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第1話

 景紀(けいき)大の大学院のあるバース研究室にて。  戦後、バースと呼ばれる、ごく一部の人々が発見されてから、それらは『それぞれの特殊な一部しか持たない特性があるとする世界観』という考えが由来となり、『バース』としてくくられるようになった。それらを包括的に研究するのが、バース性研究であり、中でも現在、七海幸里(ななみゆきさと)がいる七海研究室は、フォークの特性を研究している。  七海は、夏だというのに長袖の白衣姿に、ハイネックのインナーを着ている。それは研究室の空調が、冷たい息を吐き出しているからに他ならない。少し寒いほど、研究室の中は冷ややかで、夏には特に快適だ。七海は汗をかくイメージがないと、よく言われている。  その時、扉から声がかかる。 「暇そうだな」 「――これでも忙しいんだけれどねぇ」  顔を向けて答えた七海は、はぁと嘆息する。入ってきたのは、黒いスーツ姿の青年で、とても研究者には見えない。それもそのはず、顔を出したのは、大学の同窓であった刑事の槇原棗(まきはらなつめ)である。七海は人間科学部バース学科、槇原は法学部だったが、どちらも学科を越えて受講できるある講義を選択していた。それは、フォーク犯罪学という講義で、そこから顔見知りになり、友人となり、気づけば卒業後も話をするようになっていた。 「どうぞ」  勝手にソファに座った槇原の前に、コーヒーサーバーから珈琲をカップに注いで、七海が差し出す。そして彼もまた、対面する席に腰を下ろした。 「この部屋は、本当に涼しいな」  夏の外を歩いてきた様子の槇原は、額の汗を手で拭っている。夏に黒スーツは暑いだろうが、槇原の班――フォーク犯罪者を捜査する特別班の警察官達は、皆が黒スーツらしい。 「槇原こそ暇そうじゃないか。仕事中じゃないの?」 「今日は非番なんだ」 「なるほどね」  頷いた七海は、己のカップを持ち上げて、ホットの珈琲をゆっくりと飲み込む。本当は冷たい飲み物でも出してやれば良かったのだろうが、ずっとこの研究室にいる七海には、それは思いつかなかった。 「とは言っても、呼び出しへの待機はいつも必須だが」 「警視様も大変だねぇ」  刑事とは呼ばれているが、エリートの槇原の階級は着実に上がっていく。それだけではなく、犯罪者の検挙もかなりしており、槇原は実力のある警察官である。 「三十歳にしては、警視になるのは若いんじゃなかったっけ?」 「まぁ人によるだろうな。俺から見れば、七海こそ、三十で准教授というのは、この大学では史上初の最年少なんだから、非常に若いと思うがな」 「バース研究者は少ないからねぇ。だというのに、この景紀学院大学は、国内唯一のバース科があるから、人手不足は否めない」  七海の言葉に、カップを持ち上げて、槇原が静かに傾ける。 「それにしても私も君も、もう三十路だねぇ」 「そうだな。ところで――明日も俺は非番なんだ。そして明日は週末だ。つまり研究室も休みだろう?」 「まぁねぇ。それで? 槇原の家に来いって?」 「ああ」 「わざわざここに来て言わなくても、連絡を一つくれればよかったのにねぇ」 「面と向かっていった方が、断られにくいと思ってな」 「私が断ると思ったのかい?」 「三十回に一回は、断られているだろう」 「……あのねぇ。それは、めったに断らないという理解で良くないかい?」 「念には念を入れる主義なんだ。珈琲ご馳走様。行くぞ」 「はいはい」 「先に車に戻っている。いつもの駐車場だ」 「了解」  七海が頷くと、槇原が研究室を後にした。七海が帰り支度をしていると、丁度一つ講義の時間が終わったようで、博士課程の大学院の学生である東隆生(あずまたかお)が顔を出した。 「あれ、先生、今日はもうお帰りに?」 「うん、ちょっとねぇ。あ、施錠はよろしく頼むよ」 「わかりました」  東が頷いたのを確認してから、七海は研究室から外に出た。  夏の熱気の激しさを身に染みて感じながら、ロータリー脇の駐車場を目指す。  そしてもう見慣れてしまった、槇原の車の助手席のドアを開けた。 「行くか」  槇原が、七海がシートベルトをしたのを見てから、既にエンジンがかけてあった車のハンドルに手をかける。  こうして二人は、その後槇原の自家用車で、槇原のマンションへと向かった。 「最近は、あまり俺への被験者要請がないな」  タワーマンションの部屋に入ると、黒いネクタイを緩めながら、槇原が言った。  槇原は、フォークの犯罪者を追いかける刑事ではあるが――彼自身もまた、フォークである。それを聞きながら、白衣のままでここへと来た七海は、腕を組んだ。 「今手にかけている研究は、観察実験が少なくてねぇ」  これは事実だ。  七海は、フォークを研究対象としているため、被験者が必要な場合、基本的に槇原に頼んでいる。個々人の特性は、基本的にプライベートな事柄として隠されているため、フォークであると公言して研究に協力してくれる相手が、七海には槇原しかいなかった。道を歩いていても、ケーキとフォークという特性は、基本的には一般の普通の人々と区別がつかない。 「槇原こそ、最近私に捜査協力の要請をしないじゃないか」 「検挙したフォーク犯罪者の中に、最近は心理分析をするような人間がいなかったんだ」  槇原は槇原で、ただしこちらは警察機関の公認のもと、研究者である七海に、フォークの心理分析を依頼に来ることがある。  一見すると二人の関係は持ちつ持たれつであるが、最初からそうだったわけではない。今でこそお互いに報酬を金銭的にも用意するが、元々は、違った。  背広を脱いでから、槇原が振り返り、正面から七海を抱きすくめる。引き締まった体格の良い槇原と、痩身の七海とでは、筋力にも差がありすぎる。七海はおとなしく腕に収まると、細く吐息した。  ――それこそ元々は、『研究の被験者になったら、体を提供する』という条件を七海が提示し、槇原が同意したのが始まりだった。  七海は、ケーキである。  自分の研究成果から、味覚障害などがある槇原がフォークだと見抜いて、提案した。槇原はそれまで、ケーキを喰べたいという衝動を、衝動抑制剤で抑えていたため、目の色が変わった。こうして始まったのが、二人の肉体関係である。それは大学二年生で出会ってから、お互い三十歳になった現在まで続いている。もう八年も、二人は体を重ねている。その内に、抑制剤研究や心理分析、そういったフォーク関連のバース研究を行う七海を、警察機関に槇原が紹介したという経緯がある。実際、フォークに詳しい研究者は少ないため、警察機関も大喜びだった。 「っ……」  槇原が七海の服を脱がせながら、何度も首筋や肌に唇を落とす。そうして味わうように、その肌を舐め、紅い痕を散らしていく。七海はされるがままになりながら、キスマークをつけられる度に疼く体を呪わしく思っていた。  研究一筋で、研究バカとさえ言われる七海であるが、そうして普段は、事実その通りなのだが、槇原に抱かれるときばかりは、思考が槇原で塗り替えられる。  自分達は、代償ゆえの肉体関係にすぎず――要するにセフレのようなものだと、七海は正確に理解しているつもりだったが……心が最近痛む。 「ぁ……」  一糸まとわぬ姿にされ、立ったまま左手で陰茎を握りこまれる。  もう一方の右手では、後ろの双丘に触れられ、握るようにされ、それから菊門を指先で刺激される。今日の槇原の手つきは優しい。  七海は、実を言えば、槇原に恋をしている。  端緒こそ、確かに研究のためだったはずなのだが、そしてそれは変わらない事実なのだが、体を幾度となく重ねる内、プライベートでもその優しさや人柄を知る中で、七海は槇原に惹かれるようになってしまった。三十回に一回、誘いを断る理由は、それこそ外せない学会の出張くらいのものだ。槇原に呼び出されると、七海はいつだって可能な限り時間を作ってしまう。  精悍な顔立ちをしている長身の槇原は、男にも女にもモテる。それは学生時代から変わらないが、大人になったここ最近の方が、男らしい色気が増したように七海には思える。筋肉が綺麗についた槇原の腕が、七海は好きだった。  その後二人は寝室のベッドへと移動した。  槇原もまた衣服を脱ぎ捨てる。二人でダブルベッドの上で、睦みあう。 「んン……っ……」  じっくりと解されてから、七海は挿入される衝撃に、息を詰める。  今日はバックからで、七海の陰茎を左手で握りながら、右手では華奢な腰を掴み、ぐっと根元まで槇原が挿入する。そうして前を扱かれながら、腰を動かされると、七海の体が上気し赤く染まっていった。先ほどまでの手つきが嘘だったかのように、本日の槇原の動きは荒々しい。すぐに肌と肌がぶつかる乾いた音が響き始める。 「ぁ、あぁ……あっ、ンん……あ……ァ……あア!」  ギュッと両手でシーツを握り、七海が嬌声を零す。それに気を良くしたように、槇原が激しく抽挿する。時折ぐちゅりと音がして、先ほど使ったローションの音が卑猥に思えてきて、七海はギュッと目も閉じる。元々、七海は肉欲がある方ではなかった。それなのに代償がこういう形となったのは、槇原が言ったからだ。 『ねぇ、槇原? 研究協力するとしたら、どんな代償がいい?』 『そりゃあ、ケーキを食べたいさ。思う存分な』 『体液?』 『ああ。俺は殺人犯になるのはごめんだ』 『じゃあ――私の研究に協力してくれたら、好きなだけ私を抱いて、唾液だって、精液だって、喰べていいよ』  こんなやりとりをしたのが、懐かしい。既に過去のことだ。  今では当然のように、槇原は七海を抱くが、一番初めの頃は、本当にいいのかと何度も尋ねられたほどである。七海の初めては槇原だったが、七海はよいと答えた。 「ああっ、ンあ……は、激し、っ、ぁあ! 深っ……ンん!!」  ガツガツと体を貪られると、眦から自然と涙が零れる。  その時、槇原が繋がったままで、七海の背中に体重をかけた。 「ひぁっ」  そしてぺろぺろと七海のうなじを舐め始める。手が陰茎から離れたせいで、イけそうでイけなかった七海は、震えながら、体を槇原に舐められる。内部で少し角度は変わったものの、深く穿たれているのは変わらず、ずっと押し上げられるような状態で、快楽が内側から響いてきて止まらない。 「あ、あ、あ」 「美味い。甘い」  ペロペロと舐められながら、七海はもどかしくなって体をさらに震わせる。びっしりと汗をかいているが、それが滲む肌がより甘く感じるのだと、いつか槇原が言っていたことも思い出す。薄茶色の髪が、肌に張り付いてくる。もどかしすぎて、辛い。だが、『嫌だ』とは七海は言わない。言ったことは一度も無い。最初は、研究の代償なのだから当然だと思っていて言わなかったが、今では優しい槇原は、嫌だと言ったらきっと止めてしまうと知っているからだ。七海は、槇原が好きだから、それが怖い。  実際、最近では、槇原を研究対象にする機会は激減している。抱かれる理由がどんどん無くなっていくのも怖い。その一因としては、七海が開発した衝動抑制剤が、多大な効果を生んでおり、槇原もそれを服用しているため、あまりケーキを欲しなくなったし、犯罪者も減少傾向にあるからだと考えられる。ただ、一度味を知った場合は、やはりその後も欲しいと感じる場合は少なくないようで、槇原は定期的に七海を抱く。そういう意味では、自分を喰べさせたことが、七海は少し申し訳なくもある。 「ぁ……ぁァ……あああっ……あ……ああ!」  背中に体重をかけられているせいで、自分では動けない。代わりに、内側からドライオルガズムの予兆を感じさせる快楽が広がり始める。ギュッと七海がより強く目を閉じた瞬間、それは予想通り訪れた。 「ああああっ――、――」  七海は内側だけで果てた。全身を快楽が絡め取り、足の指先にまで広がっていく。  震えながら快楽の波が引くのを、必死で七海が待つ。  そうして七海の呼吸が落ち着いた頃、それを見計らうようにして、再び荒々しく槇原が動き始めた。何度も何度も、七海の細い腰を両腕で持って、打ち付ける。太い屹立で奥深くまで暴かれながら、七海は快楽から何度も喘いで涙を零した。そして思った。槇原が、好きだと。

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