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【番外編2】この優しい猫は魔法使いにはなれないだろう
『魔法使いの弟子』(仮) ※レイム視点のお話です。
* * *
ノアが作った味のしないスープを飲んだ瞬間。自身の高熱を自覚した。
熱を出すなんて、子供のとき以来の出来事だった。
――薬屋が風邪をひくなんて、我が弟子ながら情けないなぁ!
まったく、その通りだと思う。
昔、風邪を引いたとき師匠に言われた言葉を思い出し酷く嫌な気分になった。
普段から口うるさい生意気な弟子が、熱で静かになった。そのせいかトーマは特別機嫌がよかったのを覚えている。
――そうだなぁ、風邪かぁ。獣の姿になった方が、野生で早く具合が良くなるはずだよ。
そんな良く分からない理論で黒猫の姿に変えられ、トーマのベッドに拘束された。
確かに師匠の言った通り、結果として風邪は早く治ったが、余計に苦しかった。人間より猫の方が体温が高いのだ。
高い熱が余計に高くなり、危うく死ぬところだった。
それと比べたら今の体調不良なんて大したことはない。
熱のせいで、嫌なことばかり次から次へと思い出している。
ノアが棚から落としたのは、湿布薬として使う水薬だった。氷よりも冷たく打撲箇所に塗れば効果が高い。
反面その冷たさは、洗っても中々取れないのが厄介だった。それを全身に浴びたのだから具合が悪くなるのは当然だ。
動物を飼う人間は、高い場所に危険なモノを置いてはいけない。命に関わる。
ノアの責任というよりは、置き場所を誤った飼い主の責任だろう。
薬屋としては、ノアに薬の危険性は厳しく教えるべきだが、最終的な管理責任はレイムだ。ノアに対して怒ってはいけなかった。
さっきは体調不良のせいでノアに当たってしまった。
これ以上、ノアを傷つけてはいけないと、早めに自身の部屋に閉じこもった。
悪い薬ではないし、体が冷えただけ。布団で暖まれば、薬効も消え明日には治るだろう。
ただ毎日の習慣というのは、すぐには変えられないものだ。早く寝ようと布団に入っても、普段寝る時間ではないため、ついつい本を手に取ってしまった。
読んだところで、全く頭には入ってこない。
ふと、ドアの外から不規則な音が聞こえた。人間の足音とは違う早いリズムだ。不審に思って本から顔を上げると、ノアが部屋のなかに入ってきた。なぜか獣化して猫の姿になっている。
(さっきまで、人間だったはずだ。一体何があったのだろう)
ノアは探るような動作をしながらレイムのベッドまでやってきた。
荷物の山を階段のように使う。
「おいどうした。喋れないのか」
レイムの膝の上に乗ったノアは、前足をレイムの右手に乗せた。今はレイムの熱が高いのでノアの体温がよく分からない。具合でも悪いのだろうか。
嫌な予感がして心臓が深く脈打った。もし怪我をして獣化してしまったのだったら、早く対処しなければならない。
慎重に探っていると、突然ノアはレイムの布団の上で、いそいそと動き始めた。
レイムの寝間着の袖を口に咥えて引っ張ったり、毛布を広げたり。ぴょこぴょこ跳ねたり。
一体何をしているのだろう。
猫の気持ちが分からない。
しばらくして気が済んだのかノアはレイムの膝の上に戻ってきた。
「具合でも悪いのか、お前もあの薬に触れたのだろう。体が冷えたのか?」
小さな頭の上に手を置いてノアの動きを止めた。けれど、ノアは何も言わずにレイムの持っている本を両手で掴んでベッド脇に置いた。
「大丈夫か? 今は魔法が使えないんだ。お前を人間に戻してやれない」
レイムはノアの頭をゆっくりと撫でた。するとノアは首を横に振った。
「いい。自分で猫になったんだ。レイムさん、今日、俺一緒に寝るね」
ノアは、か細い声で一度鳴く。高熱でもノアの猫の言葉は分かった。けれど、獣人の姿を嫌っているノアが自分で獣の姿になった理由が分からなかった。
「自分で? なぜ」
ノアはレイムの左手にちょんちょんと前足で触れてきた。
「えっと、俺、猫だし、お腹の毛はふわふわで、あったかいから。猫になるしか、できることないって、もう分かった。うん、最初からこうしてれば良かったね。レイムさん猫好きみたいだし」
思わず無言になった。
なぜ、そういう結論になってしまうのだろう。
全く理解出来ない。猫は温かいし抱くと気持ちがいいのは事実だが、だからといってノアが獣化する理由にはならない。
ノアの言葉を聞いて、やっぱり、この猫を魔法使いにしてはいけないと、本能で感じた。
この猫は、自分の価値に無頓着過ぎる。
だから平気で自分を犠牲にできる。等しい優しさで相手に接することができない人間は不幸になる。
そんな人間を、今までたくさん見てきた。
この猫は、魔法使いになれない。絶対、なってはいけない。
レイムは、ノアを幸せにしたいのだから。絶対に魔法使いにしたくなかった。
けれど、それはノアの望みではない。どうするのが、一番いいのだろう。答えを出せないでいた。
「貴様は、本当に大バカなんだな」
そんなレイムの悩みを吐き出すように重い重いため息を吐いた。ノアの頭の上に乗せた右手に力を込める。ノアの柔らかい体が布団の上に沈んだ。上半身を伏せた状態でノアはレイムに顔を向けて反論してきた。
「そりゃあ、天才魔法使い様のレイムさんと比べたらバカかもしれないけど、でもさ」
何も分かっていないバカ猫を抱き上げて、真っ直ぐに顔を見つめる。
あぁ、何を言っても無駄なのだろうか。もう、今日は寝てしまおう。酷く頭が痛む。
「え、あ、どうしたの、レイムさん」
「寒い」
「え……うん。だから、一緒に寝るよ。猫の体あったかいよ」
「――どう言えば、お前に伝わるのだろうな」
「え、何が?」
「もういい。寝る」
レイムはノアを布団の中に入れた。
頭が痛くて上手く思考出来ない。
いずれにしても、今の状態でノアを弟子にしてもいい結果にならないだろう。
ノアは、もっと知るべきだ。自分のこと。
そして、魔法使いのことを。
そんなことを考えていたら、布団の隙間から冷たい風が何度も入ってくる。
いつまで経っても布団の中の猫が、動き回って落ち着かない。レイムはノアの首根っこを捕まえた。
「貴様は、寝るときに、じっとしてられないのか」
「え、どこにいたらレイムさん一番あったかいかなって」
「別に、好きなところでいればいい」
「じゃあ、ここ?」
ノアはレイムの胸元でころんと横になった。あぁ、やっぱり猫は温かいなと思った。
「ねぇ大丈夫? レイムさん。苦しいところない?」
ノアは本当に人のことばっかりだ。レイムは、また小さくため息をこぼした。
「私の看病をしたいなら、他にすることがあるだろう」
「だって、俺さ。考えてみたら誰かに看病してもらったことなくて」
レイムは無意識にノアを撫でていた。ノアは気持ちいのか目を細めて布団の中からレイムを見つめ返してくる。
「それでね、俺、風邪ひいたとき、誰かに一緒にいて欲しかったなとか、すごく寒くて、誰かに暖めて欲しかったなって、だから」
「そう」
ノアには風邪を引いたとき、看病してくれる人がいなかったのだと知った。
レイムにはトーマがいた。
看病のやり方は酷いが、それでもレイムは一人じゃなかった。
ノアは、一人で、一匹だったのだ。
「あと薬は探したけど、俺分からなくて」
「危ないと言っただろう。勝手にカウンターで薬を触るな。まだ反省していないのか」
また叱ってしまった。けれど、ノアに怪我をして欲しくない。
「ご、ごめんなさい。こ、今度からレイムさんに訊く、勝手に触らない」
「分かればいい」
「でもさ」
「なんだ」
「俺が今日、魔法使いだったら、レイムさんに色々出来たよね。こうやって猫になるんじゃなくて、もっと……何か」
ノアは、何も出来ない自分が、心底悔しいみたいにこぼした。
レイムは、ノアに魔法使いになって欲しくない。不幸になって欲しくない。
幸せにしたい。
けれど、ノアが今日見つけた、レイムへの献身の心は、魔法使いにとって、大切なことには違いなかった。
自分を大事に出来ない猫に、まだ百点は上げられないけれど。
「まだ、諦めてないのか」
「うん。俺、怖かったんだ。何も出来ないことが」
「そう……」
「今までは獣人だから仕方ないって、全部諦めてた。でも、今日は、どうしても諦めたくなかった」
「――出会ったばかりの他人だろう」
「レイムさん、俺の作ったスープ飲んでくれた。嬉しかったよ」
些細なことを世界一の幸せみたいに語る猫が不憫に思えた。
「そんなこと。別に、お前も私の食事を食べるだろう。毒が入ってるかもしれないのに」
「レイムさんが俺を殺したいなら、森に置いてきたら良かったんでしょう?」
「まぁ、そうだな」
「今日の俺のスープ、美味しくなかったでしょう?」
「さぁ、味は分からなかったな」
レイムは、小さく苦笑を漏らした。
「レイムさん俺のことは嫌いみたいだけど、猫は好きだよね」
「誰もそんなことは言ってないだろう」
「あのね、猫になるの嫌だったけど、レイムさんの役に立つなら、いいや。やっと俺にも出来ることが見つかったなって」
「――ノア。二度とこんなことはするな」
「え」
初めてノアの名前を呼んだ。ノアは驚いて目を瞬かせる。
「自分が嫌だと思っていることを誰かのためにするんじゃない」
レイムはノアの顔を手で包むように触れる。
「でも、レイムさんが喜んでくれたら、俺も嬉しいよ」
「それでも、ダメだ」
ノアを魔法使いにしない。その意思が揺らぎそうになり、ノアを布団の中に思わず押し込めた。
しばらくしてノアは布団から顔だした、そしてレイムの頬に触れる。
「なんだ?」
「あのね、でも、いつか今日と同じことがあったとしても、俺、猫になる気がする」
猫の肉球の温度は人間より高い。
その温かさを通して、ノアの切実な気持ちが伝わってくる。
「お前は、魔法使いになれないな」
「な、なんで?」
「獣人でも幸せになる方法なんていくらでもある。お前がそれを知らないからだ」
レイムは、一息あとに続けた。
「魔法が使えても、何にもいいことなんてない」
「じゃあ、俺がレイムさんの初めてのいいことになる」
「何を言っているんだ、貴様は」
「俺が初めてのいい例になる。レイムさんが俺を弟子にして良かったって思えるように」
「どこから、そんな自信が湧いてくるんだ」
「自信はないけど、さ。そうだったらいいなぁって思うから」
あぁ、自分はこの猫に絆されている。そう思った。
自分には、できるのだろうか。
魔法使いの弟子として、ノアを世界一幸せにする未来。
「――私の魔法の師匠はな、くだらないことばかり言う人だった。喧嘩ばかりしていた。常闇の名前も最後まで継がなかった。けど一つだけ、継いだ考えがある」
「考え?」
「魔法使いは、誰かのために魔法を使う。自分のために使ってはいけない。己のためだけに使った魔法は必ず悪いことを引き起こすからだ」
「うん」
「強い力は国を滅ぼし、人を不幸にする。私は、それを真理だと思っている」
腕の中でノアはゴクリと唾を飲んだ。
「ノア」
レイムはノアの頭に手を置く。
「はい」
「最後まで誰かのために魔法を使う。自分のために魔法は使わない。お前は誓えるか」
「でも、俺」
「分かったか。人間として生きたい。自分の利のためと、お前が思っているうちは魔法使いになれない」
「……うん」
「お前が、本当に魔法使いになりたいのなら「普通の人間になる」以外の理由を探さないといけない」
「他の、理由」
「あぁ。だから、それまでは、仮だ」
「え、じゃあ!」
レイムは布団を被り直して寝る体勢になった。ノアはレイムの肩によじのぼり、再び視線で真意を問いかけてくる。
「好きにしろ、私は寝る」
「で……弟子になっていいの!」
「好きにしろと言ったんだ、お前の好きにすればいい。どうせ、帰れと言っても帰らないんだろう。この家にいる理由くらいは与えてやる」
近くで猫が、大喜びして興奮しているのが伝わってきた。放っておいたら踊り出すんじゃないだろうか。
そう思った次の瞬間、耳元で、ぽん、と小さな音が鳴る。
「あ、えっと、ごめん、なさい。元に戻っちゃった」
ノアが人間の姿に戻っていた。
そういえば、嬉しいことがあると、獣化が解けるのだった。おまけに頭の上に猫の耳がある。どうやら最高に嬉しかったらしい。
裸のままではノアが風邪をひいてしまうと思った。
けれど、自身の高熱のせいで、これ以上は動くのも喋るのも億劫だった。
布団の外に出ようとするノアを再び布団の中に引き込んで抱き寄せた。
あぁ、これで風邪はひかないだろう。
猫じゃなくても、子供体温なのかノアの体は温かった。
「もう、いい。寝ろ。お前が動くと寒い」
「でも、俺、服!」
「いいから、黙れ」
「え……えっと、お、おやすみ、なさい」
「あぁ、おやすみ」
こんな幸せな体調不良があるのだろうか。
ノアにも、この気持ちを知って欲しいと思った。
おわり
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