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魔法使いの折檻
「れ、レイムさん」
「私は、お前に、この部屋には、入るなと教えたはずだが」
「お、俺、レイムさんに言われた本ちゃんと読んだよ、だから」
「一人で入るなとも言ったはずだが?」
ちゃんとノアは、レイムの言い付けを覚えている。けれど我慢できなかった。早く魔法を知りたかった。レイムに認められたかったから。
褒められたかった。
顔の近くにある両手は壁にしっかりとくっついていて、ノアが動かしてもびくともしなかった。足も床につかない。レイムはノアの前に立つと。喉の上に手を置いた。
「さて、勝手に一人で地下室に入った理由くらいは聞いてやろうか」
「お、俺、早く、魔法が使いたくて」
口から出たのはそれだけだった。レイムが怖かった。約束を守らなかったのは自分だから怒られるのは当然だ。
魔法が使いたい。それより、ノアは今もっと叶えたいことがあった。
さっき言いかけたこと。
レイムに認められたかった。褒められたかった。
きっと、そんなことをいえば馬鹿馬鹿しいと思われるだろう。けれど、ノアにとっては切実な望みだった。誰かに、ここにいていいって言われたのは初めてだったから。望みを叶えるために必死だった。
「ほぉ、そんな理由で、私の言いつけを破っていいと考えたのか」
氷のような声だ。ノアの全身が冷たくなっていく。
「いい機会だ。貴様に魔法使いの折檻がどんなものか教えてやろう」
レイムが杖を振った次の瞬間。
ノアは暗闇の中にいた。猫の姿。それもうんと小さい頃の姿に変化している。何も出来なくて、泣いて、鳴いて、森の中をさ迷うことしかできなかった頃の姿。
自身が、いま猫の姿になっているのは感じられる。でも手も足も体も、その目で見ることが出来ない。
目は見えているのに、どこまでいっても闇の中だった。
叫んでも、泣いても、ノアの声は、どこにも届かない。
走っても、走っても、どこにもぶつからない。地下室にいたはずなのに、周囲の壁がなくなったようだった。
「しばらく、そこで頭を冷やしていろ」
さっきの魔法の本と同じ、頭の中へ直接レイムの声が聞こえた。
「レイムさん!」
それっきりレイムの声も聞こえなくなった。聞こえるのは自分の鳴き声だけだった。
自分の掌でさえ位置が掴めないくらいの、恐ろしく深い闇。
――きっと、これが常闇の、魔法だ。
怖くてたまらなかった。暗い夜のあとは必ず明るい朝がくるって知っている、だから人は夜を恐れない。けれど、この夜闇は永遠だった。
レイムが帰ってくるまで、許してくれるまで、ずっとノアは、このまま、ひとりぼっち。
(許してなんて、くれない)
どれくらい時間が経っただろう。
一人でたくさん泣いて急に頭が冷静になってきた。ノアは悪いことをした。言いつけを守らなかった。だからレイムは怒っている。
ちゃんと理由だって教えてくれた。部屋は危ないから、だから一人で入ってはいけない。何もレイムは道理に反したことは言っていなかった。
ノアは我慢できなかった。いいつけを破った。
焦って、レイムに構って欲しくて。
まるで小さな子供のようだった。多分、拗ねていた。レイムが自分と話さないのにお客のアリアとは楽しそうに話していたから。
レイムのためのお菓子だから一生懸命選んだ。でもアリアのためのお菓子だった。
ノアは、それが悲しかった。
誰かの喜ぶ気持ちを想像して買い物をしたのは初めてだった。レイムに喜んで欲しかった。
そんな初めての幸せな気持ちが、ぐしゃりと潰されてしまった気がした。
「でも、そんなの、レイムさんに関係ないし、約束を破った理由にはならない」
年相応の考え方だって出来るのに、最近の自分は焦ってばかりで変だった。
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