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第15話
「――おい。おい、セラ。おきろー」
「……、」
また――いつものように、あのころの夢を見た。親戚のオジサンのところにいた夢。いつもよりも、なんだか鮮明だ。声が聞こえて、瞼をあければ――そこに、白柳がいる。俺は白柳の家に帰るなり、眠ってしまっていたらしい。
「今まで寝てたのか? 珍しいな。いつもは俺が玄関入るなり尻尾ふって出てくるのに」
「……」
ああ……こいつ。馬鹿だよな。俺の本性に気付きながら、俺に優しくなんてしちゃって。そんなんだから、俺に憑りつかれるんだ。こんな、ゴミみたいな人間に、すり寄られるんだ。馬鹿だ。こいつは、馬鹿。はやく、俺のことなんて追い出せばいいのに。いや……追い出して。俺が、おまえに期待をする前に。俺がおまえに、欲しいものを乞う前に。
「……白柳さん。」
「なんだ、おまえ寝ぼけてんの? さっさと起きろ?」
「……つばさ、……翼って呼んで、白柳さん。白柳さん、……助けて」
「……、」
俺は手を伸ばし、俺の顔を覗き込む白柳の頬に触れる。視界が、ぼやける。そう、……そのまま、視覚を失ってしまいたい。この人の、白柳さんの、俺を拒絶する顔を見てしまう前に。
「――翼。起きろ。いつまで夢を見ている気だ、馬鹿野郎」
「……っ、」
――ぱし、と軽く頬を叩かれた。その瞬間だ。ハッ、と視界が明るくなる。そして俺は――完全に目を覚ました。
「……っ、おまえっ、何俺のこと本名で呼んでんだよ、っざけんな……、……じゃない、おかえりなさい、白柳さん」
「……ただいま」
今の自分が置かれている状況に気付いて、俺はさっと血の気が引くのを覚える。俺……今、何かとんでもないことを言ったような。いや、とんでもないことを考えていた?
「で、おまえは今日、飯作るのか? 具合悪いなら俺が一人で作るけど」
「や、やる! 楽しみにしていたんですからっ」
「……無理しなくていいけど」
「し、してない! ほ、ほんとにこれは嘘じゃなくて、……ずっと、楽しみにしてて……」
「……くっ、『これは』、ねえ。おまえどんどんウソ下手になってくるな」
「お、俺がいつ嘘をついたんですかぁ。やだなあ、白柳さん」
やばい。いろいろと墓穴を掘っているような気がする。何を血迷って本名を呼ばせたのかわからないし、うっかり素を出してしまったのも激しい失態だし、混乱してしまって言葉がめちゃくちゃになってくるし。
「ほお~」なんて俺の顔をじろじろと覗き込んでくる白柳から、俺は必死に目をそらした。本性が完全にバレて、嫌われたりでもしたら作戦は失敗だ。本当に俺、なんでここまできてやらかしてしまったのか。
「ま、どうでもいいか。早く支度しろ。ちゃんとした飯作れるようになんないと、俺の家に置いてやんねえからな。たまにはおまえが家事しろや」
「……へ?」
「あ?」
また憎たらしいことを言ってくるのかと思いきや、予想だにしていなかった発言が白柳の口から飛び出してくる。俺は聞き間違いかと思い、思い切り白柳の顔を見つめた。
……何? おまえ今、絶対変なこと言ったよね?
「……いやいや、白柳さん。俺、白柳さんの家にずっといるわけじゃないですよ?」
「は? おまえが俺の家にいつも転がり込んでいるんだろうが。勝手に居座って勝手に出ていく気か?」
「……お、おかしいって。そんな、俺が『居たい』って言ったら『いいよ』って言ってるような言い方、変ですよ」
「何が変なんだ」
「だ、だから~。そういう気もないのに、勘違いさせるようなこといっちゃ、ダメ! ですよ? 白柳さん」
「……居たいなら俺の家にいればいいだろ。別に追い出したりしねえし、今までだって追い出したことないだろ」
「しっ、白柳さん! ちょっと待って。あのね、甘やかすのにも限度がありますから! そろそろ、『いい大人が人んちに居候してんじゃねえよ』って俺を追い出してもいい頃ですよ……? 白柳さんは託児所じゃないんだからさあ」
「なんだ、おまえ。そんなに俺の家に居たくないならいる必要ないんじゃねえの?」
「いっ、居たいからいるにきまってるじゃないですか! だから、いつか追い出されるなら、期待させてほしくないって――」
「……だから、追い出したりしねえって。って堂々巡りだな、こりゃ」
白柳の言っている意味がわからない。いや、わかるけど。俺のこと、家に置いてくれるって言ってるんだろ? 作戦通りじゃないか、こいつは俺に情を抱いていやがるぞ、喜べ!
作戦の成功が見えて、ここは喜ぶべきところだった。けれど、なぜか「俺」がそれを受け入れようとしない。
――顔が、熱くなってるのがわかる。きっと、思考が働かないのは、そのせいだ。頭がバグっているんだ。
だって、――だって。俺は、期待していた。もしかしたら、白柳さんは……俺に、普通を教えてくれるんじゃないかって。そしてそれはいけないことだから、喜んではいけないのだ。普通を求めたなら、俺は、自分を否定することになるから。
「……期待していいぞ。俺は、おまえの期待を裏切らない」
「えっ……」
必死に、白柳の言葉の真意を探っていた。俺の本心を、探していた。
俺は白柳の言葉のひとつひとつに、胸が跳ねるのを感じた。これは、一体なんなんだろう。「もしかして」と考えて、「いやそんなわけがない」と否定をするの繰り返し。
いや、「もしかして」に続く言葉もわからないのに、否定をする意味がわからないけれど。俺は白柳に「もしかしたら」何をされたいのか。その先を考えて、ふ、と顔が熱くなる。
変だ。俺、本当に変だ。
ふら、と足下がふらつく。自分の中に発生しているバグで、体がいうことを効かなくなる。落ち着け、俺、落ち着いて。俺は白柳に、何をされたいのか。俺の期待する「普通」って何だろう。
考えた。必死に考えた。けれど、答えが出る前に――俺は、言葉を発する術を奪われたいた。俺の顔に陰がかかり、ひた、と時が止まる。俺は――白柳に唇を奪われていた。
「……っ、あ、あの……?」
「……目、閉じろ。キスもできねえのか、ガキ」
「あ、は、はい……」
……何が起こっている?
キス、されているのはわかる。ほお、なるほど、白柳は俺に対して情ではなくて恋心を抱いていましたか。大成功じゃん、やったー。
違う、状況が知りたいんじゃない。知りたいのは、自分自身だ。なんで――なんで俺は、白柳にキスをされて喜んでいるんだ。心を震わせて、泣きそうになっているんだ。
おかしい、おかしいって。なんで、キスがこんなに気持ちいいんだろう、自然と彼の背中に腕をまわしてしまっているのだろう。ああ、涙が零れた――なんで俺は、泣いているの。
待て、……待てよ、思い出せ、俺は、俺は――普通を知ってはいけない、求めてはいけない。
心の底から湧き上がる多幸感。光を掴みたいと伸ばす手。ハッとその存在に気付いた俺は、それらの危険性に息をのむ。いけない。それ以上知ってはいけない。俺のことは俺が知っている。俺は、普通を知ってはいけないのだ。こんなにも醜く、穢い心と体を持っているのだから。
だめだ。だめ、だめ。どうせ俺はまた普通じゃない世界へ戻るのだから。夢を見ることは赦されない。光を知ったなら、闇は、深くなる。俺を待ち受けるのは、今まで以上の痛みと恐怖。
怖い、怖い、怖い――……
「――ッ、はなせ、……はなせ!」
奈落に引きずり込まれるような感覚を覚えて、俺は衝動的に白柳を突き飛ばした。さあっと血の気が引いていって、目の前が真っ暗になる。けれど頭の中は真っ白で、自分が何をしているのかもわからない。
突然突き飛ばされたというのに、白柳は驚きのひとつも見せない。じっと俺を見据え、黙っている。
「……ッ、調子にのるな、クソったれ! おまえが俺を救えるとでも思っているのか、つけあがるな! 期待を裏切らない……!? だったらおまえは俺を一生そばに置いておく覚悟はあるのかよ! 俺がなんだかわかってるんだろ、俺は肥溜めで育った屑だぞ! ただの子供をあやす感覚でそんなことを言っているなら、さっさと俺を捨てやがれ! 期待なんてさせるな!」
「……ただの子供にキスなんてしねえよ、馬鹿かおまえ」
「じゃあ俺はおまえにとってなんだよ!」
「……俺は、……おまえを」
「――……っ、」
激情のままに叫んだ。けれど白柳は表情を変えなかった。
聞いてはいけないと本能で感じている問を白柳に投げかける。でも、俺自身が問いただしたのに、俺は白柳の言葉が怖くて聞けなかった。慌てて白柳の口を手で塞ぎ、あふれる涙を止めることもできず、うなだれた。
白柳は俺に口を手で覆われるという奇妙な状況にありながら、特に抵抗もせず黙っていた。その沈黙が、辛かった。
なぜ――白柳の言葉にここまで恐怖を覚えたのだろう。その答えを、俺はようやく知る。白柳にキスをされて、狂いそうになった理由も、同時に。
白柳が――俺に、普通を教えてくれようとしていたからだ。それも、ただの普通じゃない。俺が、本当に、――本当に求めていた「普通」。「普通に愛される幸せ」だ。俺がその口を塞いで押し込めた言葉に、それを叶える力があった。
怖かった。本当に怖かった。俺に、それを受け入れる覚悟が、なかった。世界を変える勇気がなかった。だから口を塞いだ。
「……白柳さん」
けれど。白柳から発せられようとしていた言葉がたまらなく嬉しくて。本当はほしくてたまらなくて。どうして俺は俺として生まれてしまったんだろうと自分のすべてがいやになって。俺はみっともなくぼろぼろと涙を流して泣いてしまった。嗚咽をあげて、しゃくりをあげながら、大量の涙を流した。
俺は白柳の口から手を離すと、顔をあげる。じっと俺を見つめてくる彼の瞳に、胸が締め付けられた。
――ああ、俺は、この人に愛されたいと思うくらいに、この人のことが好きだったのか。
「……さようなら、白柳さん」
俺は、白柳に触れるだけの口づけをした。
そして――俺は、逃げるように白柳の家から出て行った。
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