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二人の帰り道

「えぇ、楽しくおしゃべりしてるだけじゃんよ」 「な、なんで、レイムさん、俺のいる場所分かって」  突然レイムが現れて驚いたノアは釣竿を手から放してしまった。竿は川に流されてしまう。ノアはそれを見るなり慌てて川に片足を入れた。けれど、釣竿を取りに行く前に、その場でレイムにシャツの首元を掴まれてしまう。 「レイムさん! 釣竿!」  ノアが振り返ってレイムに言うと、レイムは眉間に皺を寄せた。そのすぐあとに、レイムが右手をゆっくりと手前に動かした。すると流されていった竿はレイムの手に戻ってくる。 「溺れる気か、バカ猫」 「俺、ちゃんと泳げ……いや、泳いだこと、ないな」 「ここの川は急に深くなる」 「そうなんだ、ありがとう」 「猫は水が嫌いじゃないのか。そもそもお前は危機管理能力が無さすぎる。獣人のくせに、今までどうやって生きてきたんだ。あぁ、王都は猫でも生きられるくらい平和で安全なのか」  レイムはノアにつらつらと説教をしてくる。 「だ、だから、人間のときは、関係ないよ、水だって別に」  レイムに大きくため息で返事をされた。その様子を見ていたフレッドは腹を抱えて笑っていた。 「何だ、フレッド」 「いや、面白いなって思って。ただの居候とか言ってたのに、ちゃんと面倒みてるんじゃん。アーベルトお兄ちゃんみてぇ」 「居候だからだ。――フレッド。お前は用事が終わったならいい加減森から出ろ」 「へいへい。俺も久しぶりに釣りしたかったんだよ。まぁ、この季節じゃ美味い魚は釣れないねぇ」  フレッドは近くに置いていた荷物を肩に担ぎ直した。 「レイムさん、玄関の地図見てたの」 「見てない」 「見てたんだろ。優しいねぇ」  さっきの地図に、やっぱりノアの居場所も見えていたらしい。いつまでたっても、動かない二人の足跡が気になったのだろうか。本当に便利な地図だなと思った。 「じゃ仲良くやれよ。俺は行く」 「さっさと行け」  レイムに追い払われて、フレッドは森の外へ続く道へと戻っていった。  不思議だった。道は遠くまで続いているのにフレッドは突然姿を消してしまった。 (森にかけられた魔法)  用事が終わったら出られる。レイムが言っていた通りだった。 「――釣り。気が済んだなら、帰るぞ」 「え、でも、まだ小さいの二匹だし」 「もう日が落ちる」  もっと大物を釣り上げるつもりだったが、レイムに竿を持っていかれてしまった。慌てて地面に置いていたバケツを手に取りレイムの後を追う。さっきは森の中を歩いたのに、石混じりのでこぼこな川岸を歩いている。水面には二人が歩いている姿が映っていた。 「ねぇ、えっと。あのさ、レイムさん、俺のこと迎えにきてくれたの?」  レイムから返事はなかった。けれど否定もされなかった。  ノアはレイムの斜め後ろを小走りでついていく。何だか胸がぽかぽかしてきた。こんなに幸せな帰り道をノアは知らない。帰り道は、いつも気が重く寂しいものだったから。  ふと川の水面を見た。  ノアの頭の上に猫の耳が生えていた。それをチラリと横目で見たレイムは、口の端を少し上げて笑っていた。 「レイムさん、この魚、焼いて食べる?」 「そんなに小さいと焼けば炭だな。スープのベースにしかならない」 「そっか。じゃあ次は、大きいの釣る」 「貴様はフレッドの話を聞いていなかったのか。今の時期は釣れない」 「じゃあ釣れるまで頑張る」 「なんだ、魔法使いになるんじゃなかったのか」  冗談を言うときみたいな笑い混じりの声だった。ノアはレイムとの会話がどんどん楽しくなってくる。 「なるけど、なんで」 「急に魚釣りなんて言い出すから漁師にでもなるのかと思って」 「ならないよ!」 「そう」  レイムがどんな顔をしているのか気になって、好奇心から歩調を速めてレイムの前に回り込んだ。すると目を細めて静かに笑いかけられた。  優しい紫の瞳。森を吹き抜ける風でレイムの艶やかな黒髪が靡いた。  ノアは、この表情をずっとみたかった気がした。  その柔らかな笑顔に面食らう。レイムは人を小馬鹿にしたり、冷めた言葉ばかりノアに投げかける。でも心の底から冷たい人間じゃない。  レイムの笑顔を見ているとノアも嬉しくなってくる。もっと笑ってくれたらいいのにって思った。  石がゴロゴロしている川辺をぴょんぴょんと跳ねながら進む。 「バカ猫。転ぶぞ」  貴様からバカ猫になった。でも不思議と嫌な気持ちにはならなかった。 「大丈夫だって! 走ったりとか得意だし」 「そういえば、猫だったな」 「半分だよ」 「あぁ。そうだな」  ノアはレイムの隣を歩く。この幸せな時間が、ずっと続けばいいのにと思っていた。

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