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嫌われたくない

 * * *  レイムの弟子候補になってから、ノアは、まず一階にある本棚の本を全て読むように言われた。  それが終わるまで、レイムはノアに魔法を教えるつもりはないそうだ。  分からなかったら訊け、とだけ言われて毎日毎日朝から晩まで本を読んでいる。  読書は嫌いじゃない。子供の頃からひとりぼっちで過ごすことが多かったノアは、本が友達みたいなものだった。本当は、みんなと外を走り回って遊びたかったけど、それは叶わなかった。  一人で公園を走ったって木に登ったって全然楽しくなかった。  それなら本を読んでいる方がよっぽど良かった。自身の境遇にも、それに伴う寂しさにも目を向けなくて済んだから。  外は今日も木枯らしが吹いていた。  ぽかぽかの部屋で一日じゅう本を読んで過ごしていると、瞼が次第に落ちてくる。暖炉があるのは一階だけ。木造だし、どう対策したところで隙間風は避けられない。本来ならノアが勉強している二階の自室も、隙間風で相当寒いはずだった。  けれどレイムの家は、どこもかしこも心地よく過ごせるように、小さな魔法がいくつもかけられていた。  ――自分のために魔法を使っちゃいけないんじゃないの?  ノアが指摘すると、レイムは面倒臭そうな顔をした。レイム曰く、快適に過ごせるように家にかけられている魔法は先代のものだそうだ。  先代の魔法使いは、きっとレイムのことが大好きだったのだろう。自分とは関わりのない先代の話なのにノアは優しい気持ちになった。  自分の大切な誰かが、愛されていることを知るのは何だか嬉しい。  朝は自分の部屋で勉強。昼になるとレイムがカウンターで仕事をするので、一階の暖炉の前に移動して本を読む。それがノアのルーティーンになった。  レイムの仕事を時々盗み見しながら、本を読みノートにペンを走らせる。  読むように言われた本は、もっぱら薬草学ばかりだった。魔法使いにとって薬の知識は基本だそうだ。  魔法使いらしい勉強は全然していない。魔法使いより薬師になる方が先になりそうだ。  一階の本棚にある本を全部読み終わるまで、ノアは地下に入ることも許されていなかった。一階には魔法に関する本が、片手で数えるほどしかない。  期限を切られているわけでもない。時間はたくさんあった。 (こんなペースで大丈夫なんだろうか)  ノアは魔法使いになるための学校に入学できなかった。  だから、魔法使いの普通を知らない。  分からないことばかりで不安になる。何を訊いてもレイムは淡々と答えてくれる。怒られたこともない。  怒られたのは勝手にカウンターに入って薬に触った、あの時だけだ。ノアが声をかけなければ、いつまでも放置されている。だからノアは、レイムに構って欲しくて、ひたすら与えられた本に没頭していた。  それが、唯一レイムと関われることだったから。 「レイムさんが使っている魔法って、四大元素、地、水、風、火のどれでもないの?」  ノアは緑色の分厚い本を手にレイムが仕事中のカウンター前に立った。 「いや。全て使えるが」 「でも、レイムさんは常闇の魔法使いなんだよね。闇の魔法? とかじゃないの? 本に書いてないけど」 「もう、そんなところまで読んだのか」  レイムはチラリとノアが持って来た本のタイトルを見た。 「だって、俺、早く魔法覚えたいし」 「根を詰めると続かない」 「そんなことないよ」  レイムはカウンターの前で薬草をナイフで刻んでいた。ノアは、その白い指先を目で追っている。液体の薬ほど周囲に匂いが届かないし、レイムの手元から香る薬草の匂いはノアの好きな匂いだった。心がほっと落ち着く香りがする。  レイムは派手な魔法が使えるのに、普段やっている仕事はとても地味だった。地下で夜な夜なやっている仕事は知らないけど、日中は街の薬屋さんとほとんど仕事は変わらない。  王都の魔法学校は卒業生が王宮に招かれ宮廷魔法使いになったりする。でもレイムは「常闇の魔法使い」という名前まであるのに、名前を使って王宮に仕えるつもりもないようだ。  レイムの飼っている伝書鳩が持ち帰る手紙の中には、王宮からの手紙もあった。  トードア国の王宮は、常闇の力を欲しているらしい。少し前、ノアはレイムが書いた手紙の返事をこっそりと見た。  ――先代は既に亡くなりました。私は師の力は継いでいません。  その手紙で、ノアは先代が亡くなっているのを知った。  いつから、レイムは一人で住んでいるのだろう。森の中で一人、寂しくないのだろうか。  目の前でレイムの講義を聞きながらも、思考が散漫になっていた。 「ノア。聞いているのか? 疲れているなら」 「聞いてます!」 「そう。その本に書いている、要素と魔法使いの属性は必ずしも関係しない。それに闇の魔法は特別だから」 「特別?」 「人を不幸にする魔法だ」 「不幸って」 「だから私は、その名前を継いでいない。だから、ノアも覚える必要はない」 「でも、レイムさん勉強はしたんでしょう」 「あぁ。使い道のない魔法だがな」  どうしてレイムは常闇の魔法を嫌っているのだろう。訊きたいことがたくさんあった。けれど、ノアが常闇の魔法について尋ねると、レイムは必ず必要ない、関係がないと言って話を終わらせてしまう。  ノアはレイムの講義が終わると、再び暖炉の前に戻って本を捲り始める。けれど、なぜか最近、読んでも読んでも説明が頭に入ってこないし覚えられない。レイムは根を詰めるなと言うが焦ってしまう。  読んでもすぐに頭から知識がこぼれていく感じがした。 (ちゃんと寝ているのに、今日も、すごく眠い)  さっきレイムが刻んでいた甘い薬草の匂いがとどめだった。頭の中がふわふわして何も考えられなくなった。  本のページを捲っているうちに、ノアは、いつの間にか眠っていた。思考が途切れたのは一瞬だった。けれど気がついたときには数時間も経っていた。  夕食の時間。ノアは机の上に突っ伏していた。背中には毛布が掛かっている。 「なんで!」  血の気が引いた。  昼間読み始めたところから全然ページが進んでいなかった。ノアはバタバタと台所まで走った。するとレイムが食事の用意をしていた。 「起きたのか」  今日の夕食の準備はノアの仕事だった。勉強どころか食事の準備もまともに出来ていない。夕食のいい匂いで目が覚めるなんて飼い猫だ。  食事の時間に目が覚める自分が情けなくて、悔しくてたまらない。 「なんで……レイムさん怒らないの」 「何故、怒る必要がある」 「だって! 勉強も進んでないし寝てたし、食事の用意だって。それは俺の仕事で」 「眠かったんだろう」  レイムは、それなら仕方ないと言って夕食のスープとパンを食卓に並べた。なんだか役立たずだと言われているみたいで怖かった。鼻の奥が痛い。泣きそうになる。 「明日は、ちゃんとする、から」  ノアは下を向いた。ノアはレイムに怒って欲しかった。  ノアは王都の実家で、いない人間みたいに扱われていた。獣化すれば厄介者みたいに離れに閉じ込められる。そんな寂しい日々が頭の中をよぎった。  せっかく居場所を見つけたのに、すぐに失ってしまう気がして怖かった。  どうすればレイムから必要な人間として扱ってもらえるのだろう。もっと勉強を頑張って、早く本当の弟子にしてもらわないと安心できない。 「ノア。食べないのか」  ノアはテーブルの横に立ったままだった。そんなノアを見てレイムは首を傾げる。手に持っていた皿を机の上に置いてノアの顔を覗き込む。 「どうした具合でも悪いのか?」  レイムは、じっと観察するようにノアのことを見ていた。その優しい紫の瞳を見ることが出来ない。見る資格がない気がした。  今日は暖かい暖炉の前で勉強をしていたから集中出来なかったのだと思った。 「――ごめんなさい。今日の勉強終わったら、一人で食べます。お腹空いてない」 「そう。分かった」  静かに頷いたレイムに背を向け、ノアは二階へ上がり自分の部屋で本を広げた。  暖炉の前じゃなくても、ノアの部屋の中は魔法で暖かく快適な温度になっていた。なんだか分不相応に甘やかされているようで嫌になる。  ノアはレイムが自分に無関心になる未来が怖かった。獣人だからと距離を置かなかったレイムだからこそ。  ――嫌われたくない。  夜が更けて一階に降りると冷めたスープとパンがあった。火を付けて温めればいいのに、そのまま食べてしまった。頭も体も重い。  レイムが作ってくれた美味しいスープを温かいうちに食べなかった。罪悪感が湧いた。  レイムがくれた居場所を絶対に守りたい。その一心だった。

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