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折り重なって皺になる 三
「クノギ。……クノギ」
「――ん、なんだ」
空は曇っていて風が冷たい。日没後に交代になる門番の立ち仕事、相方は慣れた同期で、特別な行事や来客の予定は一切ない。多少気は緩む仕事のはずだった。のだが。
「なんかあったかお前。顔すげー険しいぞ。これから陛下でもいらっしゃるのかってくらい険しい。怖え」
あるところで門の逆側に立つ同期からかかった声はそんなもので、はたとして、一応自分でも辺りに人影や車の影が無いのを確かめてから、クノギは己の顔へと手を当てた。
「……悪い、気をつける」
鏡などは無いので当人には確認しづらかったが、クノギの眉間には力が入り、口元も必要以上にきつく結ばれていた。衛士の男が制服を着込み槍を持ってそうしているものだからなかなかに迫力が出ている。
先程通した荷運びがやたらと恐縮していたはずだとクノギは納得した。言われてみれば食いしばり気味なのかどことなく顎のあたりも強張って痛いような感じさえする。
昼の茶の時間にスイに会って、戻ってきての仕事だった。
長居はしなかったし、無論触れてもいなかった。そうするとどうしても意識を逃す術が無く、友人らしくと思うと逆に以前のように会話が弾まないように思える。今日などは書庫を出て一人になったところで暗澹として、もしやそういう流れに持っていきすぎて、体を重ねないと上手く交流できなくなってきているのではとまで思ったほどだ。
「いや悪いとかじゃなくてさ。さすがに何かあったろ、それ。最近大体そんな調子で元気ねえし」
気遣う同僚にクノギは曖昧に笑った。さすがにここで愚痴――どころか恋愛相談などできないし、できる場所だったとしてすぐには言葉が出てこなかった。同性同士というのは、叶おうが叶うまいがいつも面倒臭いのだ。
「今晩なら時間空くだろ。予定ないなら部屋ででも飲もう」
黙り込むクノギに、話せないことならばそれでよいから鬱憤晴らしをしようと、そういう提案がある。自分は友人に恵まれているなとクノギは思った。
スイだってよい友人だった。今だってそうだ。共に過ごしていて楽しい大好きな友人で、たまたまそれが恋に転じてしまっただけ。それなのに自分ときたらとまた落ち込み眉間に皺が寄りそうなのを、クノギは己の頬を叩いて制した。同時に前を向きなおして、仕事に戻ろうと合図をする。丁度、誰か戻ってきたのが見えていた。
「おう。いい酒開けてくれ」
「それはちょっと用意できねえけど!」
兵舎にある衛士の部屋は書庫番の居室の半分の広さもない。寝台と机と椅子、荷物入れが押し込むように並べてあるだけだ。家庭を持てば皆出ていってしまい、精々寝泊りに使うだけになるのであまり金をかけていないのだ。幸いなのは一人一部屋であることで、大昔に凄まじい揉め事が起きたが為に建て替えの後はこうなったという。
そんな窮屈な自室での、ひっそりとした酒盛り。クノギは同僚と共に塩豆をボリボリと齧りながら安酒を呷っていた。
自分から相談らしい相談はできず、酔いが回るまでは主に同期のほうがが最近あった面白い話などして付き合ってくれていたのだが。
「それでさ、あれか、書庫番殿と何かあったか?」
「なん、で」
不意を突かれて噎せる。クノギがスイに好意を寄せていることなどは勿論彼には知られていないはずだった。男が好きなこともスイと体の関係があることも、どれを一つとっても周囲にバレたとなっては一大事どころではない。驚きと動揺に咳き込んだクノギに、むしろ同僚のほうが慌てた。
「いや昼休憩のときとか居ないの、書庫に遊びに行ってんだろ? 帰ってくると元気ないからそうかと」
口振りに下世話な詮索の色はなく――別に関係や想いが知れているわけではない、あくまで友人としての話だったと気がついて、クノギは俄かに安心した。ただでさえスイのことで気が重いのに、これ以上問題は抱えられないと思う。
差し出された水を受け取って、痛む喉を潤す。はあと溜息吐いて、下手に誤魔化すのも怪しいかと判じて肯定した。
「まあ……まあそうだけど、何かあったってわけじゃなくてなんと言うか……」
「分かる分かる、結婚するってなると男も色々あるんだって。付き合い悪くなったり子供とか色々考えたり……」
「は!?」
が、彼が具体的にどういう悩みだと述べるまでもなく同調する言葉の中にとんでもない単語が紛れていた。今度は完全に晴天の霹靂で、反芻しても先程のような早とちりの要素はない。
「……結婚? スイが?」
きょとんとした同期に、クノギは震える声を絞り出した。
「えっ聞いてないのか」
またも言った側まで驚くことになった。おかしいなと頭を掻く。
「この前来たご兄弟が縁談を持ちこんだから……恋愛相談して回ってるんだって……文官は今その噂で持ちきりだって話なんだが」
「いや何も……」
――待て。ヨカ殿にってことなら、詩会のときか? もう一ヶ月前だぞ。何も、何一つ聞いていない。すぐ後にも、何度も、今日の昼だって会ったのに。
クノギの衝撃たるや足元が崩れたかのそれだった。
無論今の結婚がどうのというのは、巡り巡って尾ひれがついて正体を失くした噂だった。普段ならば何かの間違いではと親しい友人の立場で一蹴することもできるクノギだったが、今は否定も笑い飛ばすこともできなかった。逆に、もしやとよくない連想が捗る。
話してくれなかったのは下手に体の関係があるがゆえ。縁談が来て、それで練習にと思って花街で女を買ったのだろうか。あり得る。スイならある。などと。
親しい友人であるだけにかなり良い線を行った推測ではあったが、絶妙にずれた。結婚、というからには女性絡みだと思い込んで――それなら自分が並び立つことはないと落胆する。
そもそも昔から覚悟していたことではある。恋愛には疎くとも、良家の子息であるからにはそういう流れで結婚してまったく手が届かない存在になることは簡単に予想できた。無論そのときもその後も友人として傍にいて、助けていければと思っていた。
以前は。
――欲が出た所為で失敗した。他人との成就を助けたくなくなってしまうのはともかく、向こうから話をしてもらうことさえできないなんて。
「うーんまあ、お前が聞いてないってんなら、何かの間違いなのかな……文官の噂話もけっこう大袈裟らしいからな。ちゃんと本人に聞いたほうがよさそうだな。でもなんか話しづらい感じ?」
「うん……」
「いやそんなへこむなって、ほら」
冷静だった同僚とは違い、クノギは半端な心当たりがあるだけに完全に陥った。隣からかけられる言葉の半分も受け取れなかった。ただ硬い顔をして注がれるままに酒を飲んだ。
飲んだがまったく酔えなかった。同僚が潰れても一人で飲み続けて、油が切れて灯りが絶えたところで何もかもを放り出して、彼はばたりと寝台に倒れ込んだ。
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