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序章
「ハイゼン将軍家から参りました。ルカと申します」
せっかく毛足の長い敷物があったんだ、向こうに膝を着けばよかった。
王宮と言えど石造りの床は冷えて固く、ルカの骨ばった両膝はゴリゴリと痛んだが立ち上がるわけにもいかなかった。
伏せた顔の前で両手を組んだまま、垂れた前髪の隙間から覗いても”未来の夫”の姿は足元しか見えない。
「……ああ、お前が」
たっぷり考えこんだらしい後で、思いのほか若い声が頭の上に振ってくる。
一切の興味を削ぎ落したような淡々とした声に、こっちだってお前に興味なんかあるものかと言い返したかったが、自分の首と天秤にかける程のことではない。この場で口答えなどしてみたらどうなるかはルカにもよく分かっていた。
「顔を上げろ」
つまらなそうな声でそう告げられて、ようやくルカは顔を上げ、初めて自分の未来の夫──エストロスの姿を見た。
この国では珍しい鴉色の髪、人々に魔眼と恐れられる紅い瞳。野性の獣じみた迫力と威圧感はいかにも上位種のαらしい。
ただ、ルカが予想していたよりも王は年若く見えた。それに、繊細さとは程遠いが随分と整った容姿をしている。市井の人々に恐ろしき龍王と囁かれるのはどうにも違和感が拭えない。
若き王は紅い瞳でルカの足先から舐めるように全身を眺めた。痩せた青年が自分の妃にふさわしいか確かめる……というより、珍しい動物でも眺めるようなそれとルカの視線がかち合った途端、エストロスは微かに目を見開いた。
「…ハ! 開花もまだのガキなんか寄越しやがった」
唇を歪に歪ませてそう吐き捨てると、控えていた従者を引連れたエストロスは微塵の配慮も、もちろん遠慮もなく、足早に謁見の間を後にした。
重たい扉の閉まる音が大袈裟に響いて、耳鳴りのようにすら感じる。
大きく息を吐いただけで立ち上がる気力もなくしたルカは、ようやく側付きメイドの手を借りて立ち上がった。冷えた膝に錐を刺すような痛みが走って、思わず舌打ちも出る。
「ルカ様、これにてお目通りは終了でございます。大変ご立派でしたよ、エストロス王も……きっとお喜びです」
「……お優しい夫殿のようで。新婚生活が楽しみだよ」
メイドに罪はなかったが、嫌味のひとつでも言わなければルカの気は晴れそうになかった。言ったところで「し、失礼致しました……」と顔色を曇らせるメイドを見て心が痛み、悪かったと謝る手間が増えただけだった。
だが、ルカはこの結婚から逃げる選択肢を選べない。ただここに后として在ればいいのだ、そう自分に言い聞かせるのはきっと生涯の習慣になるだろう。
ルカはただただ黙り込んだ扉を睨んでいた。
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