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折り重なって皺になる 二
たっぷりと入る大きなポットに湯をかけ温めついで、ポットと湯沸しで交互に数度湯を移して温度を調節する。茶葉を茶漉しに掬いいれ、少し湯をかけ気持ち蒸らしてから改めて注ぎ満たす。その後、茶葉に合わせて適宜抽出を待つ。よい香りが漂ってくるのを感じながら待っている時間はスイは昔から嫌いではなかったが。今日は鼻歌でも零れそうな心地だ。
スイはお坊ちゃんだが、貴族ではなく学者の息子ゆえ、調理はともかく配膳や片付け、そして茶くらいであれば並の用意ができる。書庫では使用人が用意した美味しいお茶が飲めると任せ気味だが、自分で用意し客などに振る舞うこともあった。
近頃は気分転換と言い張って手ずから淹れることが増えた。カナイは内心で、仲がよろしいことだなあ、などとちょっと生暖かく見守っている。
おそらくクノギに何か言われて張り切っているのだろうと、使用人カナイは考えていた。 自分で茶を淹れると言うのは別にクノギが客のときには限らないのだが――茶菓子に特に言いつける物が近頃増えたからだ。
薄荷やシナモンを使った菓子、特に砂糖菓子などの歯ごたえのよい物。
普段から割と用意する機会の多いそれはあの衛士の好みだ。部屋付きの使用人たるものそれくらいは分かる。湿気やすいのでそうそう買いだめはできないが、来そうだな、と思えばあたかも偶然であるかのようにそれを出すのが部屋付きの手腕というものだ。兄君には友人については心配ないと伝えてあげたいものだと、カナイはひっそり微笑ましく、心得ついでに相性の良い茶を買い出しに頼んでいた。
花にも似た爽やかな香がふんわりとテーブルの周りも満たした頃、扉を叩く音に、スイは時間潰しに文字を追っていた目を外して早々と書類を片づけ、上機嫌にポットへと向き直った。
クノギを案内したカナイが湯につけて温めていた茶杯を並べて、スイが茶を注ぐ間に菓子を出す。一杯貰った彼は、自分は仕事を片づけながら頂くのでごゆっくりと告げて奥へと去り、今日の茶の時間は一応二人きりとなった。
漂う茶の香り、小皿に載せて供される棒状に焼き上げた硬い歯触りの焼き菓子――シナモンの糖衣がけ、穏やかな茶会の風景に、書庫に入る前に張り詰めていた気が幾分抜けてクノギは溜息を零した。
張り詰めている原因も目の前に居るには居るのだが。
「劇の題材になっている物語を読み返しているんだけど、隣国のものだと慣用句にも違いがあって……」
などと軽い――ようなそうでもないような話題を、ただ心地良い声音、聞きやすい調子で振る。
楽しそうでなにより、と以前とも違わぬことを思いながら、クノギは上手く味の出ている上等の青茶を含んだ。ほうと漏れる息は先よりも温い。
「貴方やっぱり最近顔が疲れているな」
ふと、スイは眉を下げて首を傾いだ。実は好きな顔だとは先日知った。――とは勿論、本人には悪いので言わないのだが。
微妙に顔色が悪く眠たげだと指摘される、疲労の心当たりはクノギ自身にも勿論あった。スイのことでショックを受けて悩んで、お陰で睡眠不足でもある。
「……そうか? まあ祭以来、皆中皆中でやたら仕事を振られるからな、多少は重いのかも知れん」
それも本当のことではあった。期待半分やっかみ半分、仕事も多ければ、後輩たちからかけられる声も多くなった。弓が上手くなりたいという若い衛士に稽古をつけてやったりもする。今現在の精度は正直集中力と共に落ちていて、元から達人級というわけでもなかったが落胆することもある。
「少し寝るか?」
昼休憩はまだ時間があるだろうと、スイが尻の下にしている布団を叩いた。まだ使用人が居る時間とあって、いつもの用意は勿論なく、そういった提案でもなかった。
気が緩んで思考も幾分鈍っているクノギは、一瞬遅れてそれに思い至った。その間に瞳の熱を確かめる夜と同じ時間が挟まり、今度はスイのほうが気がついて視線を逸らして声を小さくする。
「いや普通の意味で……というか来てくれるのは嬉しいが、無理にこっちまで来なくていいんだ。詰め所に居たほうが長く休めるだろ」
「分かってるよ馬鹿。――向こうにいるよりこっちのほうが息が抜けるからな」
同じく使用人の存在を気遣って小声にする余裕はどうにかあった。奥の炊事場で残り湯の始末ついでに掃除をしているカナイは二人の意味深になる会話にはまったく気がつかなかった。
体を繋げることばかり考えているようではないかと勘違いしかけた自分も呪って、クノギは菓子を齧り再び茶を含む。
息が抜ける、のも少し前までは本当だったのだが、今はこうして穏やかな気持ちが崩れることも多く、嘘を吐いたようで重ねて心苦しい。
「ん、美味い」
どうにか口から出た簡素な感想でも、スイが笑うのがまた苦しい。
「まだあるから持っていくといい。湿気る前に食べきらないと」
「んー……」
疲れていると指摘されたが、逆にスイは元気そうで普段より増しで愛らしい。という感想はスイよりも確固たる意思を持って菓子と共に飲みこみ、クノギは頷いておいた。
「ごちそうさま」
「本当に、あまり疲れを溜めるなよ。薬房で何か煎じてもらえば?」
「考えとく。それじゃあな」
やがて茶を飲みきり、すぐに過ぎる休憩の時間を終えて仕事場へと向かっていく彼を見送り、スイは茶器を片づけるのも楽しげだった。クノギの疲れた様子には多少心配にはなるものの、それでも此処へ来てくれたのが嬉しい。
以前のスイでも嬉しかっただろうが、今は何かが違う。妙に幸せだ。
これがもしや恋愛の好意というものかなと思い――普段なら確かめたいところ、それを確かめる、つまりクノギに言ってみることには臆している。城の女子に人気があるらしいがそれはどう思っているのか、とも、カナイにああして取り繕ってしまったこともあり茶の時間には聞けない。夜は夜で別の流れに転んでしまう。
だが、そういう友達もいるものだ、とはクノギも言っていたこと。別に今のままでも別段の問題はないはずだ。早くも月二回の宣言が無効になりそうな雰囲気は少々問題かもしれないが、それはともかく。
ずっと今までどおり楽しくやっていきたいなと、スイは至極悠長に、クノギにとっては惨いことを考えていた。
しかし状況はスイの考えとは裏腹に既に危うく――もうほんの一日でさえ、均衡を崩すには十分だったのだ。
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