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第17話
「綺麗だな」
駅から続く小田原のお堀の道は、アジサイや蓮ヶ池なんかがあって季節的に春は最高にいい季節だ。頭の中にはビバルディの四季が鳴り、自然、そう口に出していた。
桜並木も立ち並び、上から雪のように舞うサーモンピンクの薄刃の花びらがお堀に敷き詰められ、桜の絨毯の様で、見るものを圧巻させる。
駅から美幸が浜の海岸方面にお堀を歩いていくと、国道一号線にぶち当たる。それをそのまま横断して海岸近くまでのんびり歩くと、大体20分。学校が見えてくる。
頭のいい学校だとわかったのは進路調査書に書き込まねばならなかった中学二年の時。バースの分かっていなかったあの頃の自分は、アルファなんじゃないかと自他ともに認めるほどの秀才で、文武両道を地で言っていた。
白亜の豪邸のような学校は地元でも有名な私立校で、そこに行けばアルファとしての才能を遺憾なく発揮できると当時の自分は信じていた。
お堀から続くこの道は、小さなころからのお気に入りで、小学校のころから|愛車《じてんしゃ》で走り、目の前まで来ては目的の教室を見上げていた。
殺風景な窓枠が沢山並ぶ中で、愛車と一緒のチェレステカラーのカーテンが綺麗な部屋が一つだけあって、ここにきてはそこを見上げていた。普段はそこから人が覗くことは無いのだけど、一回だけ泣き叫ぶようにカーテンに押し付けられている生徒を見たことがあり、その、扇情的とも言える表情に、少なからずショックを受けた。
当時センセーショナルだったその事を、誰にも言えず、胸の中にしまった僕は、学校見学でもいくら探してもカーテンのかかるその部屋はなかったし、入学してもそんな部屋に出会うことは無かった。そんなこんなで記憶のかなたに追いやられ、次第に忘れていった。
それを思い出したのは、ある事件がきっかけだった。
入学して半年後、最悪にも初めてのヒートを学校で経験してしまったその時だった。
『ヒート? 嘘だろ、なんで……』
何に反応したのかもわからない。当時の養護教諭に抱きかかえられ、この部屋に入り、全生徒が帰るまで鍵をかけて籠ることになった。ただオメガなんかになりたくない、強固な精神と良く効く薬のおかげで、そのカーテンの部屋で、あの時見たような最悪な光景は、自分には起こらなかった。
アルファと信じたオメガ。
ヒート。それは自身の殻にひきこもるには十分な程の威力はあったと思う。
それでも引きこもらずに通い続けられたのは、ひとえに樹さんと、親友の颯介のおかげではあるけれど、あれが原因で、僕は本心で会話をすることができなくなったし、する意味を持たなくなった。
川に浮かぶサーモンピンクの桜の絨毯は、今でも好きだし、古巣に戻ってこようと思える程度には、フィジカルもメンタルも強くなった自信がある。
オメガを隠すこともなくなった。オメガだからと屈することのないように、武術も習った。そこらのアルファには負けまいと、在学中は主席を貫き通した。
それでも卒業生代表としての答辞は、読ませてはもらえなかった。
オメガだからというのが理由だった。
その時最後まで、校長やPTAに掛け合ってくれたのが当時の国語科の先生だった。その先生のおかげで、僕は今ここに居る。
歩いて行っても通える範囲だが、出来れば自転車で通いたい。学校に行ったら事務さんに聞いてみよう。そんなことを思っていると、背後から何やら名前を呼ばれる気がした。
ゆっくり振り向くとそこには同じく新卒の養護教諭、颯介がいた。
「おはよう」
「高雄んちに寄ったらもう出たって言うから、大急ぎで走ってきたよ」
「別にそんな急いで来なくてもよかったのに……」
「俺がお前を守ってやるって決めてるから」
颯介が訳の分からないことを言いだした。
「お前が好きなのは僕じゃないでしょ」
冷静に返すと、なんで知ってるの? と慌てふためく親友の姿がそこにある。
「そりゃあ何でもお見通し。告んないの?」
そう言うと、卒業したらと颯介が真顔で答えた。
「しかし、よく養護教諭の空きができたな」
「びっくりだよね」
「それに、おまえオメガじゃないじゃん。養護教諭ってオメガって決まりなかったか?」
僕がそう聞くと、
「二年前の法律改正で、アルファ以外ならいいってことになった」
と颯介は答えた。
世間はコクコクと変わっていく。そう遠くない未来、もっとオメガに優しい世界になるかもしれない。
チェレステカラーの空を見上げながら、流れる雲に目をやった。
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