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番外 冬逢瀬
今年は珍しくガウシでも雪が積もるだけ降った。どこでも多少の不便や転倒などの事故はあったようだが大事というほどではなく、籠もって仕事をする書庫番には寒さ以外の影響もあまりなく、部屋で過ごす貴族に本を見繕った後はむしろ利用者が絶えて暇になったくらいだった。
仕事の合間、一応はもう大人なりの遠慮でこっそり窓辺や書庫の裏手で雪を眺め触っては概ね満足していたスイだったが、狩りついでに散策、雪見でもしないかとクノギに誘われたのには二つ返事で喜んだ。
乗馬も狩り――の見物も久しぶりだ。
これは所謂、デートだな。と考えては少し浮き立つ。
街に下りて飲み食いしたりするのはもう数度経験があったが――まだ意識する程度の回数だ。それにこれはもう少し特別な感じがする。クノギはともかくスイは出不精で、森のほうに出かけるなどいつぶりだったか分からない、というのもあり距離の割には遠出じみた気持ちだった。
「お前着ぶくれてんなあ」
「外遊びって久々だからさ、どんなもんか分からなくて。暑くなったら脱ぐ」
厩舎の側で待ち合わせして、白い息で笑いあう。
人と会うには洒落た恰好をという意識はスイにもあるにはあるのだが、今日の場合はそれより寒い。数少ない冬用の外套を引っぱり出して、襟巻も手袋も勿論きっちりだ。丁度よく晴れたので降ってくる雪や雨は心配なさそうだったが、案外に耳が冷えるので帽子も欲しいなと思ったくらいだった。
クノギのほうは仕事着とも大差なく動きやすい軽装ではあったが、それでも他の時期よりは着こんでいる。矢筒と刃物を携えているのはいかにも慣れた風体で、どうにもお坊ちゃんの外出の雰囲気が抜けないスイとは対照的だ。知らぬ人が見れば用心棒を連れたようにも映りそうな、そんな二人組だった。
連れてきた馬たちの嘶きも白い。既に鞍を置いた姿に目を細めて、スイはしっかりと引手を受け取った。
「トグリ久しぶり」
「こっちの鹿毛はニキ」
数度乗せてもらったことのある大人しい栗毛と初対面の若い鹿毛に挨拶をし、意気込みは静かに。危うげないクノギの横で少しだけ手間取って、それでも補助はなくとも無事に跨る。歩き出すのも問題なく、確認してくれる友人に頷いて進む。
「よお。行ってくる」
「おう、土産楽しみにしてるぞ」
「お気をつけてー」
門番をしていたのはクノギの同僚の衛士たちで、気安いやりとりがスイには些か新鮮だった。二人での外出も狩猟の予定も確認済みで、簡単なチェックのみで送り出される。
数日で白い陰影の冬景色に様変わりした辺りを眺めて息を吐き、スイはちらと振り返った。見事な石造りの城門の周辺もやはり寒々しい。いつも胸を張って立つ人々はどことなく縮こまっていた。
「立哨寒そうだな」
「夜はもう本気で堪える。人目を盗んで火に当たってるけど……爪先が死んでくるんだよなあ」
クノギの声は心底渋く、毎年のことだが今年は特にという響きだ。
寒い寒いと言いながらも暖炉のある室内でぬくぬくとしている文官には頭が下がる思いだ。スイは人目を気にしなくてもよく大勢の部署にはありがちな机の配置の問題もないので、読むだけの仕事のときは暖炉の側に椅子を持っていくのも自由だった。
やっぱり今日も寒いだの冷えるだの、仕事中に比べては楽しげに気温を評し、いつもより控えめにぽつぽつと言葉を交わしながらのんびりと馬を歩かせて森へと向かう。
そちらも変わらず雪が積もっていて人が少ないので雪堀りも何もされていないが、進むのを躊躇するほどではなく、いうなれば程よい。なめらかに地表を包んだ雪の眩しい白さ、独特の青い影の中にくっきりと浮かぶ木々の輪郭は絵画のようだ。
見えないながらに覚えのある道なりに進んでいけば、季節によっては散策する者も多い森に入る。
少し歩けば乗馬の感覚もなんとなく取り戻して、スイは一層に楽しくなってきた。
城の庭とはまた違う奥行きを見せる森の梢につららを見つけて寄っていく。馬上からであれば下の枝には手も届いた。気心の知れた友人と馬しか見ていないと、躊躇なく櫛のようになってしな垂れたのを引き寄せて眺め、指先で触れてぽっと折る。手袋越しでは終わらず掌を晒しては、珍しい氷のつるりとする表面と指先の熱で溶けていく感触を楽しんでみる。
「……お前つららとか雪とか食いそうだよな」
雪景色を背景に割に様になるその姿を眺めていたクノギの笑いながらの呟きに、は、と笑うとその息もまた白く膨らんで昇っていった。
「子供のときそれで腹を壊したなあ。でも皆食うだろ、子供の頃は。食べたことない?」
恥じらうでもなく堂々と肯定してスイは首を傾ぐ。うーん、と唸りクノギも首を傾げて改めてつららの連なる枝を見遣った。呆れる風だ。
「もう少し大きいのができるからそれをこう」
「こっちはまずこんなに降るのは珍しいからなあ。花の蜜くらいは吸ってたが、でも雪は……ただの水だろ要は」
近くを囲む山が雪雲を留めるので、ガウシよりも王都の辺りのほうが雪は降りやすい。だから地域差とも言えたが、手振りで示すのにも同意は示さずクノギは友人を変わり者の部類に振り分ける。
「……でも氷とか雪って独特の味がするよな? あれなんだろう」
それに食い下がるでもなくスイが子供のように不思議がって言い出したものだから、さらにその認識を強めた。
「調べて分かったら教えてくれ。霜焼け気をつけろよー」
行動を先読みして言ったお陰で、まずもう一度食べて確かめてみようかというスイの意識はとりあえず、今のところは切り替わった。手の上で溶けたものも払って指を擦り合わせる。
「ん。貴方こそあかぎれとかしてないか?」
手袋を嵌めなおして再び手綱を握り――確かめようと青目が見遣る先も防寒具に包まれている。
二人で過ごすのは楽しい。外での距離感は相変わらずだが、変わらず前と同じ雰囲気を楽しめるのもスイにとっては嬉しかった。
ただ、こういうときに触れたいなと過ぎるようにはなっていた。その手が温かいことを知っているし、冷えているなら温めたいなと考える。その気持ちだけ以前とはかなり違う。多分相手も同じだろうと思えるのも、なんとも言い難い心地だった。
――冬は触れたい季節だ。
いつぞやかは馴染まなかった詩歌のようなことを思って、スイは緩みそうな唇を引き締めておいた。
「んー、たまになる」
「帰ったら軟膏をつけてやろう。この前薬房で作ってもらったのをカナイにも分けたんだけど、結構いいって言うから」
何気ない雑談のつもりだった会話にも触れたい欲が覗いてしまったのに自分で気づき、隠そうとして言葉を足す。
「本にシミ作るわけにはいかないからさ、日中はあんまりつけれないんだけど、夜だけでも――お、兎いたぞ」
洗濯や掃除をして荒れ気味の使用人の手によいならいいだろう。無精でもそれなりにと続ける最中、動くものを視界の端に見て顔を上げた。
指差すスイにクノギも目を凝らす。動いていたのでそれと分かったが、穴倉へと引っ込んでいったのは雪に埋もれるような白の毛玉だった。
「お前書庫勤めのくせに目ぇいいよな」
「この時期やっぱり白いんだなー。兎は捕らないの?」
「今日は鳥狙い。兎食いづらいから」
感心するクノギに訊ねて納得し、では鳥を探すかと此処までやってきた目的のほうにも意識が移っていく。
二人はそうして幾らか遊びながら鳥や獣の気配を求め、足跡や糞を見つけては辺りを探った。兎より味のよい山鳥を見つけて、一度は外したが次のもう一羽で当てる。一緒になって息を潜め矢が当たるのを見届けたスイは、獲物を拾い上げたクノギがどこかほっとした様子なのを見てとりそれにも密やかに頬を緩めた。
その後、追加の獲物を見つけたのは慣れたクノギのほうが先だった。スイを制して、向こう、と顎で示す。三頭で連れ立つ鹿の姿。先程射た山鳥よりなお距離があるものの木陰で戯れる姿は雪の中では多少見やすく、的は大きい。
木々の合間で射線を捉え、クノギが矢をつがえる。
狙う鹿から視線を外し、スイは今度は盗み見るようにクノギを見遣った。灰色の瞳が獲物を見据える、集中して澄んだ面持ち。滅多に見られない表情。冬着でも体格がよいのが分かる背。弓を引き絞る所作。華は無いが美しい。
一瞬、風の合間、また鹿のほうの様子を窺おうとしたときにはもう矢が放たれていた。驚き逃げていった鹿は二頭。一頭が倒れ伏す。
「っし――」
「さすが皆中」
「やめろ、お前が見てると緊張したわ」
「誘ったの貴方だろ。見るよ」
武芸大会、先の秋の奉納祭での記録を引っ張って褒める声に肩を竦めながら、馬を促して向かうクノギをスイも追いかける。
馬を降り、小柄な鹿の体を引いて近くの木の根に寄せ頭を下げて喉を突く。噴き出した血の臭いは湯気が立つ気温の所為か多少は遠い。
肉や魚の解体作業の見物も、スイは子供の頃から好きだった。ある程度の知識を蓄えた今は昔ほどの高揚や溢れんばかりの疑問は生じなかったが、久々に見た血潮は勢いがあり、流れるほどに雪を溶かしていくのが鮮烈だった。じっと見つめるスイにクノギが片眉を上げて呟く。
「倒れんなよ」
「俺は平気だよ」
眩む性分ではないと首を振って、馬たちを宥めながら血抜きが終わるのを大人しく待つ。さすがに生臭くなってきて離れはしたが、上手く大きな血管を突いたようで無駄な時間はかからなかった。
「……じゃあ急いで帰って捌くか」
寒いだけに傷む心配は夏場ほどではないが、肉より先に自分たちの体が冷えきりそうだ。切り上げようと提案するクノギに頷き、獲物を布に包み馬の背へと担ぎ上げるのも嫌がらずに手伝って、少し上がった息を整えて馬に跨る。
ちゃんと収獲があったので、今日はごちそうで温まれるだろう。スイはまったく血に酔ったこともなく平然と考えて、口にする。
「そうだ、カナイがまたあのパイ作ってくれるってさ。あの茸とハム入ったやつ」
「おっ、本当か。あれすげえ美味かったよな」
「うん。絶賛だったって教えたらすごく喜んでた。最近また凝ってるんだよな。新しく来た料理人がいい腕で色々教えてくれるんだって」
「へえ……食堂の飯ももっと美味くなるといいんだが」
そうしてとりとめのない言葉を交わしながら、来たときよりはやや急ぎ気味に森を去り帰路を辿る。冷え込みはこれから暫くが一番厳しく雪も幾らか残りそうだが、まさしく触れ合うには向きの季節だ。冬の暮らしも二人の仲も、実に順調だった。
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