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第12話
仮に、と私は考えた。考えても仕方のないことなので、妄想の類いに近い。
仮に、シンが愛の証を捧げるとしたら、異世界に居るという思い人に捧げるのだろうかと。その方法があれば、彼は、愛の証を異世界へと送るのではないだろうかと。私はシンではない。だからこの妄想は、全く無意味だ。だが、毎日空を見上げている彼の視線の先に、誰が居るのか、気になっている。
今まで私は、彼がどんなところに住んで何を考えて生きてきたのか、興味はなかった。『元男娼の異世界からの来訪者』という肩書き以外に、私は彼に興味を持たなかったからだ。
つまり、私は、彼に興味をもったということだ。きっかけは、よく解らない。ただ、彼が、私の名誉の為に、馬鹿どもと対峙したあの時が、分岐点だったように感じる。あの時、シンは私の為に彼らに対峙してくれた。いままで、誰が、私の為に自らの危険を顧みず、戦ってくれただろうか。それを、私は、嬉しいと思ったのか、自分の気持ちは良くわからない。
ただ、私は、シンと一緒に過ごしている時間を、心地よく感じていることは確かだった。食事を採るのは夜に限ったことだったが、一緒に食事をして、酒を酌み交わして、話をする。その時間を、楽しみに過ごしているのは自覚して居る。
「……また、空を見ていたのか?」
私はシンに酒をついでやりながら、問うた。シンの好みは、エールのような軽い酒で、私とは異なっていたから、最近、マーレヤが用意してくれるようになった。今日は、軽いワイン、しかも瓶の中で発泡させたものだと聞いたので、私も同じものを呑んでいる。飲み口は軽い。あまくていくらでも呑めそうだった。透明度の高い紅水晶のような、淡い薔薇色の酒は、水晶で造ったグラスに良く映えた。
「まあ」
シンは曖昧に答える。見ていたか、見ていなかったか、二択ではないか。それならば、シンが空を見ていたことを、私は知っている。愚問と言えば愚問だった。
「あなたのいた世界も、空は……」
「そうだなあ。俺のいた世界は、こんなに空がはっきり見えなかった。ここは、とても澄んでて遮蔽物もないし、とにかく、空の色が濃い。……俺の世界の空は、もっと狭かったよ」
「空が、狭い?」
意味がわからなかった。空の広さを、考えたこともない。果てしなく続くものではないのか。それとも画板のように、涯があるのか。だとしたら、その涯はどうなっているのだろうか。無、が広がっているのだろうか。それが、シンの住む世界では迫っていたのだろうか。
「あー……ちょっと、わかんないよね。えっと……」
シンは、少し考えるそぶりをして、私に伝わりそうな言葉を探している。やがて、口を開いた。「この国で、一番高い建物は、この、大聖堂だと聞いた」
「間違いない。この大陸でも、屈指の高さを誇るだろう」
約三百五十ディケイ。これ以上の高さを誇る建物は存在しない。ディケイとは、古の聖女がその小さい掌を握りしめた、長さだ。
「俺の見立てだと、この大聖堂は大体、四十メートルくらいだと思う。俺の住んでたマンションが十三階建てで、それよりちょっと低いかなってくらいだったから」
初めて、シンの住まいについて聞いた。彼の個人的な邸宅は、十三階建ての塔だったという。我が国で、それほどの塔は住まいにするものはいない。そして、住まいと言うからにはそれなりに広さを持った居室があったと言うことだ。どれほど、巨大な塔だったのだろう。想像も出来なかった。
「あー、俺の住んでるのは、そんなに大きなマンションじゃなかったよ。あのあたりじゃ普通。部屋も、そんなに広くなかったし。ただ、ちゃんと、バスルームとキッチンはあったし、寝室だけは別に出来たけど」
「立派なお屋敷ではありませんか」
「まあ、文字だけ見てたらそうなるよ。で、俺の住んでいた国の首都は、そういう建物がにょきにょき建ってた。四十階とか五十階建ての建物もあったし、一番高い建物は、六百メートル以上あった。俺の、マンションが四十メートルだとすると、ざっと十五倍は高い建物。こっちは電波を飛ばすための塔だったけど、足下には商業施設が沢山合って、街になってたし、高層階で、街を見下ろしながら食事が出来るような、食堂? もあったよ」
豊かで、発展した町。それも、私の常識を遙かに凌駕する技術を持って、発展した町なのだろう。そういう街だからこそ、教育は、庶民にも施され、そして、戦争を放棄するに至ったのだろう。彼の言葉は、すべて、整合性がとれている。
「……そんなわけで、地上から、空を見上げたところで、絶対どこかに建物が入っちゃうんだ。だから、空が、狭い。地上よりもっと高いところに行けば、遮蔽物がないから、もっと空は綺麗に見えるはずだろうけど、ここみたいに綺麗に見えない。空気が汚れているから」
「空気が、汚れている……浄化は出来ないのですか?」
「うちの世界は、魔法の代わりに、機械が動いてるって行ったけど、その機械が、害になる物質を沢山排出するんだ。そのおかげで、こんなに綺麗な空は見えないよ。今、その害を減らして、地球の寿命を延ばすために、活動はしているんだろうけどね」
地球。とシンは自分の世界のことをそう呼んだ。
彼は、自分の世界がどういうものなのか、概ね、#単語__ことわり__#理を理解しているのだろう。そして、それは、シンだけではなく、地球と呼ばれる世界に住まう人たちの認識でもあるのだろう。
「あーあ、電気があったら、元の世界の空とか建物とか見せてやれるんだけどな」
はは、と彼は笑う。
「電気……?」
「そうそう。あっちでは、魔法の代わりに、電気ってのを使って何でも機械にやらせてた」
「それは、どういう、ものなのですか?」
「あー……うーん……ちょっと待ってね。一応、俺も、こっちの専門家だったから、少しは説明出来ると思う……。えーと、そうだな。モノ全般に言えるんだけど、ありとあらゆるモノって言うのは、こう、もっと、目に見えないくらい小さなモノで構成されてて、それがわーっと集まって、形になってる」
私は、多分、あまり、よく解っていないような顔をしているのだと思う。ありとあらゆるモノという、言葉が広すぎる。もう少し限定して貰った方が、想像しやすいのでは無いかと思ったが、その道の専門家だというシンが、不要な説明をするはずもないだろうから、黙って聞くことにした。
「ありとあらゆるモノは、プラスとマイナス……うーん、陰と陽みたいなもので出来てて、陽の気を持つ原子っていう核の周りを陰の気を持つ電子っていうのがくるくる回っているんだ。ただ、この電子っていうのが核から外れて別の所に飛び回るのを電気って言う……っていって、イメージがつくかな………」
「よく解らないが、魔素と大差ない気がする。魔素にも正価を示す魔素と負を示す魔素があって、それが拮抗している状態になっているので、その、流れを、意識して調節するようにしています」
「ああ、多分、そういうもの。ちなみに、自然界では、雷とかが、それに当たる」
「ああ、雷ならば、あれは自然放出される魔素の最たるものですよ」
「じゃあ、俺が前の世界で扱ってた電気というのと、こっちの魔素っていうのは、ニアリーイコールだと思う」
「ニアリーイコール………?」
「殆ど一緒ってこと」
「ああ、そのようだと思います」
「だったら……魔素をコントロールして、俺のスマホに充電出来れば……前の世界の情報が見られるかも知れないな」
「スマホ?」
「うーん……なんだろう、機械。いろんなことが出来るんだ。離れている人と会話することも出来るし、文字をやりとりすることも出来る。写真を撮ることも出来る。俺のいた世界だと、スマホは、生活必需品だった。で、ここに来たとき、売ろうかと思ったけど、道具屋のオバチャンが、訳がわからないから、値段は付けられないって言われて、仕方がないから、持ってたんだ。その代わり、ちょっとした指輪くらいは売ったけど」
貴族ならば指輪くらいしているのが常識だろうが、売ってしまったのか。買い戻したい、とは思わないのだろうか。私が黙っていると、シンは口を開く。
「……実はさ、彼女にプロポーズ……求婚? しようと思って、指輪、買ってたんだ。俺の世界だと、求婚の時に、指輪を贈る風習? があって。彼女の誕生日が近かったから」
彼は懐かしむ。その視線は、遠い異世界にいる、彼女に向いている。私と、シンとの間に、耐えがたい壁を感じる。あなたは、今、ここに居るのに。私は、そうなじりたくなったが、口元を引き締めて、なんとか口には出さずに済んだ。
「その、スマホというものを、あとで、見せてご覧なさい。魔素を、送ってみましょう。うまく行くか解りませんが」
「本当に?」
「ええ。私も、異世界に興味があります」
「そうなんだ、じゃあ、無事にスマホが復活したら、俺が撮った向こうの空を見せてやるからな!」
あなたの、見ていた風景を、私も垣間見たかった。
そう告げたら、どんな顔をするだろうか。けれど結局、私は、その問いを、発することはなかった。
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