スイはまだ何か、実地はともかく資料で覚えた知識は豊富な化粧の変遷か娼婦の歴史でも語り出しそうな顔をしていたが。カナイはふと思いついて話を少し戻した。 「そういえばクノギ殿はなんと答えたんです?」 「え?」  カナイにとっては以前から見かける衛士であったクノギだが、書庫番付きになってからはよく来るお客さんという位置づけだ。茶や菓子、ついでに酒やつまみの好みも覚えたし、逆に何か差し入れなどを貰うこともある。友人と言ってもよいかもしれない。  ただそれ以前に、客であるということは書庫番スイの親しい友人であるということだ。  城仕えなのに交友が狭いと兄に小言を受けたスイの、数少ない、かつ、交流の頻度の高い友人がクノギであることは、使用人の目からして間違いない。また形式だけではなく実際に仲がよいのも見てとれていた。 「恋愛について。クノギ殿も浮いた話は別に聞きませんが、衛士の班長ですし、祭の評判もあって近頃はよく女性の話題に上がっているとか」  当然この件についてもいち早く話をして相談や雑談をしているだろうとカナイは思っていた。そして本人には悪いが、居ない間に彼を肴にこそこそと盛り上がってみるのも楽しい時間だろうと思っての問いだったのだが。 「あー……なんか、微妙な空気になったら嫌で聞いていない……」  スイの反応は鈍かった。カナイは料理をよそっていた手を止め、酔いを跳ね飛ばして瞬時に返答を考える。 「……おやそうなんですか。クノギ殿ももしや何か悩んでいたりするかも知れませんね……だったら尚更、今日いらっしゃらないのは残念ですが。折角憂いも掃き出せる美味い酒を見つけたのに。まあ居ない以上は、我々で飲むしかないでしょうが」  訊ねながらも返答は待たず、別の話を切り出す。妙な詮索はしないのもこういうところで務めるには大切なことだ。  料理を手際よくお互いの皿に載せた後は、スイの杯に減った酒を注いでさあと笑顔で促す。 「酒もそうだが、料理もとても美味しい。勿体無い」 「はは、光栄です」  気を利かせた使用人に合わせて取り繕って、笑みを作って本心から褒めたスイは注がれた酒を多めに胃の腑へと流し込んだ。  クノギはと聞かれたときの言い訳はちゃんと考えていたつもりが、女性の話題にと意外なことを聞いてショックを受けて曖昧な物言いをしてしまった。確かに自身より年上の男、しかも婦女からも人気のある衛士の仕事に就いているのだから、そのあたりも考えなければならなかったと思いなおす。  少なからずのショックを受けた時点で、さらには考えようとしている時点で、そもそも確かめたかったことの答えは出ているようなものではあったが――経験不足、比較する友人さえこれまで少なかったことも祟って、鈍感な書庫番はまだそれには気がつかないのだ。  勿論昨夜の会話以来消沈している衛士のことも知らず。書庫の二人は楽しい夜を満喫したのだった。

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