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欲しいものは?

 その晩、自室の勉強机の前でノアは顔を上げた。  レイムから読むように言われていた本が最後の一冊になっている。課題の本はノアの背丈ほどの本棚二つ分くらいあった。  部屋の明かりは机の上にあるランプだけだった。レイムからは、ゆっくりと読めばいいと言われていたけれど、認められたい、その一心で読み耽っていた。 「変身の薬なんてあるんだ」  ノアは一人ごちた。  最後の章に書かれていた薬の効能。それを使えば突然、獣化してもすぐに元に戻れると思った。その章は他よりも熱心に目を通した。  ――変身の薬は使い過ぎると体に負担がかかり、使った対象は最悪死に至る。  その文言にぶるりと体が震えた。  ノアはこの短期間に薬に関係する本をたくさん読んだ。どの薬も万能薬じゃない。  便利な薬は、使えは必ず副作用があり、注意書きがメリットと同じくらいの量で書かれていた。この世に完全なモノなんてない。初学者を戒めるような言葉で、最後は締めくくられていた。  最後の章を読み終わり、ノアは本を閉じた。  ずっと本を読んでいたせいか、頭も目も冴えていた。寝る時間がとっくに過ぎているのに、今夜は眠れる気がしなかった。  疲れているのに課題をやり遂げた興奮が抑えられない。  明日レイムに報告したら喜んでくれると思った。課題の本を読み終えたのだから、本当の弟子にしてくれるはず。そう思ったら、ますます眠れそうになかった。  少し前、レイムの部屋の扉が開く音が聞こえた。レイムは既に休んでいるだろう。 (――ちょっとくらい、いいよね。課題終わったんだし)  レイムから一人で地下室へ入ってはいけないと言われていた。  けれど、はやる気持ちを抑えられない。  レイムが普段地下でしている仕事や、本当の魔法について知りたかった。  頭では分かっていた。けれど、気づいたときには、こっそりと自分の部屋から抜け出していた。  地下に続く重い扉を開けると、石の階段が二階分くらい続いていた。 (こんな深いところまで……これも魔法で作ってるのかな)  扉の中は上階とは違い、冷たい空気で満たされている。手持ちのランプの明かりを頼りにゆっくりと一番下まで降りた。土の匂いに混じって錆の匂いがした。  地下には部屋が二つある。  近くにあった部屋の木の扉をノアはゆっくりと奥に向かって押す。  中は奥の壁一面、天井まで本棚だった。右手前には勉強机と椅子。左側には夥しい数の羊皮紙や本。魔法道具のような大小の鏡がたくさん木箱の中に入っていた。何に使っているのか分からない大きな錆びた天秤もあった。  机の上には、石や宝石が整然と紙の図形の上に配置されている。 「……本物の魔法の部屋」  ノアが頭の中で思い描いていた魔法使いの部屋がそこにはあった。  一階に置いてあったのは、全て魔法使いが作る薬や街の本屋で見かけるような本ばかりだった。地下室に置かれている蔵書は、そもそもノアが読める言語で書かれていない。  奥へ進み、試しに濃紺の表紙の本を一つ手に取って開いてみた。記号や数字のようなものがびっしりと書き綴られている。  手書きの本だが、それほど古くない気がした。 「何が書いているんだろう。レイムさんが書いたとか?」  本の文字に手で触れノアが呟いたときだった。耳に直接、仰々しい声が聞こえてきた。 【教えてやろうか、お前が知りたいことを】 「わぁ!」  驚いてノアは、本棚の前で思わず大きな声を上げていた。本を落としそうになり慌てて、持ち直す。  確かに声が聞こえたのに周囲を見渡しても部屋にはノア以外に誰もいない。耳がぞわりとして気持ち悪い。ノアは手で耳に触れた。すると、もう一度声が鼓膜に直接届いた。 【さぁ、なんでも聞くがよい。私が、全て教えてやろう】 「なんでも……」 【ほら、知りたいことがあるんだろう? 欲しいものはないか?】  急に頭の芯がぼんやりとして、思考を声の主に奪われたような感覚に陥った。  獣人じゃない人生を送りたい。最初は、そう望んでいた。  けれど、ここ最近は魔法使いの弟子になるために躍起になっていた。でも、今はレイムに認められたいって気持ちが一番になっている。  何でここへいるんだろう。わからない。欲しいモノのため。 「俺、の、欲しい、ものは」 【そうだ、お前の望みを教えてくれたら、私が全て叶えてやろう】 「俺……今の、一番の望みは」  レイムさんと、もっと仲良くなりたい、な。  ノアが思ったその一番の願い。それはノアの口から発せられることはなかった。  次の瞬間、ノアは後ろから手で口を塞がれていた。 「――魔法使いの部屋の本は、迂闊に開けてはいけない」 「ッ、むむっ、んんっ」  声の主はレイムだった。もう休んでいると思っていたのに、仕事のときに着ている黒いローブ姿だった。 「心臓を奪われても、貴様は文句を言えない」  レイムはノアの口を片手で塞ぎながらノアの手の本を片手で閉じ本棚に直した。レイムの声は静かで淡々としていた。塞がれた手からノアが解放されたと思ったら、ノアは魔法で壁に背中をはりつけられた。  レイムの手には杖があった。 「貴様は、師の言い付けを守れないのか」

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