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第15話

「これがクロックムッシュか」  まるで子供がはじめてのおつかいをしているようなそんな態度に、高雄はつい可愛いなと思い揶揄う様に言った。 「まさかあなた初めて見るの? 僕より何年も長く生きてきて?」  フライパンとにらめっこしながら、最後のクロックムッシュに手をかける。  意地悪そうにくすくす笑う高尾にムッとしてみせると、仕方がないだろうという。  断面に顔を近づけ、上がる湯気を吸いこんだ。  良い匂いだな、嬉しそうに囁きこちらに向き直る。 「このクロックムッシュというものは、そんなにどこにでもあるものか? 見たことないんだがなぁ」  さながら犬なら耳が垂れて見える。 「あはははははは。うーん、どこにでもあるものかと聞かれれば、無いかなぁ」 「なら知らなくても仕方がないじゃないか。意地悪を言うな。それにパンは食べたことが無いんだ」 「は?」  さも当たり前のような顔をして、のたまうこの男に、自然と視線が集中した。 「え?」 「イヤイヤ嘘ですよね。パン食べない県民なんて、聞いたこともないですし、そんな面白県民ショー、テレビでもやってないですよ」 「県民とかはよくわからん。無かったんだ、仕方がないだろう」 「どこ出身ですか?」 「江戸だ」 「江戸―? イヤそこは東京って言いましょうよ」  これ以上突っ込むのは、得策ではない。そもそも会話がイマイチ不明な流れ。言い返している自分もイマイチ理解に苦しむし、この男の反応ももっと理解に苦しむ。  周りも口を挟めるような空気ではなく、ポンポンと言葉の応酬だ。 「ご実家が純和風主義だったんですね」 「そうだろうか、俺だけじゃなくパンという舶来品を食べている家なんかなかったぞ」 「舶来品? いつの時代の奴だよ、あんた。そんな訳ないでしょう。なんかもうどうでもいいですよ」  この脳内妄想男に付き合っていたら、こっちまで頭がおかしくなる。さっさと食べて明日の準備をしないと。 「もうそろそろ出来上がりますから、その食器棚からお皿を出してください」  努めて平静に言うと、理解してもらえなくてむっとしている感はあるものの、それでも素直に言う事を聞く。大の男にかわいいもないものだと思うものの、かなり贔屓目に見て、犬っぽい。  その大型犬は棚を開け、偉く質素な薄茶けた皿を出した。 「これでいいか?」 「いいわけないでしょう。どうやったらその皿の色をチョイスするんだよ。センスは無いのか、馬鹿か、バカなのか」 「じゃぁどれって言えよ。俺は鈍いんだ、分かる訳ないだろう」 「上から二つ目の、一番左。重なっている皿の下の方に綺麗な青の陶磁器あるでしょう」 「陶磁器? ああ、これか」  満足そうに偉ぶる男に、やれやれと肩を下ろした。  大型犬に小型犬がキャンキャン噛みつくイメージ画が浮ぶ。僕的にはあいつが図体がデカい小型犬だ。    いくつかは年上であるその男にあれこれ指示をする高雄に、外野は少しの間あっけにとられ、その場に立ち尽くした。 「知り合いだったのか?」  香が聞いた。  両者ははたと顔を見合わせ、その何とも言えない顔を見て高雄はプット吹きだすと、肩を震わせ笑った。 「そうでした。つい何だか懐かしい気がしてしまった」 「ああ……」  生方は嬉しそうな、それでいて寂しそうな複雑な顔をした。 「どうしましたか?」 「いや、初めまして。生方誠(うぶかたまこと)です」 「今更だけど……初めまして、三条高雄(さんじょうたかお)です」 「三条高雄……」  呟くように名前を繰り返すと、ポンっと手をたたいた。 「今年の新任の先生に同じ名前の先生がいた気がするんだが」  雅はうんうんと頷いている。  皆の注目が高尾に注がれる。 「生方さんは学校の先生なんですか?」 「ああ。こう見えてもな。高雄君、君は?」 「明日から教師です」 「どこの学校? って尋問みたいだ。ごめんよ」 「いえ……生方先生は?」  先に言えという事か。 「小田学だ。あっ、小田学ってのは、小田原城下学園の略称だ」 「知ってます。母校なんで、僕のころに先生はいなかった気がするんですが、何科でしたか?」 「歴史科だよ。まだ小田学には二年前に赴任したばかりの新米だ。何だか尋問を受けているようだな」 「あっごめんなさい」 「いや、構わん、高尾君は何科?」 「国語です」 「もしかして、小田学?」  色白の華奢な首を縦に大きく縦に振った。  赤らむ首にびっくりしたのか、ただその返答にびっくりしたのか、目が見開かれる。 「専攻は何が得意なの?」 「漢文です」  二人の世界に浸る空気が気に食わないのか、樹が二人の間に椅子をねじ込んだ。 「ママちゃん!?」  

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