13 / 60

第13話

 私は、彼から上がってくる翻訳を読む。  |霊峰《れいほう》ルリミェト。あそこで変事が起こったとき、大神官の交代と、異世界からの召喚が行われる。変事を招いた大神官は、魔力を失っているということらしい。先代の大神官と交代するとき、先代の様子がどうだったか、覚えていないことが悔やまれた。あの時、私は、自分の役目が回ってきたと言うことと、霊峰に変事があったことにばかり気を取られていて、先代のことを、気にする余裕はなかったのだった。  大神官は、大陸全土の安寧を守護する。  その為、魔力が衰えれば交代と言うことになっていたし、霊峰に変事があったと言うことは、すなわち大神官の魔力が著しく落ちたと言うことになる。私が大神官に就任した五年前、次代の大神官になる子供が選ばれて、今は修行の日々を過ごしているはずだった。私は、自分のあとに大神官になる子供に、会ったことはなかったが、先代は、年に数度、忙しい公務の合間を縫ってやってきた。言葉を交わしたことは少なかった。ただ、抱きしめて修行に励むようにと、言ってくれたことだけは覚えている。  六百年。  この世界は異世界人の力を必要としなかった。  六百年の間に、我々がなぜ異世界から人を呼んでいたのか、意味は失われ、昔話でのみ残るだけになっていたのは確かだ。  異世界の民の召喚は、神殿が行うはずだが、私にも解らない部門が行うことになっている。神殿の秘密を、口伝で脈々と守り続けるものたちが居るのだ。そして、今回、異世界から人を呼ぶことには成功したが、テシィラ王国によって三人が奪われた。  テシィラ王国は、彼らを利用するのではなく、彼らを堕落させて滅びへ向かわせた。私より、テシィラの国王の方が、異世界人に関する知識があるのかも知れない。そして、今、テシィラの王は、私に接触を求めている。  私は、今、曖昧にはぐらかして時間を稼いでいるところだった。少なくとも、六百年前の出来事がどうだったか解るまでの間は、事態を引き延ばしておいた方が良いと考えている。そして、それは異世界人であるシンが、六百年前の記録を読み解くことに掛かっている。  シンからの翻訳で解ったことはいくつかあった。  まず、霊峰に変事がある時というのは、理由の如何は解らないが、世界が滅びようとしているということだった。そして、それを救うには、より強い魔力と、外部から|齎《もたら》されるものが必要と言うことも解った。それは、知識なのか、新しい力なのか、解らない。先日シンと話していたときに、『スマホ』という道具の話をされた。  それが如何なるものであるのか、現時点で私は、まだ理解していない。だが、もしかすると、そうやって、この世界に持ち込まれる道具が、この世界にとって重要な意味を持つモノなのかも知れないし、そうではないのかも知れない。この文章を翻訳しているシンも、同じ気持ちなのか解らないが、最近、翻訳の進みは悪い。  六百年前の異世界の民は、名を『クロノ』と言ったそうだ。シンの話に寄れば、おそらく、シンとは同郷だろうということだが、大分、時代が違うだろうと言うことも判明した。クロノは、元の世界では、騎士だったらしい。一国の城主に仕える騎士ということだ。シンの住んでいる時代では、一つの国に統一されたが、それより以前は、国は小さく分かれていたと言うことだった。シン自身覚えていないようだったが、二百を超えていたと思う、と彼は言った。二百を超える城主をひとまとめに統一したのは、神話の時代から続く血統の国王で、他国からは皇帝と呼ばれると言っていた。言い伝えだから、信じてる人はあまりいないともシンは付け加えていたが。  クロノが我々の世界に齎したのは、鍛冶の技術だった。神殿の御物《ぎょぶつ》に、クロノの所用として伝えられており、我々が作り出すことが出来なかった剣が保管されている。私は思い立って、シンにそれを見せてみた。  反《そ》りがあり、触れただけでも切れてしまいそうな、冷たく光る刃を見た時、シンは私に静かに告げた。 「これは、確かに、俺の国の武器です」  言い伝えは、本当だったのだと、胸の底が震えるような歓喜と共に、漠然とした不安も感じる。それは、おそらく、シンも同じだったのだと思う。神殿の宝物殿の地下深く。厳重に封印されたそこで、私達は、じっと、冷たい輝きを放つ、刃を前に動けずに居た。 「……刃の、根元の所。雑に模様が彫られてると思うんですけど」 「えっ? ああ、そうですね」  確かに、彼の指摘通り、線が幾重にも掘られている。幾つもの線の塊。奇妙な模様だった。それがいくつか書かれていた。魔除けの模様か何かだと、私は感じる。 「アレが、俺の国の文字です。……俺の国の言葉は、三つの表記方法があって、そのうちの一つです」 「読めるのですか?」  六百年も昔の文字だ。しかし、この世界の言葉を読むことが出来るように、自国の古のも度も読むことが出来るのだろうか。 「一応、読めますよ。『和勝元年六月』とありますから……」  しばし、シンは押し黙った。 「どうしました?」 「いえ、この、和勝というのは、元号なんですけど、ちょっと覚えがなくて。元号を全部覚えているわけではないんですけど、済みません。元号が解れば、この刀がいつ頃に作られたのか、とか、いろいろ解ったと思います。ちなみに、俺のいた時代は令和と言って、西暦では2022年でした。いろいろ、暦も表記があったんです」 「そう、ですか」  シンが、元号を頼りにこの武器の制作年を割り出そうとしていたのには、私も驚いた。ただ、私には、線の塊にしか見えないあれを、文字として認識して居ることが、不思議だったし、彼もああいう文字の中で生きてきたのかと思えば、感慨深い物があった。私の、知らない言葉。彼を示す文字は、どんな文字なのだろうか。私は気になって、彼に問う。 「あなたの名前……は、どのように書くのでしょう」 「えっ?」 「私は、あなたをシン、とだけ呼びますが、本当は、シンタロと呼ぶのでしょう?」 「ああ……ちょっと違う。この国には、長音は無いみたいで、伸ばす感じじゃないから……えっと、晋太郎。シンタロウ、なんだけど、シンタローって少し、最後だけ音を長くとるんだ」  シンタロ……、シンタロ……。何度口に出しても、うまく言えない。シンタロウ、の方が、いくらか、言える気がするが、彼と同じように発音出来なかった。私の音程は、どうも、上下があちこちになる。彼の国の響きは、私には捕らえられない。 「なんか、久しぶりに、シンタロウって言われた」  ははっ、とシンは笑う。私の中では、多分、彼は『晋太郎』ではなくて『シン』だ。そう、居て欲しいと、私はとっさに、思ってしまった。晋太郎、と告げた時の彼は、私の知らない顔をしているように見えたからだった。

ともだちにシェアしよう!